(ハーレイ、帰って行っちゃった…)
独りぼっち、と小さなブルーがついた溜息。
ハーレイと過ごした休日の夜に、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
「またな」と帰ってしまったハーレイ。
夕食の後のお茶が済んだら、「また来るから」と。
そう言って立ち上がられてしまったら、二人きりの時間はもうおしまい。
(表まで送って行けたって…)
其処でお別れ、門扉の前で。
二人並んで庭を歩いて、表の通りに出てしまったら。
街灯が灯る通りに出たなら、後は見送ることしか出来ない。
「またな」と手を振るハーレイを。
大きな背中が去ってゆくのを、大股で歩いて行ってしまうのを。
(…ぼくも一緒に帰りたいのに…)
連れて帰っては貰えない。
「早く入れ」と言われるだけ。
ハーレイがこちらを振り返っても。
足を止めてこちらを向いてくれても、「来るか?」とは言って貰えない。
「もう遅いから」と促されるだけ。
いつまでも手を振っていないで、早く家へと入るようにと。
庭に入って門扉を閉めろと、子供は家に入って寝ろ、と。
(…そりゃ、子供だけど…)
子供なんだけど、と悔しい気持ち。
ぼくも一緒に帰りたかったと、ハーレイと帰りたいのに、と。
けれど許してくれないハーレイ。
いつも「またな」と帰ってゆくだけ、「また来るから」と言われるだけ。
自分の家と、ハーレイの家は違うから。
ハーレイが「またな」と帰ってゆくのは、ハーレイのための家だから。
(…ぼくの家じゃないから…)
連れて帰っては貰えない。
自分の家なら、ちゃんと帰ってゆけるのに。
「またな」と置いてゆかれる代わりに、一緒に帰って「ただいま」と入る。
家はそういうものだから。
玄関に誰も見当たらなくても、「ただいま」と帰る場所だから。
(…この家も、そう…)
学校から家に帰った時には、玄関先で「ただいま」の言葉。
奥の方から、母の声が返って来なくても。
母は庭だと分かっていたって、やっぱり「ただいま」と入る家。
此処は自分の家だから。
家は自分を待っていたから、「ただいま」と声を掛けるもの。
「帰って来たよ」と、この家にだって。
素敵な時間を自分にくれる家だから。
優しい両親も、美味しい食事も、この家とセット。
暖かな家で、幸せな家。
小さな頃からずっと幸せ、泣きべそをかいてしまった時も。
転んで泣いてしまった時でも、涙を止めてくれた家。
「大丈夫?」と、母が抱き締めてくれて。
父が「ちょっとしみるぞ」と、傷薬を塗ってくれたりして。
幸せな時間に包み込まれて、消えていった痛み。
涙だって溶けて消えてしまった、幸せの中に。
「ただいま」と帰って来られる家。
どんな時でも、暖かく迎えてくれる家。
ちょっぴり泣きべそをかいていたって、俯いて帰った時だって。
(ぼくの家、ちゃんとあるけれど…)
幼い頃から変わらないまま、この場所に今もあるのだけれど。
(…帰りたいよ…)
ハーレイと一緒に帰りたいよ、と零れてしまう小さな溜息。
この家とは違う、ハーレイの家に。
自分のものではない家に。
ハーレイが「またな」と帰ってゆく度、「帰りたいな」と思ってしまう。
自分の家は此処にあるのに。
この家が自分の家なのに。
(…パパがいて、ママも、ぼくの部屋だって…)
自分の家だから、此処に揃っている全て。
大好きな父も、それから母も。
お気に入りの部屋も、両親と過ごすダイニングやリビング、家を取り巻く庭だって。
何もかもが此処に揃っているから、幸せな時間をくれる家。
これから眠るためのベッドも、眠りを包んでくれる空気も。
(…全部、この家にあるんだけれど…)
だから自分は幸せだけれど、それでも帰りたい気持ちが消えない。
家は此処しか無いというのに。
他に自分の家などは無くて、帰れるわけがない筈なのに。
(…でも、ぼくも…)
帰りたいな、と帰ってしまった恋人を想う。
「ぼくも一緒に連れて行って」と、「一緒に帰りたいのに」と。
ハーレイの家へ、二人一緒に。
「ただいま」と二人で玄関を開けて。
無理だと分かっているけれど。
そんな望みは叶わないけれど、帰りたい気持ちは消えてくれない。
ハーレイが「またな」と帰ったら。
この家にポツンと置いてゆかれたら、帰りたくなるハーレイの家。
自分の家は此処にあるのに、此処が自分の家なのに。
ハーレイの家はハーレイのもので、この家とはまるで違うのに。
(でも、帰りたいよ…)
この家もとても大切だけれど、幸せに暮らせる家なのだけれど。
優しい両親も、美味しい食事も、自分だけのための小さなお城もあるけれど。
(…それじゃ、足りない…)
前には足りていたんだけどな、と零れる溜息。
ちゃんと幸せだったのに、と。
帰りたい家は此処だけだったし、他の家は要らなかったのに、と。
(…ぼくって、欲張り…?)
幸せな家を持っているのに、その家だけでは足りないだなんて。
もう一つ欲しいと考えるなんて、ハーレイの家も欲しいだなんて。
(…やっぱり、欲張りなんだよね…?)
もっと、もっと、と欲しがる子供。
ショーウインドウの前で駄々をこねる子、そんな子供と変わらない。
「あれも欲しい」と、「あれも買って」と。
あれをちょうだいと、あれが欲しいと。
オモチャは充分持っているのに、お菓子だって沢山食べたのに。
それでも欲しいと、大騒ぎしている小さな子供。
きっと自分も似たようなもので、子供の我儘。
幸せな家なら持っているのに、もう一つ欲しいと思うのだから。
ハーレイの家も欲しいと思って、「これじゃ足りない」と不満なのだから。
(ぼくって、我儘…)
それに子供だ、と思うけれども、帰りたい家。
ハーレイと一緒に帰れる家。
「ただいま」と二人で玄関を開けて、灯りを点けて。
一息ついたら、ハーレイはコーヒーを淹れるのだろう。
「お前はコーヒー、苦手だしな?」などと、からかいながら。
「こいつでいいだろ?」と、紅茶を淹れてくれたりして。
(…そういう家に帰りたいのに…)
駄目なんだよね、と悲しい気分。
ハーレイの家はハーレイのもので、「またな」と言われたら、もう帰れない。
「一緒に来るか?」と言って貰えたら、二人で帰ってゆけるのに。
幸せな家に二人で入れて、独りぼっちにはならないのに。
(…ハーレイのこと、好きになっちゃったから…)
だから欲張りになっちゃった、と分かってはいる、欲張りになってしまった原因。
前の自分の記憶が戻って、またハーレイと巡り会えたから。
消えてしまった恋の続きを、今の自分が生きているから。
(…前のぼくの記憶が戻る前なら…)
この家があれば充分だったし、もっと欲しいとは思わなかった。
もう一つ家が欲しいだなんて。
幸せな家がもっと欲しいと、「帰りたいよ」と欲張ったりはしなかった。
なのに今では我儘な子供、もう一つ欲しいと思う家。
ハーレイと二人で「ただいま」と帰れる、幸せな家が欲しくなる。
欲しくても、それは貰えないのに。
ハーレイは「またな」と帰ってゆくだけ、「来るか?」と言ってはくれないのに。
けれど、欲しくてたまらない家。
今はハーレイしか帰れない家、ハーレイだけのために建っている家。
欲しくて欲しくてたまらないのに、いつも自分は「またな」と置き去り。
今日もそうだし、その前だって。
これから先も、置いてゆかれる。
ハーレイが帰る時間が来たら。
「また来るから」と椅子から立ち上がったら。
自分の家は此処にあるから、ポツンと一人で残されてしまう。
「早く入れよ?」と促されて。
ハーレイだけが帰ってしまって、自分は此処に一人きり。
優しい両親が一緒でも。
自分のための小さなお城の、この部屋で幸せに暮らしていても。
(…ぼくの家、もう一つ、欲しいのに…)
ハーレイと「ただいま」と帰りたいのに、その家は手に入らない。
チビの自分は置いてゆかれて、ハーレイを見送るだけだから。
門扉を閉めて中に入るしかなくて、ハーレイだけが帰ってゆくから。
(…ハーレイの家に帰りたいのに…)
小さな自分は帰れない。
いつかハーレイと結婚するまで、「一緒に住むか?」と言って貰えるまで。
いくら溜息を零しても。
「帰りたいよ」と、ハーレイに瞳で訴えてみても。
(……酷いよね……)
ハーレイのケチ、と思うけれども、どうやら自分も欲張りだから。
幸せな家を持っているくせに、もっと欲しいと駄々をこねている子供だから…。
(…どっちもどっち…)
ハーレイはケチで、ぼくは欲張り、と部屋の中をぐるりと見回してみる。
家はあるけど、これじゃ足りないと。
もっと欲しいけど、それは欲張り、と。
けれど帰りたい、ハーレイの家。
「ただいま」と二人で言いたいから。幸せな家に、二人で帰ってゆきたいから…。
家はあるけど・了
※幸せな家を持っているのに、もっと欲しくなるブルー君。「帰りたいよ」と。
ハーレイ先生と一緒に帰れるようになるまで、きっと我儘一杯。それも幸せですけどねv