(今日は、ちょっぴり足りないんだけど…)
ぼくの紅茶、と小さなブルーがついた溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
仕事の帰りに寄ってくれるかと思った恋人、ハーレイが来てくれなかった日に。
とっくに夜で外は真っ暗、後は眠るしかない時間に。
(水分は足りてるんだけど…)
喉が渇いたとも思わないから、水差しを持っては来なかったけれど。
でも足りないよ、と思うのが紅茶。
香り高い熱い紅茶が足りない。
(…冷めちゃってる時もあるけれど…)
ハーレイとの話に夢中になる間に、カップの中で冷めてしまって。
ポットから注ぎ入れた時には、火傷するほどに熱くったって。
けれど冷めても美味しいのが紅茶、向かいにハーレイさえいれば。
「おい、冷めてるぞ?」と鳶色の瞳が笑っていれば。
慌ててコクリと飲んだ紅茶が冷たくても、まるで気にならない。
熱かったらもっと美味しいのに、と後悔することも無いのが紅茶。
ハーレイと一緒だったなら。
この部屋の窓辺に置かれた椅子とテーブル、其処で二人で飲んでいたなら。
(紅茶、とっても美味しいのに…)
それに満ち足りた気分になるのに、今日は来てくれなかった恋人。
だから足りない、好きな紅茶が。
ハーレイと二人で飲める紅茶が、いつも二人で飲む飲み物が。
母が運んで来てくれる紅茶、ポットにたっぷり、おかわりの分も。
熱い間も、冷めてしまっても、とても美味しく飲めるのが紅茶。
ハーレイはコーヒー党だけれども、ちゃんと紅茶に付き合ってくれる。
チビの自分はコーヒーが苦手で飲めないから。
ハーレイもそれを知っているから、部屋で二人で飲むなら紅茶。
それが足りない、今日の自分。
喉は乾いていないけれども、紅茶がちょっぴり足りない気分。
ハーレイが来てくれなかった分だけ、二人で飲み損なった分だけ。
(…カップに二杯は足りないよ…)
もっと足りない気もするけれど、と数えるいつものティータイムの紅茶。
仕事の帰りにハーレイがチャイムを鳴らしてくれたら、母が運んで来る紅茶。
ポットにたっぷり、「ごゆっくりどうぞ」と。
熱い紅茶をカップに一杯、最初のは母がポットから注いでゆくけれど。
(ママが部屋から出てった後は…)
おかわりの紅茶を淹れるかどうかは、ハーレイと自分の気分次第。
その日の話の弾み具合で、まるで要らない日もあるし…。
(おかわり気分の時だって…)
冷めちゃった、と慌てて飲んで、代わりにポットから熱いのを。
「ハーレイも飲む?」と注ぐ日もあるし、ハーレイに「飲むか?」と尋ねられる日も。
おかわりの紅茶をカップに淹れたら、暫くの間は湯気を立てるカップ。
ポットの紅茶は冷めていないし、まだ充分に熱いから。
(火傷しそうなほどじゃないけど…)
それでも熱い、と言えるおかわり。
二杯目をカップに注いだ日ならば、其処で紅茶は二杯になる。
ハーレイと二人で飲む紅茶。
あれこれ話して、時には笑い合ったりもして。
二杯、と指を折ったのが紅茶。
今日は二杯目も無かったよ、と。
二杯目どころか一杯目だって、ハーレイと飲んでいないんだけど、と。
(…後は食後で…)
たまにコーヒーの日もあるけれども、夕食の後も大抵は紅茶。
それもハーレイと二人で部屋で飲めるから、食事の前に二杯飲んでいたなら、三杯目。
やっぱり足りない、今日の紅茶は。
二人でゆっくり飲んだ時には、三杯目だって飲めるのに。
今日の紅茶は足りてないよ、と零れる溜息。
こうして数を数えてみたなら、本当に足りていないから。
ハーレイと二人で飲める筈の紅茶、いつも幸せ一杯の紅茶。
それが足りない、三杯分も。
少なめに数えて二杯分でも、飲めなかったハーレイとの紅茶。
もしもチャイムが鳴っていたなら、それだけの紅茶が飲めたのに。
ハーレイと二人で幸せ一杯、熱い紅茶でも冷めた紅茶でも、もう最高の飲み物なのに。
(…うんと幸せな味なんだよ…)
喉を滑ってゆく紅茶。
冷めていたって、向かいに座ったハーレイの笑顔。
それだけで美味しくなる紅茶。
すっかり冷めた紅茶を飲んだら、カップが空になったなら…。
「ハーレイも飲む?」とポットを手にして、熱い紅茶のおかわりを。
そうでなければ、ハーレイが「飲むか?」と尋ねてくれる紅茶のおかわり。
「紅茶、すっかり冷めちまったぞ?」と、「飲むなら、俺が淹れてやろう」と。
ハーレイがポットに手を伸ばしたなら、コクリと頷いて飲む紅茶。
冷めて冷たくなった紅茶を、カップが空になるように。
熱い紅茶を、ハーレイが注ぎ入れられるように。
(ハーレイ、紅茶のポットだって…)
とても上手に扱って注ぐ。
チビの自分は母のようにはいかないけれども、ハーレイの方は母に負けない。
コーヒー党だと聞いているのに、家ではコーヒーを飲む筈なのに。
(きっと、ハーレイのお母さん…)
紅茶のポットの扱い方を、ハーレイに教えた先生は。
「こう淹れるのよ」と、茶葉の扱いだって。
何処から見たって、ハーレイの手は慣れているから。
紅茶のおかわりがたっぷり入ったポットを持つのも、そのポットから注ぐのも。
いつでも慣れた手つきだから。
紅茶を好んで飲む人のように、滑らかに手が動くから。
ホントに凄い、と思うハーレイ。
コーヒー党なのに、好きな飲み物はコーヒーなのに、紅茶も上手に淹れるハーレイ。
茶葉が入った缶を渡したなら、鮮やかに淹れてしまうのだろう。
「ふむ…」と淹れ方を確認して。
茶葉によって変わる、蒸らすための時間。
その茶葉だったらどのくらいなのか、茶葉の種類を確かめて。
(スプーンで掬って…)
ポットに入れたら、沸かしたばかりの熱いお湯。
それを注いで、見極める時間。
頃合いになったら、「よし」と紅茶を、温めてある別のポットへと。
そうでなければ、紅茶がそれ以上濃くならないよう、引き上げてしまって捨てる茶葉。
(淹れ方、色々あるみたいだけど…)
濃くなって来たら差し湯をするとか、色々と。
この部屋でハーレイと紅茶を飲む時は、差し湯が要らない紅茶が届く。
テーブルの上が狭くならないよう、差し湯用のジャグやポットが要らないように。
母がどういう淹れ方をするか、いつも自分は見ていないけれど。
(…ハーレイだったら、分かっちゃうよね?)
紅茶も上手に淹れられるのだ、と慣れた手つきで分かるから。
とても大きな褐色の手は、紅茶のポットの扱いにも慣れているのだから。
(…ハーレイ、ホントに凄すぎるよ…)
料理の腕もプロ級だしね、と思い浮かべたお弁当。
財布を忘れて登校した日に、御馳走になったハーレイの手作り豪華弁当。
「クラシックスタイルなんだぞ」と自慢していた、日本風。
(あんなのも、作れちゃうんだし…)
おまけに紅茶も上手に淹れる。
ハーレイの母が仕込んだのだろう、料理の腕はそうだから。
お菓子作りも、そうらしいから。
「パウンドケーキだけは上手くいかん」と、ハーレイは言っているけれど。
「おふくろと同じ味には焼けん」と、何度も聞いているけれど。
そのハーレイと飲めなかった紅茶、今日は二人で飲み損ねたお茶。
チャイムが鳴らなかったから。
仕事の帰りに寄ってくれずに、そのまま帰ってしまったから。
(紅茶、三杯分も足りない…)
二杯分かもしれないけれど、と思い浮かべる恋人の顔。
来てくれていたら、二人で紅茶が飲めたのに。
幸せを溶かし込んだ飲み物、冷めていたって美味しい紅茶。
ハーレイの笑顔があるだけで。
二人で紅茶を飲んでいられるというだけで。
(…足りないよ、紅茶…)
おやつの時間に飲んだけれども、それでは足りない。
ハーレイと飲む幸せな紅茶が足りない、二杯も、もしかしたら三杯分も。
(いつもハーレイと飲んでるのに…)
今日は足りない、と悲しい気分。
喉は乾いていないけれども、足りない紅茶。
いつもの紅茶が足りていないと、ハーレイと飲めなかったから、と。
(…どんな紅茶でも、気にしないのに…)
冷めていたって、気にしないどころか美味しい紅茶。
ハーレイと二人で飲んでいたなら、テーブルを挟んで向かい合わせに座っていたら。
「飲むか?」と注いで貰ったりして。
「ハーレイも飲む?」と、ポットから注いでみたりして。
その幸せな時間が無かった、いつもの紅茶が足りない今日。
三杯分も足りていないよ、と溜息を零したのだけど…。
(…三杯分…?)
一杯分でも多すぎるくらい、と気付いた紅茶。
今の自分には「いつものこと」でも、それは奇跡の一杯なのだと。
ハーレイも自分も生まれ変わりで、時の彼方で失くした命。
しかも自分は独りぼっちで、ハーレイの温もりさえも失くして。
(…紅茶なんかは、もう飲めなくて…)
会える筈もなかった、愛おしい人。
もうハーレイには二度と会えないと、泣きながら死んだソルジャー・ブルー。
それが自分で、其処で失くしてしまった命。
なのに再びハーレイに会えた、この地球の上で。
また巡り会えて、二人で飲んでいる紅茶。
ハーレイが訪ねて来てくれた日には、平日にだって、二杯、三杯と。
(…一杯分でも、夢みたいな奇跡…)
足りないなんて言っちゃ駄目だ、と分かったから。
いつもの紅茶は奇跡なのだ、と気付かされたから、もう溜息はつかないでおこう。
今日は二杯も足りなくても。
三杯分も足りなかったとしたって、一杯でさえも奇跡の紅茶なのだから…。
いつもの紅茶・了
※今日は足りない、とブルー君が溜息を零した紅茶。ハーレイと二人で飲んでいないよ、と。
けれども、二人で紅茶を飲めることが奇跡。それに気付いたら、溜息はもうつけませんよねv