(今日も一日、終わったってな)
いい日だった、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
夜の書斎でコーヒー片手に。
ブルーの家には寄れなかったけれど、いい日ではあった。
恋人のブルーには会えていないけれど、生徒の方なら会えたから。
「ハーレイ先生!」と笑顔のブルーに。
それから少し立ち話だって。
(まるで会えない日もあるからなあ…)
遠目に姿を見られればまだしも、それさえも出来なかったような日。
それに比べれば今日はいい日で、文句を言ったら…。
(罰が当たるぞ)
会えただけでも幸運じゃないか、と前向きに。
話も出来たし、今日は上々、と。
教師と教え子、そういう中身の会話でも。
甘さの欠片も無い話でも。
(…甘さってヤツが欲しければ、だ…)
このコーヒーに砂糖をドッサリ、そうすれば甘くなるわけで、と一人で冗談。
スプーンで何杯も入れてやったら、いくらでも甘くなるコーヒー。
「これは菓子か?」と思うほどにも出来るだろう。
コーヒーではなくてチョコレートでは、というような出来。
(そういう飲み物もあるんだしな?)
正真正銘、本物のチョコレートで出来た飲み物。
ホットチョコレートとか、ショコラショーとか、呼び方の方は色々だけど。
チョコレートを削って、鍋で溶かして、「どうぞ」と出される甘い飲み物。
(…ポットごとなら、固まらないように…)
かき混ぜる棒がついてたっけな、と思い出すホットチョコレートの専用ポット。
母のお供で飲んだから。
あれもなかなか面白いんだ、と。
ホットチョコレートには敵わなくても、コーヒーだって甘くなる。
砂糖をドッサリ入れさえすれば。
ブルーとの会話に足りなかった甘さ、それをコーヒーで補うならば。
(しかし、実際は甘さが違って…)
あいつと話す時とコーヒーじゃ違うよな、と見詰めるカップ。
だから冗談しか言えないんだが、と。
コーヒーを甘くしてみた所で、甘くならない今日のブルーとの立ち話。
とっくに過ぎた時間のことだし、今は一人でコーヒータイム。
小さなブルーはきっとベッドの中だろう。
そうでなければパジャマ姿で、本を読みながら夜更かし中か。
(早く寝ないと風邪を引いちまうぞ?)
なあ、と心で語り掛けても、ブルーの耳には届かない。
やっぱり甘さが足りなかったか、と残念な気持ちはあるけれど。
今日はあいつと恋人同士で話せていない、と思うけれども、それを除けばいい一日。
不満を漏らすなど、とんでもない。
(いっそ砂糖を入れちまうか?)
甘さが足りないと思うんだったら、とカップの中身を覗き込む。
「とてもコーヒーとは言えないぞ」と思うくらいに、砂糖を入れてやろうかと。
キッチンに行って、スプーンで山ほど。
溶けないのでは、と誰が見たって呆れるような量の砂糖を。
(それも一興…)
とてつもなく甘くなっちまったら、俺の目だって覚めるだろうさ、と指で弾いた額。
「いい日」に不満を抱く俺には、ちょいと罰だって必要だよな、と。
とんでもなく甘いコーヒーが。
今は絶妙な苦味と味わい、それが吹っ飛ぶような甘さが。
「しっかりしろよ」と、「目を覚ませ」と。
いい一日を過ごしたろうがと、なのに贅沢を言うんじゃない、と。
きっとガツンと胃袋に効く。
なんて味だ、と舌にも、きっと。
そういう罰を与えようか、と考えないでもない時間。
「いい一日」に文句を言うなら、舌を懲らしめてやろうかと。
いくら好き嫌いが無いと言っても、それとこれとは別問題。
コーヒーはコーヒーらしいのがいいし、ホットチョコレートとは違うから。
「こいつは違う」と受ける衝撃、そこの所は好き嫌いとはまた違う。
例えて言うなら料理の味付け、それを間違うようなもの。
辛さが身上の料理を作って、出来上がったら妙に甘いとか。
甘いケーキを焼いたつもりが、砂糖と塩を間違えたとか。
(鈍いってわけじゃないんだから…)
その辺はちゃんと分かるんだ、と傾ける愛用のマグカップ。
コーヒーの味はこれでこそだと、甘くなりすぎたら台無しなんだ、と。
けれども、今日の自分は不満があるようだから。
「恋人のブルーに会えなかった」と、甘さ不足を感じているようだから…。
入れちまおうか、と思う大量の砂糖。
「そうすりゃ、俺も懲りるさ」と。
甘すぎるコーヒーを飲む間中、反省することになるのだから。
最後の一滴を喉に落とし込むまで、「俺が悪かった」と思うだろうから。
(だが、食べ物で遊ぶってのも…)
どうだかなあ、と自分を叱りたくなるのは躾のせい。
幼い頃から、両親に厳しく言われたから。
「食べ物は感謝して食べるものだ」と、「オモチャにしてはいけない」と。
学生時代には無茶もしたけれど、その無茶をした仲間たちだって…。
(普段はきちんとしてたしな?)
運動部だったから、礼儀作法にうるさい世界。
たとえ食べ物で遊んだとしても、「不味い」と捨てるなど出来ない世界。
最後まできちんと平らげてこそで、それが出来ないなら遊べない。
(…コーヒーを甘くしちまうのもだ…)
やったからには、反省しつつ飲み干すこと。
いい年をした大人がやるのは、どうかという気もするけれど。
さて、どうする、と睨むカップの中身。
甘く仕上げて反省するか、このまま味わい深く飲むのか。
(…俺は充分、今、考えたぞ?)
甘さ不足だと思う自分への、戒めも。
コーヒーを甘くしてしまうことが、如何に大人げないことなのかも。
(そこは、きちんと考えたんだし…)
美味いコーヒーのままで飲むのがいいんだろうな、と出した結論。
でないとコーヒーも可哀相だと、せっかく今は美味いのに、と。
最初から甘く仕上げていたなら、それはそういうコーヒーだけれど。
甘すぎても飲むしかないのだけれども、いい味になっているのだから。
(このままだよな?)
それがコーヒーへの礼儀ってモンだ、と思った途端にポンと頭に浮かんだ恋人。
甘さ不足を感じる原因、立ち話しか出来ずに終わったブルー。
(…あいつ、前から…)
ソルジャー・ブルーだった頃から、コーヒーが苦手なのだった。
今も変わらず苦手なままで、たまに飲もうと挑んでは…。
(砂糖たっぷり、ミルクたっぷり…)
おまけにホイップクリームまでだ、と思い出したブルーが飲むコーヒー。
どんなに美味しく淹れてあっても、ブルーの舌には合わないから。
今も昔も、「苦すぎるよ」と顔を顰めて降参だから。
(ふうむ…)
人それぞれだ、と思うコーヒー。
自分の舌には美味だけれども、ブルーは全く駄目だっけな、と。
生まれ変わっても同じに駄目かと、舌まで前と同じなんだな、と。
(でもって、俺も前と同じな舌だから…)
このコーヒーが美味いんだ、と思ったけれど。
甘くするなど、コーヒーにとても失礼じゃないか、と考えたけれど。
(…待てよ?)
その舌だ、と気付いたこと。
なんの気なしに、「同じ舌だ」と思った舌。
前の俺だった頃と変わっちゃいないと、コーヒーと言えばこれが好きだと。
けれど、そうだと感じる舌。
「この味がいい」と味わえる舌は、まるで奇跡のようなもの。
前の自分は死んでしまって、其処で終わりの筈だったから。
死の星だった地球の地の底、崩れ落ちて来た瓦礫の下敷きになって。
(おいおいおい…)
あそこで舌も無くなったんだ、と分かること。
身体が滅びて死んでしまったら、もう味などは分からない。
暑さも寒さも感じないのだし、コーヒーの苦味が絶妙だろうが、甘すぎようが…。
(…死んじまった俺には分からんぞ?)
死体の上から、ドボドボと注いで貰っても。
「好きだったから」と墓碑に供えて貰っても。
(…魂なりに、味わうことは出来るんだろうが…)
生きた身体とは違うだろうな、と容易に想像出来ること。
どんなに美味しく飲めたとしたって、魂が飲むのと、生きた身体が飲むのは違う、と。
(きっと魂になっちまったら…)
「甘さ不足だ」と砂糖をドッサリ、そんな飲み方はしないだろう。
コーヒーは常に美味しいのだろう、温度も、それに味だって。
なにしろ天国のコーヒーだから。
不味く出来ているわけがないから。
(今だからこそ、甘さ不足で砂糖ドッサリの罰なんぞ…)
思い付いたりするんだな、と零れた笑み。
生きてるからだと、俺もブルーも、と。
自分にはとても美味しいコーヒー、ブルーの舌には苦いコーヒー。
味わえる舌を持っているのも今だからこそだと、味わえる今に感謝しようと。
甘さ不足の日だったなどと言わないで。
今日も一日いい日だったと、いつもの味のコーヒーのままで…。
味わえる今・了
※今日はちょっぴり甘さ不足だった、と考えてしまったハーレイ先生ですけれど。
甘くしようかと思ったコーヒー、その味が分かるのは生きているから。感謝ですよねv