(ふむ…)
少し冷えるな、とハーレイが零した独り言。
ブルーの家には寄れなかった日、夕食の後のダイニングで。
すっかり片付けを済ませたテーブル、これからコーヒータイムだけれど。
いつも夜には淹れる一杯、そういう頃合いなのだけれども。
ふとしたはずみに気付いた温度。
部屋の室温、それが低いと。
(寒いってほどじゃないんだが…)
上着を羽織るほどでもないし、と思う程度の夜の冷え込み。
身体が頑丈に出来ているから、その気になったら真冬でもシャツは一枚でいい。
半袖のTシャツ、それでも風邪など引かない身体。
けれど感覚は鈍くないから、冷えた時にはきちんと分かる。
肌で、身体を包む空気で。
(どうするかな…)
まずはコーヒー、と淹れにかかれば、使う熱源。
熱い湯を沸かして淹れるわけだし、周りの温度は上がるから…。
愛用のマグカップに注ぐ頃には、改めて感じた「冷える」ということ。
カップが冷たかったから。
いつもと同じに手に取ったカップ、コーヒーを淹れる前のカップが。
(食器棚の中で冷えてやがったか…)
つまり普段より寒いわけだ、と見回した部屋。
書斎に行くか、ダイニングのテーブルでのんびり飲むか。
どっちにしようか、悩ましい。
本に囲まれた書斎の空気は、何処かひんやりしているもの。
その雰囲気も好きだけれども、こんな夜にはどうするかな、と。
もちろん、書斎にもある暖房。
今夜だったら、それのお世話になるのが快適。
ほんの少しだけ温めてやって、空気がふうわり柔らかくなったら直ぐに切る。
後は書斎の気分にお任せ、冷えてゆくのも悪くない。
冷えていったら、なんとなく…。
(頭が冴えるような気がするんだよなあ…)
昔の人もそう言ったんだ、と古い言葉を思い出す。
「頭寒足熱」、そういう言葉。
頭は冷やして、足は温めるという意味の言葉。
「頭を冷やす」と言うほどなのだし、頭には多分、冷えているのがいいのだろう。
実際、書斎の空気が冷えたら、頭も冴えてゆく気がするから。
(蛍の光に窓の雪ってな)
遠い昔の勉強方法、蛍を集めて夜に勉強、窓の雪明かりでやっぱり勉強。
蛍が光る夜は昼より冷えるものだし、雪の季節も寒いもの。
頭のためには冷えるのがいいというわけだ、とクックッと笑う。
「そういう意味の言葉じゃないな」と、「蛍の光、窓の雪はな」と。
分かってはいても、素敵な解釈。
ちょっとこじつけ、「冷える時の方が頭が働く」と。
明日、学校で話してやろうか、何処かのクラスで。
「昨夜はちゃんと勉強したか?」と切り出して。
冷える時こそ勉強なんだと、冴えた頭で頑張ったか、と。
いいな、と思った雑談の種。
やはり書斎に行くとしようか、勉強と言えば書斎だから。
勉強部屋とは違うけれども、ダイニングよりは「勉強」向け。
机に向かって調べ物とか、読書するための部屋だから。
仕事で使う資料の纏めもするから、冷える夜には…。
(俺も生徒を見習ってだな…)
頭寒足熱で勉強ならぬ読書でも、と思った所で頭に浮かんだ恋人の顔。
前の生から愛した恋人、十四歳の小さなブルー。
今のブルーは自分の教え子、学校の生徒。
(…あいつ…)
どうしているだろうか、今頃は。
今夜は少し冷えるけれども、ちゃんと暖かくしているのだろうか?
(…さっさとベッドに入ってりゃいいが…)
こういう時に限って、起きていそうな気がしないでもない。
風呂に入って温まった後に、のんびりと。
「もうちょっとだけ」と、読みかけの本を読み進めようと。
上に何かを羽織ればいいのに、それも忘れて。
「温まったから」とホカホカの身体で、暖房を入れることさえ忘れて。
やりかねないのが小さなブルーで、如何にも子供らしいこと。
(直ぐに夢中になっちまうしな?)
本にしたって、考え事をするにしたって。
そうした挙句に風邪を引いたり、そうならなくても…。
(暖かい間に寝ないもんだから…)
冷えてしまう右手、ブルー自身が気付かない内に。
自覚も無しでベッドに入って、そのまま眠ってしまいそうなブルー。
「もう眠いから」と本をパタンと閉じて。
冷える夜にはどうするべきかも、すっかり忘れ果ててしまって。
大丈夫だろうか、と心配になった小さなブルー。
前の生から愛した人には、今は小さくなってしまった身体には…。
(…前のあいつの…)
悲しい記憶が今でも刻み込まれたまま。
小さな右手に秘められた記憶、冷えた時には蘇るそれ。
(俺の温もりを失くしちまって…)
メギドで凍えてしまった右手。
前のブルーは、ソルジャー・ブルーは泣きながら逝ってしまったと聞いた。
最後まで持っていたいと願った、右手の温もり。
「ジョミーを支えてやってくれ」と送り込んだ思念、その時に触れた前の自分の腕の温もり。
自分は全く気付かなかったけれど、ブルーは温もりを持ったままで飛んだ。
最期を迎えるだろうメギドへ、死が待つ場所へと。
なのに、ブルーはそれを失くした。
撃たれた痛みで失くしてしまって、一人きりになってしまったブルー。
「ハーレイとの絆が切れてしまった」と、「もう会えない」と泣いて、ブルーは逝った。
だから今でも、その夢を見る。
右手が冷えてしまった夜には、メギドの悪夢に襲われる。
そうならないよう、右手を包むサポーターを作ってやったのに…。
(あいつ、忘れてしまいそうなんだ…)
右手に着けて眠るのを。
ほんの少しだけ冷える夜だから、寒いほどではないのだから。
右手が冷えたことにも気付かず、眠ってしまっていそうなブルー。
もしも自分が側にいたなら、「おい」と注意してやれるのに。
「ちゃんと着けろよ?」とサポーターを出して、「ほら」と渡してやれるのに。
そうなるよりも前に、何か羽織らせていそうだけれど。
「暖かくしろよ」と暖房も入れて。
早くベッドに入るようにと、うるさいほどに声だって掛けて。
けれど、ブルーには届かない言葉。
届きはしない、自分の心配。
小さなブルーが住んでいる家は、何ブロックも離れているから。
そんな注意をするだけのために、連絡を取れはしないから。
(何事なのかと思われるしな?)
きっと、ブルーの両親に。
「ハーレイ先生から」と取り次ぎながらも、首を傾げるだろう両親。
いったい何の用事なのかと、ブルーが何かしたのだろうか、と。
(…それはマズイし…)
あいつに期待するしかないな、と零れた溜息。
夜更かししないで早く寝てくれと、それが無理なら気付いてくれと。
冷える夜にはサポーターだと、右手を暖かくして眠れと。
(…気付いてくれるといいんだが…)
俺さえ側にいたならば、と眺めたマグカップのコーヒーから昇る温かな湯気。
この湯気のように、ふうわりと包んでやれるのに。
ブルーが無茶をしないようにと、温かな想いで幾重にも。
まるで真綿で包み込むように、柔らかく。
ブルーの邪魔をしない程度に、「気を付けろよ?」と何か羽織らせて。
眠る前にはこれをはめるのも忘れちゃ駄目だ、とサポーターだって、と考えたけれど。
(……待てよ?)
もしも自分が側にいたなら、サポーターなどはもう要らない。
ブルーの右手が冷えていたなら、温めてやればいいことだから。
いつもしてやるように両手で包んで、「ほら」と温もりを移してやって。
夜更かししていて冷えた身体も、丸ごとしっかり抱き締めてやって。
(あいつが眠いと言い出したなら…)
そっと運んでやるだろうベッド。
「おやすみ」とキスを一つ落として、後はブルーを胸に抱いて眠る。
ブルーが暖かく眠れるように。
幸せな夢を見られるように。
いつか、その日がやって来る。
ブルーと二人で暮らし始めたら、いくらでも世話をしてやれる。
「今夜は少し冷えるからな」と、熱い紅茶やココアを淹れて。
肩にふわりと何か羽織らせて、ブルーが寒くないように。
(…あいつが側にいるんなら…)
こんな夜には、きっと書斎に行きはしないで、ダイニングにいることだろう。
でなければリビング、ブルーと二人で。
自分はコーヒー、ブルーは紅茶かココア辺りをカップに淹れて。
暖かい部屋で二人一緒で、きっと話は尽きないのだろう。
「少し冷えるな」と口にしたなら、「うん、少しだけ」と声が返って。
「ずっと前には、サポーターが無いと駄目だったけど…」と、ブルーの右手が差し出されて。
もう温もりなど充分なくせに、「温めてよ」と。
昔みたいにと、悪戯っぽく目を輝かせて。
きっとそうだな、という気がするから、今夜コーヒーを飲む場所は…。
(此処にするかな)
書斎は駄目だ、と腰を下ろしたダイニングの椅子。
此処でゆったり飲むのがいい、と。
ブルーと二人で暮らし始めたら、こんな夜はきっと、書斎に行きはしないのだから…。
少し冷えるな・了
※ほんのちょっぴり冷える夜。ハーレイ先生が心配になった、小さなブルー。
いつか一緒に暮らす日を夢見て、今夜はダイニングでコーヒーを。幸せたっぷりの時間ですv