(今夜は、ちょっぴり…)
冷えるみたい、と小さなブルーが見回した部屋。
ハーレイが来てくれなかった日の夜、夕食を食べて戻って来て。
まだ充分に暖かいけれど、部屋に戻って来る途中。
階段の空気が冷たかったし、廊下も少し。
暖かい空気は上に昇るから、二階はまだまだ暖かいけれど…。
(ママも冷えるって言っていたしね?)
早めにお風呂に入りなさい、と夕食の時に言っていた母。
明日の朝は冷えるという予報だから、暖かくして寝なさい、と。
(…ぼくの部屋、まだ暖かいけど…)
その内に冷えて来るのだろう。
今の季節にはありがちなことで、気の早い冬の使者の先触れ。
冬が来るのはずっと先なのに、秋の天気は気まぐれだから。
不意に降り出す天気雨とか、くるくると変わりやすいのが秋。
空模様と同じに変わるのが気温、冷える夜やら、汗ばむような昼間やら。
(…暖かすぎる方はいいんだけれど…)
冷える夜の方は注意信号、と自分でもちゃんと分かっている。
ほんの小さな子供の頃から、繰り返し注意されたから。
「夜更かしは駄目」と、「早く寝なさい」と。
もっと遊んでいたい日だって、母にお風呂に入れられた。
温まったら、直ぐにベッドへ。
湯冷めしたなら、風邪を引くから。
早めのお風呂で温まるどころか、逆に身体が冷えるから。
子供時代はそうだったけれど、今も冷える日は注意しないと駄目なのだけれど。
(…注意信号の意味…)
変わっちゃった、と眺めた右手。
これが問題、と。
今年の春まで、まるで知らずに過ごした自分。
前の自分が存在したこと、自分が生まれ変わりなことを。
けれども今は知っているから、冷える夜には気を付けること。
恐ろしい夢に襲われないよう、メギドの悪夢を見ないよう。
(…右手が冷えたら…)
あれを見ちゃう、とキュッと握った小さな右手。
今は温かくて、握れば体温を感じるけれど。
もっと強くと握り締めたら、手の中が熱くなるけれど。
(…前のぼくの手…)
前の自分が持っていた手は、命の終わりに凍えてしまった。
最後まで持っていたいと願った、愛おしい人の温もりを失くして。
前の自分が恋したハーレイ、その腕から貰って行った温もりを落としてしまって。
メギドでキースに撃たれた痛みで、落として消えてしまった温もり。
ハーレイとの絆は切れてしまって、メギドで独りぼっちになった。
二度とハーレイには会えはしないと、泣きじゃくりながら死んでいった自分。
右手がとても冷たいと泣いて。
凍えた右手が悲しすぎて。
(…ハーレイには、また会えたんだけど…)
青い地球に二人、生まれ変わって巡り会えたから戻った記憶。
前の自分は誰だったのかも、誰を愛していたのかも。
それは嬉しいことだけれども、今もハーレイが好きだけれども。
(…ぼくの右手は…)
ちょっと厄介になっちゃった、と零れる溜息。
右手が冷えたら、メギドの悪夢に襲われるから。
前の自分の悲しい最期が、目の前にまざまざと蘇るから。
泣きながら目が覚める夢。
とても怖いと、独りぼっちだと。
気まぐれに来る秋の冷え込み、それが何度も運んだ悪夢。
悩まされていたらハーレイがくれた、とても素敵なプレゼント。
冷える夜には、右手にはめるサポーター。
医療用のそれは薄い素材で、けして眠りを妨げはしない。
おまけに、とても頼もしいもの。
ハーレイが右手を握ってくれている時の力加減。
それと同じに出来ているから、ハーレイの手が其処にあるよう。
(…今夜は、あれを忘れずに…)
つけなくっちゃ、と取り出した。
ハーレイに貰ったサポーター。
今夜はこれと一緒に寝なきゃと、忘れちゃったら駄目なんだから、と。
枕の上にそうっと置いて、それからお風呂。
身体の芯まで温まるように、右手が凍えてしまわないように。
熱いバスタブに浸かる間も、何度も左手で握った右手。
「大丈夫だよ」と、「ぼくは平気」と。
前の自分の悲しい最期は、今では時の彼方だから。
歴史の授業で教わるくらいに、遠い昔の出来事だから。
「怖くないよ」と言い聞かせる手。
今の自分は、前の自分とは違うから。
生まれ変わりでも、新しく貰った命と身体。
悲しい記憶を秘めていたって、右手は今の自分の右手。
メギドに連れ戻されはしないし、ハーレイの温もりを失くしもしない。
ハーレイはちゃんといるのだから。
自分と同じに生まれ変わって、前とそっくり同じ姿で。
キャプテンの制服を着ていないだけで、中身は前のハーレイと同じ。
やっていることは、違うけど。
キャプテンではなくて古典の教師で、柔道と水泳もプロ級の腕を持つのだけれど。
色々と変わった自分の周り。
ハーレイも変わったし、自分も変わった。
十四歳にしかならない子供で、ハーレイが教える学校の生徒。
違う人生を生きているのに、たまに襲うのがメギドの悪夢。
(…あれだけは嫌…)
悲しくて怖い夢だもの、と震わせた肩。
ウッカリ見た日は、何もかも揺らぎそうになる。
自分の悲鳴で飛び起きた夜中、世界さえもが幻に見える。
今の自分も、自分の部屋も。
同じ二階で寝ている筈の両親だって、両親と暮らす家だって。
何度涙が零れただろうか、とても怖くて。
全ては前の自分の夢かもしれないと。
死んでしまったソルジャー・ブルーが、その魂が紡ぐ夢ではないのだろうかと。
「怖い」と「助けて」と、ハーレイの名を呼ぶけれど。
縋り付きたくて泣くのだけれども、ハーレイは側にいてくれない。
たった一度だけ、ハーレイの家へと瞬間移動をした日以外は。
無意識の内に飛んでしまって、ハーレイのベッドで目覚めた朝を除いては。
(…あれっきり、二度と飛べないし…)
ただでもサイオンは不器用なのだし、飛んで行けるとも思わない。
いくら泣いても、泣きじゃくりながら眠っても。
(…本当に飛べやしないんだから…)
悲しくて怖くて、独りぼっちで泣き続けるだけ。
「夢じゃないよね」と、「生きてるよね」と。
ぼくもハーレイも生きているよねと、二人で地球に来たんだものね、と。
泣いて心が落ち着くまで。
自分は確かに生きているのだと、泣いて実感出来るまで。
そんな思いはしたくないから、お風呂から出たら、真っ直ぐ部屋へ。
パジャマだと少し寒いけれども、何かを羽織るほどでもない。
急いで廊下を歩いたら。
階段を上って部屋へ急いだら、中の空気は暖かいから。
(…まだ暖かい…)
外がひんやりしてただけ、とホッと安心した部屋の中。
これなら明日の朝になっても、それほど冷えはしないだろう。
ちょっぴり頬に冷たいくらいで、きっと暖房も要らないけれど…。
(…これは忘れちゃ駄目なんだよ)
今は暖かくても、寝てる間に冷えるんだから、と右の手にはめたサポーター。
キュッとはめたら、頭に浮かんだ恋人の顔。
それに温もり、いつも右手を「ほら」と両手で包んでくれる時の。
(ハーレイと一緒…)
今も一緒、と綻んだ顔。
ハーレイは此処にいないけれども、右手を握ってくれているから。
このサポーターと一緒に、キュッと。
「大丈夫だからな」と、「俺がいるから」と。
きっと今夜も、ハーレイは守ってくれるのだろう。
メギドの悪夢が来ないようにと、右手をしっかり握ってくれて。
明日の朝まで、こうして自分を守り続けてくれるのだろう。
サポーターをはめた時には、メギドの悪夢は来ないから。
来てしまった時でも、夢の中では…。
(…ハーレイが温めてくれるんだよ…)
冷たく凍えてしまった手を。
温もりを失くして冷えた右手を、ふわりと両手で包み込んで。
メギドからは遠く離れている船、シャングリラから飛んで来てくれて。
夢の中のハーレイの魂だけが。
想いが温もりを届けに来てくれて、もう泣かなくても済む幸せな夢。
今夜もきっと大丈夫、と入ったベッド。
上掛けを肩まで引っ張り上げたら、後は眠りに落ちるだけ。
部屋の明かりは常夜灯だけ、それでも感じるハーレイの想い。
ハーレイは側にいないけれども、サポーターをはめた自分だけしかいないけれども。
(でも、一緒…)
今だってずっと一緒だもの、とハーレイを想う。
きっとハーレイは、今も自分を想ってくれている筈だから。
(だって、今夜は冷えるから…)
ハーレイも気付いて、心配をしているのだろう。
メギドの悪夢に捕まらないかと、サポーターはちゃんと着けただろうかと。
暖かい内にベッドに入ったろうかと、夜更かしして右手が冷えねばいいが、と。
(…大丈夫だよ、ぼく…)
もう暖かくして寝ているから、と伝えたくても、届かない声。
ハーレイの家は何ブロックも離れた所で、声が届きはしないから。
けれど、ハーレイはきっと心配しているだろうから、小さな声で呟いてみる。
「ちゃんと寝てるよ」と、「サポーターもはめているからね」と。
ハーレイが側にいるかのように。
本物のハーレイが側にいたなら、こんな具合、と瞼を閉じて。
「少し冷えるね」と、「部屋の外はちょっぴり寒かったよ」と。
でも平気だよ、と語り掛けながら眠りに落ちてゆく。
ハーレイと一緒でとても幸せと、心はいつでも一緒だよね、と…。
少し冷えるね・了
※ちょっぴり冷える夜のブルー君。きちんとサポーターをはめたようです、忘れないで。
メギドの悪夢を防いでくれる大切なもので、はめると幸せな気持ちが一杯v