(明日は早く帰れるといいんだがな?)
ブルーの家に寄りたいからな、とハーレイが心で呟いたこと。
夜の書斎で、コーヒー片手に。
小さな恋人を思い浮かべて、明日こそ早く、と。
仕事が早く終わった時には、平日でもブルーを訪ねてゆく。
そういう習慣、小さなブルーと二人でお茶。ブルーの部屋で。
夕食はブルーの両親も一緒、ダイニングのテーブルで和やかに食べる。
後はその日の時間次第で、食後のお茶を。
ダイニングだったり、ブルーの部屋に戻ったり。
この時間まで、と決めてある時刻、それが来たなら「またな」と帰宅。
名残惜しそうにしているブルーに手を振って。
「また来るから」と、愛車に乗って。
明日はそういう日になるといい、と願ってしまう。
昨日も今日も行けていないから、小さなブルーに会いたいから。
(学校じゃ、顔を見てるんだがなあ…)
挨拶を交わして、立ち話も少し。
けれども、それではまるで足りない。
学校の中では、自分は教師でブルーは生徒。
「ハーレイ先生」と呼んでくれるブルーは、常に敬語で話すから。
恋人同士の会話どころか、本当に教師と生徒だから。
「頑張ってるか?」と声を掛けたり、「元気そうだな」と言ってやったり。
他の生徒と変わらない会話、甘い話題を選べはしない。
会えて話せても、ブルーは生徒。
自分の方はあくまで教師で、立場を崩せはしないから。
昨日も今日も、会えていないブルー。
会えたけれども、恋人ではなかった小さなブルー。
だから明日こそブルーの家へ、と思うけれども、運次第。
(柔道部の方はなんとかなっても…)
会議があったら駄目だからな、と指先でトンと叩いた額。
臨時で会議が入った時には、大抵、長引くものだから。
誰もが予定を立てていない会議、大筋が出来ていない会議は長くなりがち。
纏まるまでに時間がかかるし、それが入ったらブルーの家には寄れずに帰宅。
(会議ってヤツが無くてもだ…)
柔道部で誰かがヘマをしたなら、やはり狂ってしまう計画。
練習の時に筋を傷めるとか、そういったこと。
(その場で手当て出来ればいいが…)
冷やしておけよ、と湿布でも貼って、後は見学。
その程度の怪我ならいいのだけれども、念のために診察して貰うなら…。
(俺が車を出すことになって…)
診察の付き添い、それが済んだら生徒を家まで送って行く。
玄関先で「お大事に」と失礼出来れば、ブルーの家へと出掛ける時間は取れるけれども。
(そうはいかないのが、世の中ってモンで…)
まず間違いなく、「どうぞ」と招き入れられる家。
「息子が御迷惑をおかけしまして」と、「お茶でもどうぞ」と。
家に入ったら、怪我をした生徒も交えて歓談。
懇談ではなくて歓談だけに、「今日はこれで」と切り上げられない。
お茶だけを飲んで「失礼します」と言えない雰囲気、生徒の顔にもそう書いてある。
「もっとゆっくりしていって下さい」と、「先生の話が聞きたいです」と。
生徒にとっては、自分は憧れのヒーローだから。
いつか自分も、と夢を見たくなる柔道の達人なのだから。
会議も、柔道部の生徒の怪我も、どっちも困る、と傾けるコーヒー。
明日こそブルーに会いたいのだから、どちらも御免蒙りたい。
(平凡な一日を希望ってヤツだ)
いつもの時間に家を出発、学校に着いたら柔道部の朝練。
後は授業で、放課後にまた柔道部の部活。
たったそれだけ、他には何も望みはしない。
特別なイベントも、思いがけないサプライズだって。
(普通の一日が一番だってな)
同僚に「飲みに行こう」と誘われた時も、ブルーの家には寄れないから。
「美味いんですよ」と食事に誘われた時も、やはり結果は同じだから。
その手の誘いも来ないといいが、と祈ってしまう。
平凡な日が一番だ、と。
(それと、あいつが元気なことと…)
今度も弱く生まれてしまった、小さなブルー。
学校で顔を見掛けない時は、欠席だったりするものだから。
もちろん見舞いに出掛けるけれども、会いに行くのと見舞いとは違う。
寝込んでいるブルーと、長く話は出来ないから。
今もブルーの気に入りのスープ、それも作ってやらないと。
(あいつが元気で、俺にとっては平凡な日で…)
明日はそういう日になって欲しい、と祈りたい気分。
そう思う気持ちが既に祈りで、きっと誰かに…。
(頼んでるんだな)
どうぞよろしく、と神様に。
特に誰とも思わないけれど、祈るとなったら相手は神様。
平凡な日になってくれますようにと、ブルーも元気でいますようにと。
本当にささやかな祈りの中身。
ごくごく普通の一日がいいと、ブルーも健康でありますようにと。
(…このくらいのことは叶えて欲しいんだがな?)
俺は欲張ってはいないんだから、と思った所で気が付いた。
何処の誰とも決めていない神に、「どうぞよろしく」と捧げた祈り。
捧げたかどうかも怪しいくらいで、何の気なしに願い事。
欲張りなことは何も頼んでいないのだから、叶えて欲しいと。
平凡な一日と、ブルーの健康。
(今の俺だと、その程度ってか?)
しかもコーヒー片手に願い事か、と見開いた瞳。
前の自分なら有り得なかったと、コーヒー片手に祈ることなど、と。
(たまにはそういう時もあったんだろうが…)
飲んでいたコーヒーは、仕事の合間の休憩用。
今日も一日無事であってくれ、と心で祈っていたのだろう。
前の自分が生きていた船、あのシャングリラで。
無事に一日が終わるようにと、何事も起こらないでくれと。
(…今の俺と同じで、平凡な一日を願っちゃいたが…)
あの船で平凡な一日と言えば、今の自分とは大違い。
船が世界の全てだったし、外の世界には追われるミュウたち。
人類に追われ、殺されていったミュウの子供たち。そうなる前に救い出さねば。
(急な救出も、予定通りの救出の方も…)
仲間の命が懸かっているから、「どうか無事に」と心で祈り続けた時間。
白いシャングリラの舵を握って、あるいはキャプテンの席に座って。
(前の俺の平凡な一日ってヤツは…)
ミュウの子供を救い出すという大変な仕事が無かった日。
シャングリラにも何のトラブルも無くて、全てが上手く回っていた日。
まるで違う、と気付かされた祈り。
前の自分と俺とは違う、と。
(…重みってヤツが違うんだ…)
同じ平凡な一日にしても、其処に懸かっている重さ。
今の自分だと、もう本当に軽すぎる中身。
(長引く会議に、柔道部員の怪我ってヤツに…)
それを避けられるのが平凡な一日。
同僚からの酒や食事の誘いとか。
(ついでに、ブルーが病気じゃなくて…)
元気な顔を見せてくれる日、それが平凡な一日の全て。
けれども、前の自分は違った。
白いシャングリラの平凡な一日、全てが上手く回っていた日。
追われる仲間を救わねばならない日とは違って、船にトラブルも起こらなかった日。
(一つ間違えば、とんでもない日に…)
なるのだった、と前の自分が生きた頃を思う。
ミュウと判断された子供を救い出す時、見付からないよう隠しておくべきシャングリラ。
救出に向かった小型艇だって、追われないよう指揮していた。
合流地点を決める時にも、細心の注意。
これが母船だ、と発見されたら終わりだから。
シャングリラが人類に見付かったならば、たちまち攻撃されるから。
(船のトラブルの方にしたって…)
もしも対処を誤ったならば、大きな事故に繋がりかねない。
機関部を損ねるような大事故、それが起こったらシャングリラは飛んでいられない。
(上手く何処かへ降ろせたとしても…)
修理が終わって飛び立つまでは、生きた心地もしなかったろう。
いくらブルーが守っていたって、船そのものは無防備だから。
自力で航行出来はしなくて、サイオン・キャノンも撃てないから。
なんてこった、と頭で比べた祈りの中身。
同じ祈りでも全く違うと、平凡の意味が違い過ぎると。
(ブルーの健康ってヤツはともかく…)
他の祈りは、前の自分が耳にしたなら、「贅沢だな」と言いそうだから。
いい御身分だと言われそうだから、反省しようと思ったけれど。
(しかしだ、今の俺にはこれが普通で…)
平和な今の時代だったら、誰の祈りもそんなものだから。
教え子たちの切実な祈りにしたって、テストの点数くらいだから。
(許されるよな?)
今の時代はこれでいいんだ、とコーヒーを喉に送り込む。
とても贅沢な祈りだけれども、ほんのささやかなものだから。
明日はブルーの家に行きたいと、行けるといいなと願うだけだから…。
祈りの中身・了
※ハーレイ先生が祈りたいことは、ブルー君と会える平凡な一日。たったそれだけ。
キャプテン・ハーレイだった頃とは全く違った祈りの中身。平和な時代ならではですv