(…間に合ったな)
降る前に中に入れたぞ、とハーレイがホッとついた息。
ブルーの家には寄れなかった日、自分の家へと帰り着いて。
今日の午後から怪しくなっていた空模様。
雨の予報ではなかったけれども、気まぐれなのが地球の空。
自然の気分で変わってゆくから、こんな日だってたまにある。
学校に傘は置いてあるのだし、車にも乗せてあるけれど…。
(使ったら濡れてしまうしな?)
干してやらないと駄目な傘。
雨の雫が消えてしまうまで、乾いて元通りに畳めるまで。
学校でもう降っていたなら諦めるけれど、ガレージから家に入るまで。
庭を横切るだけの所で、出来れば傘は使いたくない。
「ツイていない」という気分になるから。
それが楽しい時もあっても、今日は「ツイていない」と思う方だから。
ガレージに車を入れた後には、抱えた鞄。
傘を持たずに走るからには、いきなりザッと降り始めたら…。
(鞄がすっかり濡れちまうしな?)
そうなるよりかは、自分が濡れた方がマシ。
しっかり抱えて目指した玄関、軒下に走り込んだ時には雨は降ってはいなかったけれど。
鍵を開けて中に入って間もなく、そう、靴を脱いでいる間に…。
ポツリ、ポツリと大粒の雨が落ちる音。
玄関先の床に上がる頃には、土砂降りの雨。
(危なかったな…)
間一髪だ、と漏らした安堵の息。
ほんの少しだけ遅れていたなら、頭からずぶ濡れだったろうから。
ここまで派手に降るとはな、とスーツを脱いで済ませた着替え。
本当に危なかったと思う。
傘が濡れたら面倒どころか、スーツも靴も濡れてしまっただろう。
(俺としたことが…)
読み誤った、と苦笑しながら夕食の支度。
「やはり無精をしてはいかんな」と、「傘くらいは持っておくべきだった」と。
傘を干す手間を惜しんだばかりに、スーツや靴を干して手入れでは、ただの馬鹿だから。
傘よりも面倒なことになるから、そうならなかったことは幸運。
ツイているとは言えるだろう。
そうこうする内に出来上がった夕食、テーブルに着いて食べ始めても…。
(まだ降ってるな…)
大粒の雨が軒を叩く音、それが止まない。
夜に降る雨は止みにくいから、まだ暫くは降るのだろうか。
(天気予報もアテにならんぞ)
ついでに俺の勘の方も、とコツンと叩いた自分の額。
もう少しだけ家に入るのが遅かったならば、ずぶ濡れになっていたのだから。
此処で夕食を食べるよりも前に、濡れたスーツや靴などの手入れ。
きっと自分を呪っていたろう、「この馬鹿者め」と。
「もっとしっかり天気を読め」と、「親父に叩き込まれたろうが」と。
釣り好きな父は、風や空気の匂いや雲行き、そういったもので天気を読むのが得意技。
本職の漁師さながらに読んで、「帰るぞ」と竿を畳んだりもした。
「じきに降るから、今日はここまで」と。
その父には今も敵わない。
自分が年を重ねた分だけ、父も同じに年を取るから。
年の数だけ増える経験、一生、勝てるわけがない。
そうは言っても、自分も踏んで来た場数。
今日の天気を読み誤るとは、情けないとしか言えない気分。
(ずぶ濡れだったら、今頃は文句を言ってたろうなあ…)
自分宛だか、空に宛ててかは分からないけれど。
手間が増えたと、本当だったらゆっくり晩飯の筈だったのに、と。
夕食の後も止まない雨。
コーヒーを淹れて移った書斎も、軒を打つ雨の音が聞こえる。
この部屋に窓は無いのだけれども、壁の向こうから。
まだ降り続ける雨の音が。
(まったく、危ないトコだった…)
よくぞ家まで無事だったもんだ、と濡れなかったことに感謝するだけ。
間抜けな自分は、傘も持たずに突っ走ったから。
「まだ降らない」と、「降ったとしたってタカが知れてる」と。
いきなり降られても、シールドするという手段はある。
ザッと来た雨、最初の一撃は避け損なっても、後は防げる方法だけれど。
(俺の好みじゃないんだよなあ…)
あまり使いたくないサイオン。
「人間らしく」が社会のマナーで、それが無くても頼りたいとは思わない。
傘があるなら、シールドは要らないと思うから。
シールドするより、「傘が無いしな」と潔く濡れたいクチだから。
もっとも、濡れたら後で文句になるけれど。
「俺としたことが」で、「馬鹿者め」で。
うっかり天気を読み誤ったから、この有様だ、と。
大失敗だ、と雨音に耳を傾けていたら、掠めた記憶。
遠く遥かな時の彼方で、天気を気にしていた自分。
(シャングリラだと…)
読み誤ったら、大変なことになっただろう。
船を隠して守る雲海、其処から外へと出てしまうとか。
荒れ狂う雷雲の中に突っ込んで、あちこち支障が出るだとか。
あの船の時じゃなくて良かった、と思った失敗。
キャプテン・ハーレイだった頃なら、こんな失敗は有り得ないけれど。
自分の勘に頼りはしないし、常に計器を眺めていた。
様々なデータを読んでは決めていた進路、うっかりミスは起こらない。
仮にミスしても、誰かが気付く。
「このまま進めばエライことになりそうじゃ」とゼルが言うとか、ブラウからの注意。
「ちょいと、間違えてやしないかい?」などと。
懐かしく思い出した顔ぶれ。
今は会えない、あの船で生きた仲間たち。
(みんな、どうしているやらなあ…)
自分やブルーと全く同じに生まれ変わって、宇宙の何処かで暮らしているか。
それとも今は天国か何処か、そういった所で次に生まれる順番待ちか。
(会うことはきっと無いんだろうな)
そう思うから、懐かしい。
白いシャングリラも、長い年月を共に暮らした仲間たちも。
(会えたって、お互い、気付かないままで…)
すれ違って行ってしまうのだろう。
同じ姿とは限らない上に、あの頃の記憶もきっと持ってはいないから。
今の自分とブルーのようには、ゆきはしないと思うから。
何処かの駅やバス停などで、偶然出会って話していたって、気付かないまま。
そうなるだろうと分かっているから、懐かしくなる仲間たち。
此処にいたならどうだろうかと、どんな話が出来るかと。
ゼルだったらとか、ヒルマンなら、とか。
(俺が天気を読み違えたことも…)
話の種になるのだろう。
「もっとしっかりやらんかい!」だの、「今の時代だ、それも楽しまないと」だの。
軒を打つ雨の音を聞きながら、皆で興じる思い出話や、今の話や。
いい時代だよな、と傾けたコーヒー。
あの仲間たちが此処にいたなら、雨音の中でも賑やかだろう。
そしてすっかり夜が更けた頃に、皆は帰ってゆくのだろう。
「それじゃ」と、「また今度」などと言いながら。
「まだ止まないな」と溜息もついて。
自分は此処にいればいいけれど、皆は帰らねばならないから。
雨が降る中、傘を広げて自分の家へ。
「着いた頃には、雨が止んでるといいんだが」と、きっと誰もが言うのだろう。
場所によっては、此処よりも雨脚が強かったりもするのだから。
(傘があっても、厄介だよなあ…)
雨の中を帰ってゆくというのは。
家に着いたら屋根があるけれど、屋根の下へと入るまで。
空の上から落ちてくる雨、地面が弾き返す雨。
運が悪ければ濡れる足元、自分以外の誰もが文句。
(俺は片付けて寝るだけなんだが…)
他のヤツらは、雨の中を帰って行くんだから、と思った所で気付いたこと。
(…屋根があるってか?)
頭の上に、と見上げた天井。
雨の雫は見えないけれども、この家の上にはそれを弾く屋根。
屋根に落ちた雨は其処を流れて、軒を打つ雨音も聞こえるけれど。
(シャングリラだと…)
雨は船体の上を流れただけ。
白い鯨を打っていただけ、個人の部屋の上に降っては来ない。
部屋に天井はあったけれども、その上に屋根が乗ってはいない。
屋根の代わりに、白い船体。
それがすっぽり覆っていたから、誰の部屋にも…。
(屋根なんか無くて、部屋に帰る時も…)
傘を差したりしなかった。
シールドさえも要りはしなくて、通路を歩いて行っただけ。
雨が降ろうが、晴れていようが、何も関係無かった船。
一人一人の部屋については。
船の進路には影響したって、個人の部屋にはまるで関係無かった雨。
屋根の下へと急ぐ必要も、「お前はいいよな、寝るだけだから」と帰る者から言われることも。
(たかが屋根なんだが…)
こいつも今の時代ならではか、と見上げた天井。
前は無かったと、今の時代なら、俺の家にもあるんだが、と。
そして懐かしく思い出す仲間。
今だったならば、みんな家へと帰るんだな、と。
雨の降る日は屋根の下を目指して、「止むといいが」と傘を差して、と…。
屋根のある家・了
※今の時代は「濡れたら困る」と走り込めるのが、屋根のある家。ハーレイ先生も。
けれども、前は無かったのです、その屋根が。船体は屋根じゃないですもんねv