(今夜も置いて来ちまったんだが…)
連れて帰れはしないからな、とハーレイが思い浮かべた恋人。
十四歳にしかならない小さなブルー。
二人で過ごした休日の夜に、いつもの書斎で。
(…どんなに見詰められてもなあ…)
あいつの家は別なんだし、と傾ける愛用のマグカップ。
中身はブルーの苦手なコーヒー、今日は朝食の時に飲んだだけ。
朝食の後は、歩いて出掛けて行ったから。
コーヒーが苦手な恋人の家へ、小さなブルーが待つ家へと。
一日、一緒に過ごしていたから、コーヒーは無し。
基本的には出ないコーヒー、ブルーの家では。
(お母さんたちも心得てるしな?)
コーヒーは駄目、と。
小さなブルーは飲めないから。
飲みたがっても、そのままで飲めはしないコーヒー。
(ミルクたっぷり、砂糖もたっぷり…)
ホイップクリームもこんもりと入れて、ようやっと飲めるコーヒーになる。
愛おしい小さな恋人の舌は、今も昔も変わらない。
前のブルーもそうだった。
「ぼくも飲むから」とコーヒーを強請って、いつも「苦い」と顰めた顔。
だから砂糖とミルクをたっぷり、ホイップクリームもこんもりと。
(…あんな飲み方になるんじゃなあ?)
コーヒーは出さないのが吉だ、と熱いコーヒーの味と香りを楽しむ。
「今日は朝から御無沙汰だった」と。
今は書斎でコーヒータイム。
心安らぐ時なのだけれど、やっぱり浮かぶ恋人の顔。
帰り際に「またな」と手を振った時の。
「また来てね」と見送りに出て来た時の。
今日は歩いて出掛けたのだし、帰りも歩き。
ブルーの家の庭を横切り、門扉を通って表の通りへ。
もちろんブルーはついて来た。
門扉を通って、街灯が灯る通りまで。
(…ついて来たいのは分かるんだがなあ…)
ブルーは口にしないけれども、心に抱えている思い。
「ぼくも一緒に帰りたいよ」と、「連れて帰って」と。
ぼくだけを置いて帰らないでと、ぼくも帰る、と。
(しかし、そいつは早すぎるってな)
あいつの家は別なんだから、とブルーの家を考える。
何ブロックも離れた所で、声も届きはしない家。
けれど、ブルーの家は其処。
両親と暮らす暖かな家で、本当だったら幸せ一杯。
「帰りたいよ」と、別の家など求めずに。
ブルーくらいの年頃ならば。
まだまだ遊びたい盛りの子供で、十四歳にしかならない子供。
(あいつのお父さんたちだって…)
きっと、そういうつもりだろう。
自分たちの息子は小さいのだから、手元でたっぷり可愛がって、と。
美味しい食事や、甘いお菓子や、ブルーが欲しがる本などや。
何でも与えて可愛がりたい、大切に育てたい子供。
我儘だろうが、おねだりだろうが、ブルーの望みは叶えてやって。
両親と暮らしているブルー。
暖かな家で、幸せに。
(幸せ一杯の筈なんだがなあ…)
もしもブルーが、前のブルーでなかったら。
遠く遥かな時の彼方で恋をしていた、ソルジャー・ブルーでなかったら。
もしも記憶が戻らなかったら、ブルーが欲しがる家は一つだけ。
両親と暮らす、あの家だけ。
他に欲しいと思いもしないし、「帰りたい」とも思わない。
家はきちんとあるのだから。
両親といつも一緒に暮らして、幸せを沢山、沢山貰って。
(…今のあいつも幸せなんだが…)
充分、幸せな子供だと思う。
コーヒーは苦手と分かっているから、出来るだけコーヒーは出さない両親。
(俺がコーヒー党だってことは、百も承知だというのにな?)
それを出したら、小さなブルーも飲みたがるから。
苦くて飲めもしないのに。
ミルクと砂糖とホイップクリーム、それがブルーの飲み方なのに。
「ぼくもコーヒー!」と欲しがるブルー。
「みんなと一緒のコーヒーがいいよ」と、「ハーレイもコーヒーなんだもの」と。
そうならないよう、出ないコーヒー。
羨ましがった小さなブルーが、悲劇に見舞われないように。
「やっぱり飲めない…」とションボリしょげてしまわないように。
きっと自分がいない時には、コーヒーを飲むだろうブルーの両親。
ブルーの母が淹れるコーヒー、その味は絶品なのだから。
(滅多に出ては来ないんだがな?)
余程コーヒーが合いそうな夕食、それが出て来た時くらいしか。
けれど、コーヒーの美味しさで分かる。
「きっと普段は飲んでるんだ」と、「俺がいる日は控えるんだな」と。
小さなブルーのためを思って、コーヒーを控えている両親。
食後にコーヒー、と飲みたくなっても、ブルーのために。
「コーヒーを飲むなら、また今度」と。
小さなブルーが欲しがらないよう、「苦いよ」と困らないように。
(…それだけ愛されているんだがなあ…)
本当にいいお父さんたちなのに、と浮かんだ苦笑。
「なのに、あいつは帰りたがるんだ」と、「あいつの家は、ちゃんとあるのに」と。
贅沢なヤツだと、あいつは充分、幸せなのに、と。
優しい両親と暮らす、暖かな家。
普通の子供なら充分満足、きっと「出たい」とは言わない家。
サマーキャンプや合宿などで出掛けたとしても、「帰りたくない」とは思わない家。
どんなに楽しく遊んでいても、家も家族も忘れていても。
(俺にだって覚えはあるからな?)
子供時代の、そういった時。
ふとしたはずみに、「帰りたいな」と思った記憶。
合宿なども楽しいけれども、家での食事や会話もいいな、と。
(…直ぐに忘れてしまうんだが…)
友達に呼ばれたら、その瞬間に。
アッと言う間に家のことなど忘れてしまって、楽しい時間にすっかり夢中。
それでも、消えはしない家。
楽しい時間が終わった後には、其処に帰ってゆける家。
家に帰ったら、家ならではの素敵な時間。
(…しかし、ブルーの場合はなあ…)
ちょっと事情が違うからな、と苦笑い。
「俺のことさえ、思い出さずにいたならな」と。
前のブルーが持っていた記憶、それが戻らなかったなら、と。
なまじ記憶が戻ったばかりに、小さなブルーが見付けた恋人。
見付けて出会って、また恋をした。
前のブルーが恋した通りに、そのまま記憶を引き継いで。
好きだった人にまた会えたのだと、また恋をしてもいいのだと。
(…恋をするにも早すぎるのに…)
まだまだそんな年ではないのに、ブルーが落ちてしまった恋。
だから一緒に帰りたがる。
両親と暮らす暖かな家があるというのに、「連れて帰って」と。
「ぼくも一緒に帰りたいよ」と、別れの度に目で訴えて。
そんなこと、出来はしないのに。
小さなブルーを連れて帰れはしないのに。
(…あいつの家も、あいつの家族も…)
あそこにちゃんとあるんだから、と分かっているから、知らん顔。
ブルーがどんなに見詰めていたって、「帰りたいよ」と赤い瞳が揺れていたって。
「またな」と軽く手を振ってやって、それでお別れ。
ブルーを連れては帰れないから。
小さなブルーの家も家族も、あそこにきちんとあるのだから。
(あいつを連れて帰れるとしたら…)
そいつはずっと先のことだな、と傾けるコーヒーが入ったカップ。
まだまだ先だと、その日は当分来ないんだが、と。
(…あいつの家族が、一人増えないと…)
でないと駄目だ、と分かっている。
ブルーの家族が、帰ってゆく家が、もう一つ増えてくれないと。
「この家もブルーが暮らす家だ」と、誰もが思う日が来てくれないと。
つまりは、もう一人、新しい家族。
それをブルーが手に入れないと。
今は家族に数えられない、自分が家族に加わらないと。
(…あいつ、全く分かっちゃいないな)
その辺のことは、とクックッと笑う。
「早くハーレイと結婚したいよ」が口癖のくせに、その意味は分かっていないんだ、と。
もう一人、家族が増えるのだと。
両親の他にも一人増えるから、その時は家も一つ増えると。
「帰りたいよ」とブルーが見詰める、この家もブルーの家になる。
それに全く気付いてないなと、チビだからな、と。
(結婚するのと、俺と一緒に帰るのと…)
たまには結び付くのだろうけれど、普段はきっと気付かないブルー。
だから見送りに出て来る度に、「帰りたいよ」と訴える瞳。
(…もう何年かの我慢だ、我慢)
そしたら連れて帰ってやるから、とコーヒーを喉に送り込む。
今は家族がいるだろ、と。
それが増えるまで我慢しておけと、俺が家族になる時までは、と…。
家はあるのに・了
※暖かな家も、優しい両親もいるというのに、「帰りたいよ」と見詰めるブルー君。
けれど、連れて帰ってやれないのがハーレイ先生、家族じゃないのに無理ですよねv