(降って来ちゃった…)
雨だ、とブルーが眺めた窓の外。
もう暗いから、雨粒はよく見えないけれど。
家の窓から漏れる光や、庭園灯の周りに降る分だけ。
けれども、軒を叩く雨音。
最初にポツリと聞こえた直後に、いきなりザッと本降りの雨。
大粒の雨が降っていると分かる、そういう音。
此処は二階だから、屋根に当たる音もよく響く。
(ハーレイ、ちゃんと帰れたかな…)
ちょっと心配、と窓の向こうを見詰めてみたって、分からない。
ハーレイの家は遠いから。
何ブロックも離れた所で、窓から見えはしないから。
(まだ、学校にいないといいけど…)
そうでなければ、帰りに買い物に寄った店とか。
家に帰るまでに雨に降られたら、ハーレイはきっと困るだろう。
傘があっても、大きな荷物を持っていたなら、それが濡れそう。
買い物をした店で貰った袋や、学校から家へと運ぶものやら。
(…大変だものね?)
だから良かった、と思うことが一つ。
ハーレイが訪ねて来なかったこと。
仕事の帰りに寄ってくれないか、何度も時計を見たけれど。
チャイムが鳴るのを待ったけれども、今日は来てくれなかったハーレイ。
とても残念に思った時間。
「今日はハーレイは来ないんだ」と、諦めざるを得なかった時間。
溜息をついた自分だけれども、今は少しだけ嬉しい気持ち。
もしもハーレイが寄っていたなら、この雨の中を帰らせることになるのだから。
天気予報には無かった雨。
なのに午後から曇り始めて、帰る頃には無かった青空。
雲がすっかり覆ってしまって、空には青い欠片が無かった。
灰色をした雲の隙間から射す光だって、見えはしなくて。
(天使の梯子…)
それも無いよね、と帰り道に見上げた曇り空。
前にハーレイに教えて貰った、天使の梯子。
雲の間から射して来る光、真っ直ぐに伸びる光の道。
其処を天使が行き来するのだと、だから「天使の梯子」なのだと。
けれど無かった天使の梯子。
雲が厚くて、隙間が開いていないから。
雲と雲との間も無いほど、びっしりと雲が覆っていたから。
(だけど、雨なんて…)
降るとは思いもしなかった。
さっきポツリと音がするまで。
たちまち本降りになってしまうまで、「今日は曇り」と思っていただけ。
「曇りのち雨」とは思いもしなくて、ハーレイが来るのを待っていた。
来てくれるかなと、寄ってくれるといいんだけれど、と。
(だけど、来なくて…)
ガッカリしたのが暗くなる前。
その時間では、もうハーレイは来ないから。
「遅くなったら、晩飯の都合ってヤツがあるだろ」とハーレイが決めている時間。
母に迷惑をかけないようにと、遅い時間に来はしない。
父と母とが「どうぞ御遠慮なく」と言っているのに。
何度も何度も言っているのに、ハーレイは遅くなったら来ない。
自分の家へと帰ってしまって、一人で夕食。
一人暮らしが長かったせいもあるのだろう。
きっと一人でも寂しくはなくて、遅くなった日は帰って夕食。
今日のハーレイはそっちみたい、と零した溜息。
来て欲しかった、と思ったけれども、降り出した雨。
(…ハーレイが来てたら、帰りには雨…)
上手い具合に止んでくれれば、心配は何も要らないけれど。
「止んで良かったね」と送り出せるけれど、このまま止まなかった時。
庭を横切る時も、門扉の向こうに出てゆく時にも、雨は変わらず本降りのまま。
ガレージで車に乗り込んだ後も、大粒の雨が降っているかもしれない。
(ハーレイの家に着いたって…)
車を停めたら、玄関までがやっぱり雨。
傘を差しても雨は止まないし、受け止められるというだけのこと。
ズボンの裾やら、鞄の端っこ。
そんな部分が濡れてしまいそうで、いつものようにはいかない帰り。
普段だったら、家に着いたら脱ぐだけのスーツや、置くだけの鞄。
それを拭いたり、乾かしたりと、余計な手間が増えてしまうのだろう。
(シールド、しそうにないもんね?)
出来るだけサイオンを使わないのが、今の時代のマナーだから。
使わずに何とかなるのだったら、立派な大人は使わないから。
だから、ハーレイもきっとシールドは使わない。
大粒の雨が降り注ぐ中を、家へと帰ることになっても。
この家のガレージに着くまでの道と、ハーレイの家のガレージから玄関までの道。
両方で濡れることになっても、ハーレイはシールドしないのだろう。
「濡れちまったな」と零しはしても。
家に帰って、タオルで鞄やスーツの水気を拭き取りはしても。
(ホントに大変…)
帰り道に雨が降ったばかりに、ハーレイがせねばならない仕事。
いつもだったら、帰り着いたら、スーツを脱いでのんびりだろうに。
好きなコーヒーでも飲みながら。
新聞なんかも広げたりして。
ハーレイの時間を盗む雨。
ほんの少しか、濡れた物とか加減によっては、十五分ほどもかかるのか。
とにかく時間は減ってしまって、一息つける時間も遅れる。
雨に盗まれてしまった分だけ。
濡れた鞄やスーツの手入れに、持って行かれた時間の分だけ。
(こんなに降ってちゃ、きっと濡れるよ)
けれど、ハーレイは来なかったから。
真っ直ぐに帰って行った筈だから、多分、家には着いただろう。
この雨が降って来る前に。
ポツリと屋根を叩くより前に、ハーレイの家に。
(帰ってるよね?)
まだ学校に残っていたりはしないと思う。
そろそろ父も帰る頃だし、それよりは早く帰っている筈。
帰りに買い物をしていても。
あそこと此処と、と幾つかの店を回っていても。
(ハーレイ、天気を読むのは得意なんだから…)
釣り好きの父の仕込みだと聞いた。
降りそうな日や、曇りだけれども直ぐにカラリと晴れそうな時。
同じ曇りでも雲が違うと言っていたから、こんな日に余計な寄り道はしない。
「ブルーの家には、もう行けないし…」と、車で街に向かうとか。
たまに大きな本屋に行ってみようとか、そういう寄り道。
雨が降りそうなら、しないで家へ真っ直ぐに。
降ると何かと厄介だから。
せっかく買った本の袋も雨の雫がかかるから。
(雨除けのカバー、かけてくれても…)
やっぱり必要になるタオル。
中身の本を引っ張り出す前に、カバーの水気を拭かないと。
でないと本が駄目になるから、ハーレイの鞄やスーツも同じことだから。
きっと家には帰っているよ、と眺める窓の向こうの雨。
光が当たる所だけしか、落ちてゆく雨は見えないけれど。
どちらかと言えば軒を打つ音、それから屋根に降り注ぐ音。
そっちの方が雨らしいけれど、今頃はハーレイも雨音を聞いているだろう。
家に帰って、「降って来たな」と。
「寄り道しなくて正解だったぞ」と、「こんな日は家が一番だ」と。
家にいたなら、もう濡れないから。
自分が此処で見ているみたいに、ただ雨を見て音を聞くだけ。
濡れたら困る雨ならば全部、屋根が防いでくれるから。
シールドも傘も要りはしなくて、雨は屋根の上を叩いてゆくだけ。
叩いて、流れて、落ちてゆくだけ、水の雫が。
屋根から庭へと流れ落ちるだけ、軒を叩いて落ちてゆくだけ。
(家の中にいたら、大丈夫…)
どんなに雨が降ったって。
歩くだけでズボンが濡れてしまうような、そんな降り方の雨だって。
(ハーレイが家に着いてれば…)
頭の上には屋根があるもの、と見上げた天井。
シールドも傘も要らない屋根。
雨をしっかり受け止めてくれて、濡れないようにしてくれる屋根。
もうハーレイは屋根の下の筈、そういう時間。
此処に寄らずに帰ったから。
来てくれなかったことは残念だけれど、この雨音だと、それが嬉しい。
「ハーレイ、きっと濡れちゃうよね?」と、見送らなくて済んだから。
帰る時間までに止んでくれないか、心配することも要らないから。
(今頃は、ちゃんと屋根の下…)
ぼくとおんなじ、と思った所で気が付いた。
今の自分は、雨音を聞いているけれど。
頼もしい屋根に守って貰って、ハーレイもきっと同じだけれど。
(前のぼくたち…)
上に屋根なんかは無かったっけ、と思い浮かべたシャングリラ。
あの船を雨が叩く時には、白い船体の外側だけ。
一人一人が住んでいた部屋、その部屋の上に屋根は無かった。
青の間のベッドの天蓋にしても、ただの飾りで屋根とは違った。
降り注ぐ雨から、ベッドを守るものではないから。
船の中には雨が無いから、屋根の代わりに船体が屋根。
あれを屋根だと言うのなら。
軒を打つ雨の音さえしない船体、それに覆われたシャングリラ。
(あの中だと、雨に降られる心配、無かったけれど…)
代わりに家も無かったのだった、こういう家は。
雨が降ったら駆け込める家は、守ってくれる屋根のある家は。
(この家の方が、ずっと凄いよ…)
シャングリラよりもずっと小さいのに、雨から守ってくれる家。
今は両親と一緒に暮らして、いつかはハーレイと暮らすだろう家。
そういう家を、今は誰もが持っている。
家の数だけ幸せがあって、こういう雨が降った時には…。
(頼もしいんだよ、屋根があるから)
シャングリラよりもずっと素敵、と頭の上の屋根を心で思う。
ハーレイも今は屋根の下にいてくれますようにと、雨に濡れてはいませんように、と…。
屋根がある家・了
※「シャングリラよりも、ずっと凄い」とブルー君が思う、屋根のある家。
雨から守ってくれる頼もしさ、小さくても。ハーレイ先生と住める日が楽しみですよねv