(今日も見事に膨れてたってな)
そりゃあ見事に、とハーレイがクッと漏らした笑い。
ブルーの家へと出掛けて来た日の夜、いつもの書斎で。
マグカップに淹れたコーヒー片手に、クックッと。
(何度言ったら分かるんだか…)
あのチビは、と小さなブルーを思い出す。
キスを強請って来たブルー。
何度も「駄目だ」と叱っているのに、唇へのキスを。
(子供のくせに…)
十四歳にしかならないブルーは、まだ子供。
恋人同士のキスを交わすには早すぎるから、唇にキスは贈らない。
頬と額だけ、そう決めたのに。
前のブルーと同じ背丈に育つまでは、と何度も言って聞かせているのに…。
(懲りないってトコが子供なんだ)
それに、断られたら「ケチ!」と怒り出すことも。
プウッと膨れてしまうのも。
きちんと育った大人だったら、あんな風には膨れない。
同じようにキスを断られたって、膨れる代わりに大粒の涙。
いったい何がいけなかったかと、嫌われるようなことをしたのかと。
(そっちだったら、俺だって…)
懸命に慰めにかかるだろう。
キスが出来ない理由を話して、零れる涙を拭ってやって。
(…俺が風邪でも引いているとか、そういうのだな)
育ったブルーとキスをしないなら、理由は多分、その程度。
風邪は滅多に引かないけれども、引いたとしたって軽いけれども。
前と同じに育ったブルーにキスをしないなら、風邪くらい。
うつしてしまうと大変だから、と。
けれどブルーは知らずに強請って、勝手に泣き出しそうだから。
「ぼくを嫌いになってしまった?」と大粒の涙を零しそうだから、愛おしい。
きっと抱き締めてしまうだろう。
「すまん」と、「俺が悪かったよな」と。
育ったブルーに泣かれたら。赤い瞳から、真珠の涙が零れたら。
(…あいつが一人前の恋人だったら、そうなるんだが…)
生憎と小さなブルーは子供。
真珠の涙を零す代わりに、プウッと膨らませてしまう頬っぺた。
「ハーレイのケチ!」とプンスカと。
唇を尖らせて、プンプンと。
(まるでフグみたいになっちまうんだ)
そういや、前に…、とプッと吹き出す。
キスを狙って悪だくみをしたブルーの頬を、両手で潰してやった時。
(…ハコフグって呼んでやったんだっけな)
その日は一日、小さなブルーをハコフグと呼んだ。
膨れた頬っぺたをギュッと潰したら、ハコフグになったものだから。
海の中で出会ったハコフグの姿、それが重なったものだから。
(今日のあいつも、見事なフグだぞ)
フグと呼ぶのを忘れちまったが、と膨れっ面のブルーを想う。
そう呼んだならば、もっと膨れてしまいそうだけれど。
「酷い!」と怒って、唇をもっと尖らせて。
ますますフグに似てしまうのに。
膨れっ面になればなるほど、フグそっくりの顔になるのに。
(今のあいつは、フグでハコフグ…)
そんなトコだ、と本物のフグとブルーの顔を重ねてみる。
フグにしては可愛すぎるだろうかと、赤い瞳のフグもいないな、と。
(でもまあ、あいつにはフグが似合いで…)
次に膨れたら「フグ」と呼ぶか、と考えていたら、ヒョイと頭に浮かんだ水槽。
本物のフグが泳ぐ水槽、水族館などで何度も目にした。
あの中にブルーが泳いでいたなら、自分はブルーに気付くだろうか?
膨れっ面のブルーではなくて、本物のフグの姿のブルー。
目の前をスイスイ泳いでゆくだけ、赤い瞳もしていないブルー。
(…分かるのか、俺は?)
ガラスで隔てられた向こうにブルーがいると。
前の生から愛した恋人、愛おしい人が其処にいるのだと。
(…フグになっても…)
分かるのだろうか、ブルーを見分けられるだろうか。
フグに聖痕がありはしないし、第一、フグは喋らない。
思念波だって持ってはいなくて、水槽の中を黙って泳いでいるだけで…。
(それでも、俺は…)
きっと分かる、という気がした。
ブルーの方でも、きっと気付いてくれるだろう。
水槽の前に張り付いていたら、泳ぐブルーを見詰めていたら。
(ガラスをコツンと叩かなくても…)
こちらに泳いで来てくれる。
フグの瞳は、赤い瞳ではないけれど。
前のブルーとフグは少しも似ていないけれど、それでもブルー。
きっと自分は捕まるのだろう、水槽の中を泳ぐブルーに。
本物のフグに生まれ変わったブルーでも。
違いないな、と自分でも分かる。
ブルーがどんな姿になっても、きっと出会えるだろうから。
見付けて、記憶を全て取り戻して、ブルーに恋をする筈だから。
たとえブルーがフグになっても、水族館の水槽越しに出会っても。
(はてさて、ブルーがフグの場合は…)
どうしたもんか、と想像してみるブルーとの恋。
いくらブルーが気付いてくれても、人間とフグの恋となったら…。
(障害ってヤツが山ほどで…)
チビのブルーとは比較にならん、と簡単に分かってしまうこと。
住んでいる世界が違うから。
ブルーは水の世界の住人、自分は水の中では息が全く出来ない人間。
ほんの短い逢瀬だったら、水の世界で会えるけれども…。
(…俺が潜っていられる間だけしか…)
ブルーの側にはいられない。
シールドを使えば長く潜っていられるとしても、それではブルーに触れられない。
自分の周りに閉じ込めた空気、それが間に挟まるから。
(それに、シールドが無かったとしても…)
フグのブルーに触れられる時間は僅かなもの。
人間と魚の体温は違って、長い間、抱き締めていたならば…。
(…ブルーが火傷をしちまうんだ…)
そして弱って、きっと長くは生きられない。
迂闊にキスも贈れはしないし、触れ合うことも難しいブルー。
(水槽の中に潜るのだって…)
許可が出るのか、それも怪しい。
ただの客だし、職員などではないわけだから。
(ブルーを貰って帰るのも…)
難しいだろうし、貰えたとしても上手に世話が出来るのかどうか。
金魚だったらマシだけれども、フグなのだから。
フグを飼うのは、素人の自分には無理だろう。
海水を入れた水槽は用意出来たとしたって、その後のこと。
水族館の職員のようにフグの飼育のプロではないから、日に日に弱ってゆきそうなブルー。
(それでも、あいつは…)
きっと文句を言いもしないで、幸せそうに泳ぐのだろう。
水族館でしか会えなかった頃より、ずっと嬉しそうに、幸せそうに。
やっと一緒に暮らせるのだと、もう離れなくて済むのだからと。
(…どんなに弱っちまっても…)
ろくに泳げなくなってしまっても、ブルーはきっと水族館には帰らない。
「お前にはあそこの方がいいんだ」と言い聞かせたって、連れて行こうと用意したって。
フグは言葉を喋れないけれど、それでもブルーの気持ちは分かる。
「ぼくはこのまま、此処にいたいよ」と、「水族館には戻りたくない」と。
弱り切って命が尽きる時にも、静かに眠りに就きそうなブルー。
「幸せだったよ」と言うように。
「水族館にいた時より、ずっと幸せ」と、「ハーレイに会えて嬉しかった」と。
水族館から連れ出したのは、弱らせたのは自分なのに。
あのまま水槽で泳いでいたなら、もっと寿命があっただろうに。
(…それでも、あいつは満足なんだ…)
それに自分も、悔やみながらも、涙を幾つも零しながらも、何処かで満足しているのだろう。
ブルーに巡り会えたから。
ほんの短い間だけでも、ブルーと一緒に暮らせたから。
水の世界と、水の外の世界に隔てられても。
フグのブルーが暮らす世界と、自分の世界が重ならなくても。
(…会えただけでも、幸せなんだ…)
もう一度ブルーと恋が出来たら、それだけで。
フグのブルーの命が尽きても、その日が来るまでに重ねた思い出。
また会えたのだと弾んだ心や、一緒に暮らそうとブルーを連れて帰った日やら。
幸せな恋の日々を生きたし、ブルーも幸せだったのだから。
(…うん、フグのあいつでも恋は出来るな)
どんなあいつでも恋は出来る、と揺らがないブルーへの想い。
たとえフグでも、二人の世界が重ならなくても、恋は出来ると。
きっと出会って恋をするのだと、何処までもブルーを追ってゆけると。
フグのブルーがいなくなったら、次のブルーを見付け出す。
何処かに生まれ変わったブルーを、前の生から愛し続けてやまない人を。
(…小鳥だろうが、またフグだろうが…)
ブルーを見付けて恋をするけれど、幸せに過ごしてゆけそうだけれど。
(今のあいつが一番だってな)
前と同じに恋が出来るし、何の障害も無いわけだし…、と浮かべる笑み。
膨れっ面のフグだけれども、小さなブルーは人間だから。
どんなブルーでも恋をするけれど、人間同士の恋が一番、幸せになれる筈だから…。
どんなあいつでも・了
※ブルー君がフグだとしたって、恋をするのがハーレイ先生。水族館のガラス越しでも。
どんな姿でも恋して大切にするでしょうけど、今のブルー君が一番ですよねv
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