(ハーレイ、どうしているのかな…)
今の時間だと、とブルーが思い浮かべた恋人。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は来てくれなかったハーレイ、前の生から愛した恋人。
学校で姿は見掛けたけれども、出来ずに終わった立ち話。
仕事の帰りに寄ってもくれずに、それっきり。
ハーレイと話が出来ないままで、今日という日はもうおしまい。
ほんの少しの時間でいいから、話したかった。
温かくて穏やかな、あの声が聞きたかったのに。
(…ハーレイの声…)
思念でいいから聞きたいよ、と思うけれども、その思念。
今の時代は、使わないのが社会のマナー。
人間は誰もがミュウだからこそ、そういうルールが生まれて来た。
サイオンは出来るだけ使わないこと、「人間らしく」と。
だから思念波も同じこと。
いくら便利でも、誰も滅多に使いはしない。
使わないのが社会のルールで、マナーだから。
(…前のぼくたちが生きた頃なら…)
思念波も使っていたものなのに。
白いシャングリラの中でだったら、よく交わされていた筈なのに。
(基本は今と同じだけれど…)
人間らしく、と唱えられていたシャングリラ。
何もかもを思念に頼りはしなくて、通信手段があれば、そちらを優先。
人類は思念波を使わないのだし、ミュウが「人」から外れないよう。
人間らしさを失わないよう、シャングリラでも使った通信用の設備など。
それが無くても、ミュウならやっていけるのに。
思念波の方が、早くて便利だったのに。
前の自分が生きた頃から、そういう考え方だった思念。
今の時代だと、「人間らしく」がマナーというのも頷ける。
もう人類は一人もいないし、ミュウだけが暮らす時代だから。
サイオンを便利に使っていたなら、人間らしさをきっと失くしてしまうから。
(だけど、思念波…)
こんな時には、ちょっと送って欲しいのに、と眺めた窓。
ハーレイから思念が届かないかと、届けてくれればいいのにと。
社会のマナーやルールはともかく、恋人が此処にいるのだから。
チビの自分が、声を求めているのだから。
(思念波だったら、ちゃんとハーレイの声…)
あの大好きでたまらない声が届く筈。
耳にではなくて、心の中に。
ほんの一言、「どうしてる?」と訊いてくれたら嬉しいのに。
胸がじんわり温かくなって、幸せな灯が点るのに。
(ホントに、少しだけでいいから…)
届けて欲しい、と思う思念波。
たった一言、今の自分に向けての言葉。
「どうしてる?」でもいいし、「寝ちまったか?」でも。
もしも眠っていたとしたって、きっと幸せになれるのだろう。
「ハーレイの声が聞こえたよ」と。
夢の中でも、優しい思念を感じ取って。
それが届いたら、幸せな夢を見るのだろう。
ハーレイと何処かへ出掛ける夢とか、そういった夢。
目覚めた時には忘れていたって、「素敵な夢を見ていたみたい」と思う夢。
思念波だったら、心に届くものだから。
スルリと心に入り込んで来て、温かな声を伝えるから。
声も、想いも、丸ごと全部。
ほんの短い言葉だけでも、ギュッと詰まっている中身。
聞きたいな、と思うけれども、届かない思念。
ハーレイは届けてくれはしなくて、窓を眺めても無駄なだけ。
(…今の時代だと、社会のルール…)
おまけにマナーで、ハーレイからの思念は届かない。
いくら待っても、届けて欲しいと思っても。
今日は話が出来なかった分、声が聞きたくてたまらなくても。
(ホントのホントに、ちょっとでいいから…)
何か言ってよ、と思い浮かべる恋人の顔。
今の時間だと、書斎だろうか。
夜には大抵、コーヒーを淹れて寛ぎの時間、そうだと何度も聞いているから。
その日の気分で、書斎で飲んだり、ダイニングだったりするコーヒー。
(…コーヒー、美味しい?)
ねえ、と心で尋ねるけれども、返らない答え。
それも当然、今の自分は不器用だから。
社会のルールやマナー以前に、上手く扱えないサイオン。
前の自分とまるで違って、思念波もろくに紡げない。
だからハーレイを想っていたって、心の声は届きはしない。
自分の舌には苦いコーヒー、その味をハーレイに訊いたって。
「美味しいの?」と尋ねてみたって、声は心の中でだけ。
届けたいハーレイに聞こえはしない。
問いが届いていないのだから、返事だって返るわけがない。
「うん、美味いぞ?」とも。
「お前もたまには飲めばいいのに」とも、「この味が分からないとはなあ…」とも。
前の自分なら、訊くのは簡単だったのに。
ハーレイの答えが返って来たなら、それに思念を返せたのに。
「そんな飲み物、よく飲めるよね」と。
「コーヒーなんて苦いだけだよ」と、「ぼくは紅茶がいいけどね?」と。
ついでに、冗談めかして、こうも。
「急に紅茶が飲みたくなったよ、今から急いで来てくれないかな?」と。
前のぼくなら出来たんだよ、と零れた溜息。
ハーレイと思念で話すこと。
(…こんな時間に、紅茶を飲みに来てよ、っていうのは無理だけど…)
今のぼくだと無理なんだけど、と見回したチビの自分の部屋。
両親と一緒に暮らしている家、其処にある子供部屋だから。
ハーレイを夜に呼び寄せたならば、両親が恐縮するだけだから。
「うちのブルーが無理を言ったようで、すみません」と。
あの子ときたら、と平謝りだろう父と母。
とうにお風呂に入ったのにと、今はパジャマで部屋なのに、と。
それなのにとんだ我儘を…、と慌てる姿が目に浮かぶよう。
もしもハーレイが駆け付けたなら。
「紅茶が飲みたいと呼ばれまして」と、車を運転してやって来たなら。
コーヒーの時間を中断してやって来るハーレイ。
それも素敵、と浮かんだ笑み。
後で両親に叱られたって、ちょっぴり呼びたい気持ちもする。
「ねえ、ハーレイ?」と。
「美味しいの?」と、コーヒーの時間の邪魔をして。
チビの自分は苦手なコーヒー、前の自分と同じに苦手。
その味を訊いて、「それより、紅茶」と、我儘な気分をぶつけてやって。
「急に紅茶が飲みたくなった」と、「急いで来てよ」と。
きっとハーレイなら、本当に来てくれるから。
「今からか?」と苦笑したって、淹れたコーヒーを放り出して。
そうでなければ、残りを一気に飲んでしまって、急ぐガレージ。
「ブルーが呼んでるんだしな?」と。
「ちょいと遅いが、呼ばれたからには行かんと駄目だ」と。
前のハーレイのマントの色をした車。
濃い緑色の愛車に乗り込み、エンジンをかけて。
「シャングリラ、発進!」と、茶目っ気たっぷりに言ったりもして。
きっと来るよね、と思ったハーレイ。
思念で呼んでみたならば。
こんな時間でも、ガレージから急いで車を出して。
「お前、紅茶が飲みたいんだろ?」と、急いで駆け付けて来てくれて。
(…幸せだよね…)
両親がハーレイに平謝りでも、後で自分が叱られても。
とんでもない時間に呼ばれた客人、ハーレイが「お前なあ…」と呆れ顔だって。
「なんだって紅茶を飲むためだけに、夜に此処まで来なきゃならん」と。
「お前が一人で飲めばいいのに」と言っていたって、きっと幸せ。
ハーレイの言葉はそういうものでも、瞳は笑っている筈だから。
「俺に会いたかっただけだよな?」と。
紅茶はただの口実だよなと、今日は話せなかったから、と。
これでいいかと、こうして訪ねて来てやったから、と。
(うん、素敵だよね…)
自分は此処からハーレイに思念を投げるだけ。
「美味しいの?」と、コーヒーを飲むハーレイに。
少し思念を交わし合っただけで、後は「来てよ」と呼び付けるだけ。
それで素敵な時間が持てる。
ハーレイは自分のコーヒーを放って来てくれるから。
チビの自分と紅茶を飲もうと、車を出してくれるのだから。
(そういうの、やってみたいけど…)
パパとママに後で叱られるよね、と竦めた首。
紅茶を飲み終えたハーレイが帰って行ったなら。
「遅い時間にすみませんでした」と、両親に詫びて帰ったら。
(…こっちへ来なさい、ってパパたちに呼ばれて…)
お説教が待っているのだろう。
我儘すぎると、「ハーレイ先生に御迷惑だろう」と。
「もうやらないよ」と謝ったって、父にコツンと叩かれる頭。
痛くないように、拳で軽く。
「これに懲りたら、二度とやるなよ?」と。
そうなると分かっているのだけれども、ハーレイに届けたい思念。
「美味しいの?」とコーヒーの時間の邪魔をして。
苦いコーヒーよりも紅茶が飲みたい、と我儘も言って。
(きっとハーレイ、来てくれるしね?)
叱られてもいいから、過ごしてみたい幸せな時間。
とっくにパジャマに着替えているのに、ハーレイを呼んで紅茶の時間。
今日のように話しそびれた日の夜、「美味しいの?」と思念を届けて。
それが出来たらと、やってみたいと心は弾んでいるのだけれど…。
(…今のぼくだと、思念波が駄目…)
まるで紡げない、ハーレイに宛てて送る思念波。
社会のルールやマナーが無くても、サイオンが不器用すぎるから。
どんなにハーレイに届けたくても、「美味しいの?」と投げられない質問。
(…ぼくって駄目だ…)
自分の夢だって叶わないよ、とガッカリだけれど、残念だけれど。
今の時代だと、思念波で会話をしないというのが社会のマナー。
そういう時代に生まれたんだし、これでいいよ、と自分に言い訳。
不器用だけれど、社会のマナーが守れる子供。
パパやママだって困らせないよと、後で叱られもしないんだから、と…。
今の時代だと・了
※ハーレイ先生を思念波で呼んでみたいと思ったブルー君。会えなかった日の夜に。
けれども、紡げない思念。自分でも悔しいらしいですけど、社会のマナーは守れますねv