(うーむ…)
なんて時間だ、とハーレイが浮かべた苦笑い。
土曜日の朝に寝室のベッドで、枕元の時計に手を伸ばして。
薄暗いから、早い時間だとは思ったけれど。
それでも自然に目覚めたわけだし、もう少しばかり…。
(朝らしい時間だと思ったんだがな?)
これじゃ漁師の朝じゃないか、と言いたいくらいに早すぎる時間。
漁師だったら、恐らくはもっと早い時間だろうけれど。
この時間ならば、とっくに海の上だろうけれど。
(…朝一番には魚を水揚げするんだしな?)
漁港の朝は早いものだし、近い所で漁をするなら暗い内から。
急いで魚を獲って戻って、競りの時間に間に合うように。
とはいえ、自分は漁師ではないし、おまけに土曜日。
仕事に出掛ける日ではないから、こんな時間に起きたって…。
(ジョギングするか、ジムで泳ぐか…)
そのくらいしか無いんだがな、と思いながらも起き上がる。
寝不足な気分は全くしないし、とてもスッキリした目覚め。
こういう朝には、ベッドにいても無駄だから。
無為に時間を費やすだけで、何の役にも立たないから。
(はてさて、何をすべきやら…)
走りに行くか、それともジムか。
どっちにしたって、必要なのがエネルギー。
目はパッチリと覚めていたって、眠って心身を休めていたって…。
(腹ってヤツは減っちまうんだ)
まずは朝食、朝はそこから。
栄養補給をしてやらなければ、身体が困ってしまうのだから。
本当になんて時間なんだか、と顔を洗って済ませた着替え。
新聞は届いているのだけれども、外はまだまだ薄明り。
太陽が顔を覗かせる前の、ほんのり白くなった空。
さっき新聞を取りに出た時は、星が幾つか瞬いていた。
(明けの明星ってヤツだよなあ…)
ひときわ明るく光っていた星。
方角からして、あれは金星。
明けの明星、金星と言えばヴィーナスだけれど。
(…あの星は、確かルシファーなんだ…)
神話の時代と言っていいのか、聖書の時代と呼ぶべきなのか。
暁の星と呼ばれたルシファー、後の地獄の王のルシフェル。
天使たちの中でも最も美しいと言われた天使。
けれど起こしてしまった叛乱、ルシファーは天から落とされたという。
いわゆる堕天使、それがルシファー。
(なんだって、今も天にあるんだか…)
金星ってヤツが、と可笑しくなる。
朝食の支度を始める傍ら、「こいつは矛盾してないか?」と。
天から落ちた筈のルシファー、その星が今も空に輝いているなんて、と。
卵を割ってオムレツを…、とコツンとぶつけて器に卵。
こんもりとした黄身を溶きほぐしながら、「そういえば…」と頭に浮かんだ別の星。
「土星も悪魔じゃなかったっけか」と。
サターンなのだし、あれも魔王の星なのだろう。
(…ルシファーもサターンも同じだしな?)
どっちも魔王の名前じゃないか、と考えた夜空の悪魔事情。
土星の方のサターンの由来は、魔王サタンではないけれど。
ギリシャ神話のサトゥルヌスだし、混同されているだけなのだけれど。
分かっていたって、面白い。
二つも悪魔の星があるんだと、なんだって空に悪魔なんだか、と。
そうこうする内に出来た朝食、さて、と座ったいつものテーブル。
トーストをガブリと齧ったはずみに、ふと思い出した夜空の星。
さっき仰いだ星たちの中に、あの星も混じっていたろうかと。
(…ジュピター…)
ギリシャ神話のゼウスの星。
オリンポスに住まう主神ゼウスで、その名がジュピター。
(…前の俺たちは、あそこにいたんだ…)
遠く遥かな時の彼方で、この地球からも見えるジュピターの側に。
多分、あそこが始まりの星。
アルタミラは其処にあったのだから。
今は失われたガリレオ衛星、それがガニメデだったから。
(…アルタミラはガニメデの育英都市で…)
前の自分が生まれた場所。
それにブルーも、ゼルにヒルマン、エラやブラウといった仲間たちも。
成人検査でミュウと判断され、全て失くしてしまったけれど。
人間として生きる権利も、成人検査より前の記憶も失ったけれど。
それでも故郷で、今は無い星。
ガリレオ衛星の中の一つの、ガニメデは滅ぼされたから。
アルタミラもろともメギドに焼かれて、砕けて消えてしまったから。
(前の俺たちは、あそこから逃げて…)
命からがら脱出した船、行き先も何も決めないままで。
地球の座標も知らなかったし、近くにあるとも知らないままで。
ただ闇雲に飛び出した宇宙、離れてしまったソル太陽系。
暗い宇宙を長く旅して、雲海の星アルテメシアや、赤いナスカに潜み続けて…。
(またジュピターを目にした時には…)
其処で起こった最後の戦い、ミュウは勝利を収めたけれど。
地球への道が開けたけれども、その時には、もうシャングリラには…。
(…あいつ、乗ってなかったんだ…)
前の自分たちを救ったブルー。
メギドの炎で滅びゆく星から、燃えるアルタミラの地獄から。
空まで赤く染まった地獄でブルーと出会った。
前のブルーに命を救われ、他の仲間も誰もが同じ。
そしてアルタミラを後にしてからも、ブルーが皆を生かしてくれた。
雲海の星、アルテメシアに辿り着く前も、アルテメシアを追われた後も。
(…あいつがメギドを沈めたから…)
赤いナスカが滅ぼされた時、メギドの炎に焼かれずに済んだシャングリラ。
ミュウの箱舟、ミュウたちの未来を乗せていた船。
前のブルーはそれを救って、独りぼっちで宇宙に散った。
焦がれ続けた地球に着けずに、青い水の星を見ることもなく。
(…地球は青くはなかったんだが…)
青いと信じた前の自分たち。
ジュピターの側で戦った時も、「此処まで来た」という思い。
これでシャングリラは地球に行けると、ようやく旅の終わりが見えたと。
なのにブルーは、もういなかった。
誰よりも地球に焦がれ続けて、行きたいと夢を見ていたブルーは。
(あいつのお蔭で、俺たちはあそこまで行けたのに…)
始まりの星に戻って来たのに、シャングリラに乗っていなかったブルー。
遠く離れたジルベスター星系、其処でブルーは散ったから。
髪の一筋も残さないまま、ブルーはいなくなったから。
(あいつが船に乗っていたなら…)
きっと誰よりも喜んだだろう、始まりの星に戻れたことを。
やっと開けた地球に続く道を、ミュウの未来が、あのジュピターから始まることを。
ジュピターは因縁の星だったから。
前の自分たちは其処から旅立ち、今度は其処から青い地球へと向かうのだから。
しかし、乗ってなかったんだ、と噛んだ唇。
シャングリラにブルーは乗っていなくて、共に喜べはしなかった。
もしもブルーが乗っていたなら、手を取り合うことも出来ただろうに。
地球へと向かってワープする前に、「やっと此処まで来られました」と。
きっとブルーも、その手を握り返してくれた。
恋人の顔は出来ないままでも、「ありがとう」と。
ソルジャーとしての労いの言葉、それに激励。
「地球に着くまで気を抜かないで」と、「このシャングリラをよろしく頼む」と。
前の自分はキャプテンだったし、けして不自然ではない遣り取り。
始まりの星へやっと戻って、地球へ旅立つ前だったなら。
(…それなのに、あいつ…)
いなかったんだ、と零れた涙。
ブルーを乗せて戻れなかったと、始まりの星のジュピターまで、と。
(…あいつ、俺たちを守り続けて…)
逝っちまった、と涙が零れるけれど。
思い出したら、もう止まらないのが悲しみの涙なのだけど。
(…前のあいつは…)
ジュピターまでも戻れはしなくて、地球への道も見られなかった。
それを思うと悔しいけれども、そのブルーは…。
(…帰って来たんだっけな、地球に…)
無かった筈の青い地球に、と気付いた今のブルーの存在。
少年になってしまったブルー。
蘇った青い地球に生まれて、今日は自分を待っている筈。
この時間なら、きっとベッドでぐっすり眠っているだろう。
今日に備えて目覚ましをかけて、ブルーの家のベッドの中で。
(…そうだっけな…)
会えるんだよな、と浮かんだ笑み。
今日はブルーを抱き締めてやろう、そして甘やかしてやろう。
あいつに会える、と気付いた途端に、悲しみの涙は幸せの涙に変わったから。
愛おしい人は戻って来たから、今日はブルーに会えるのだから…。
あいつに会える・了
※明けの明星から、ジュピターを思い出してしまったハーレイ先生。地球への最後の戦いも。
けれど、あの時はいなかったブルーに会えるのが今。甘やかしたくもなりますよねv