(…ハーレイ、来てくれなかったよ…)
今日は残念、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
仕事の帰りに寄ってくれるかと思った恋人。
前の生から愛したハーレイ。
けれど、鳴らずに終わったチャイム。
時計の針だけがどんどん進んで、気付けば日暮れ。
もうハーレイは来ない時間になっていた。
何度も窓を覗く間に、「来てくれるかな?」と待つ内に。
今日は会えずに終わった恋人。
学校で言葉は交わしたけれども、教師と教え子、そういう会話。
「ハーレイ先生」としか呼べはしなくて、恋人らしい話も出来ない。
だから来て欲しかったのに。
恋人の方の、ハーレイと話したかったのに。
(…話さなくちゃ、って思うことは何も無いけれど…)
前の生での記憶のこととか、出来事だとか。
是非ハーレイに話さなくては、と思うことは何も無かったけれど。
それでも会いたくなる気持ち。
会い損なったら、悲しい気持ち。
(…キスは出来なくても、やっぱり恋人…)
唇へのキスをしてくれなくても、ハーレイは恋人に違いない。
こうして会えずに終わった時には、零れる溜息。
「今日は、ハーレイに会えなかったよ」と。
そのハーレイは忙しいのだし、こんな日だってあるけれど。
学校の会議や、柔道部の指導や、他にも色々。
どれも大切な仕事だと分かっているけれど…。
(…寂しいよ…)
会えなかったよ、と募る寂しさ。
今日はハーレイに会えなかった、と。
夜はすっかり更けてしまって、時計が指している時刻も遅い。
そろそろベッドに入らなければ、と思ったはずみに小さな欠伸。
眠いのかな、と考える間もなく、二つ目の欠伸。
今度はさっきよりも大きな欠伸で、ついでに溢れてしまった涙。
(…夜更かししちゃった?)
涙が出ちゃった、と指で拭った目許。
頬にも伝いかけていたのを、軽い気持ちで。
途端に、フイと掠めた記憶。
遠く遥かな時の彼方で、こうして拭っていた涙。
同じようにベッドに腰を下ろして、けれど悲しみに覆われて。
今とは比べようもない寂しさも抱えて、たった一人で。
(……前のぼく……)
そうだったっけ、と蘇って来た、前の自分のこと。
ソルジャー・ブルーと呼ばれた頃。
あの広大な青の間で一人、何度も涙を拭っていた。
さっき自分がしたように。
チビの自分が「涙が出ちゃった」と、指先で拭っていたように。
(…前のぼくの寿命…)
それが尽きると気付いた時から、何度も零していた涙。
ハーレイがいれば縋れたけれども、いなかった時。
愛おしい人は、船のキャプテンだったから。
青の間で側にいる時よりかは、いない時の方が多かったから。
ブリッジで指揮を執るのはもちろん、他にも幾つもキャプテンの仕事。
一日の終わりには航宙日誌も書いていた。
全て終わるまで、青の間に来てはくれないハーレイ。
それまでの時間は、前の自分は一人きり。
深い悲しみに囚われていても、恋人の胸に縋りたくても。
胸にわだかまる苦しみや辛さ、それを吐き出してしまいたくても。
何度、一人で泣いただろうか。
自分の命はもうすぐ尽きると、いずれ終わると気付いた日から。
夢に見ていた青い星まで、行けはしないと知った時から。
(…地球に着いたら、やりたかったこと…)
数え切れないほどに幾つも描いた、地球への夢。
青い水の星に辿り着いたら、あれをしようと、これもしようと。
ハーレイと二人で約束したこと、「いつか」と「地球に着いたら」と。
その約束はもう、叶いはしない。
自分の命は尽きてしまって、とても地球には行けないから。
焦がれ続けた青い水の星は、夢のままで消えてしまうのだから。
(…地球も、本当に見たかったけど…)
肉眼で捉えたかったけれども、それが出来ないことよりも、もっと。
地球を見られないことよりもずっと、辛くて悲しかったこと。
それが自分の寿命の終わり。
命が尽きたら、一人、逝くしかないのだから。
独りぼっちで真っ暗な道を、死出の旅路を歩いてゆくしかないのだから。
その日が来たなら、終わりが来る。
ハーレイとの恋は消えてしまって、一人きりで旅に出るしかない。
愛おしい人は、その後も生きてゆくのだから。
ハーレイの寿命は、まだまだ先があるのだから。
(…ぼくは一人で…)
行くしかない、と泣きじゃくっていたら、強く抱き締めてくれたハーレイ。
「大丈夫ですよ」と、「私がいます」と。
けして一人にさせはしないと、共に逝くからと。
二人だったら、きっと寂しくはないのだろう。
どんなに暗い道であっても、光など欠片も見えなくても。
二人一緒に歩いてゆくなら、真っ暗な死出の旅だって、きっと。
ハーレイが側にいてくれたならば、一人、歩かずに済むのだったら。
そう思うと心強かったけれど、そのハーレイが側にいない時。
青の間で一人過ごしていた時、何度も襲われた激しい恐怖。
終わりの時は、いつやって来るか分からないから。
こうして一人きりの時なら、どうすることも出来ないから。
(…何か前触れがあればいいけど…)
必ずあるとは限らない。
元から弱い身体なのだし、ある日、突然に終わりが来ても。
ハーレイがブリッジに出掛けてゆくのを見送った後に、倒れないとは限らない。
もしも倒れたら、助けを求める思念も紡げなかったなら…。
(…独りぼっちで…)
死んでゆくことになるのだろう。
部屋付きの係も、朝食の後は掃除などが済めば去ってゆくから。
ソルジャーの邪魔をしないようにと、長居はせずに。
昼食の支度が整うまでは、呼ばない限りは覗きにも来ない。
青の間はとても広いとはいえ、ソルジャーの私室だったから。
プライベートな空間なのだし、用が無い限りは他の者たちも遠慮する。
だから倒れてしまっていたって、誰もそのまま気が付かない。
助けを呼べなかったなら。
命の焔が消えてしまう前に、誰かが青の間に来なかったなら。
(…絶対、無いとは言い切れなくて…)
何度も覚えた、背筋が凍るような感覚。
ハーレイのいない所で、一人きりで死んでゆく自分。
たった一人で死の世界へと放り出されて、暗闇に落ちてゆく自分。
恋人の名前をいくら呼んでも、もう届かない。
暮らす世界が分かれてしまって、ハーレイは何も知らないから。
「ご一緒しますよ」と約束した相手が、もういないこと。
独りぼっちで死んでしまって、魂はもう飛び去ったことを。
多忙な日々を送っているのがキャプテンなだけに、きっと直ぐには気付かない。
気付いた係が駆け付けるまで、ソルジャーの死が知らされるまで。
何度震えたことだろう。
「もし、ハーレイがいなかったら」と。
その時がやって来た時に。
自分の命の灯が消える時に。
(…とても怖くて…)
考え始めただけで怖くて、零れた涙。
それを何度も指で拭っては、「大丈夫」と自分に言い聞かせていた。
「きっとハーレイなら、気付いてくれる」と。
予知能力は持っていなくても、恋人同士の絆があるから。
何かが起こったような気がして、青の間に来てくれるだろう。
魂が身体を離れる前に。
心臓が止まって、息も止まって、身体が冷たくなってゆく前に。
(…だけど、本当に間に合うかどうか…)
そう思う度に震えた身体。
怖くて竦み上がってしまった心臓。
(今すぐ来て、って…)
ハーレイに思念を飛ばしたい気持ちに、何度囚われたか分からない。
「大丈夫ですよ」という温かな声が聞きたくて。
あの強い腕に、逞しい胸に抱き締められて、背中を優しく撫でて欲しくて。
けれど、キャプテンを仕事中に呼ぶなど、用が無ければしてはならない。
何の根拠も無いような恐怖、それに駆られて呼んではならない。
(…いくらソルジャーでも、駄目だ、って…)
そう思ったから、一人で耐えた。
心細くて零れる涙を、自分の指で何度も拭って。
「大丈夫だから」と、「そんなことにはならないから」と。
なのに当たった、前の自分の悲しすぎた予感。
青の間ではなくて、メギドだったけれど。
残り少ない命を自ら燃やし尽くして、一人きりで死んでいったのだけれど。
(…あの時のぼくも、泣きじゃくってて…)
右手に持っていたハーレイの温もり、それを落として失くしたから。
ハーレイとの絆が切れてしまって、独りぼっちになってしまったから。
もうハーレイには二度と会えない、と思ったことを覚えている。
死よりも恐ろしい絶望と孤独、それに包まれて自分は死んだ。
ソルジャー・ブルーだった前の自分は、たった一人で泣きじゃくりながら。
(…前のぼくの涙…)
とても悲しくて、辛かった涙。
青の間で泣いていた時も。
独りぼっちで、メギドで死んでゆく時も。
(…あんなに悲しくて泣いていたのに…)
そういう涙を覚えているのに、今の自分が零した涙。
欠伸と一緒に目から零れて、指先で拭っていた涙。
同じ涙でも、まるで違っている涙。
それを思うと、胸の奥から溢れる幸せ。
今日はハーレイに会い損なったけれども、悲しさも寂しさも、今はそれだけ。
前の自分の悲しい涙も、今は欠伸で出るようだから。
欠伸のはずみに目から零れて、指で同じに拭うのだから…。
欠伸が出たら・了
※欠伸したはずみに、ブルー君の目から溢れた涙。それを指先で拭ったら…。
同じように涙を拭っていたのが、ソルジャー・ブルー。悲しい涙は、もう要りませんよねv