(ふうむ…)
不思議なことがあるもんだな、とハーレイの唇から漏れた呟き。
ブルーの家へと出掛けて来た日に、夜の書斎で。
愛用のマグカップに淹れたコーヒー、それは普段と変わらないけれど。
机の上にコロンと置いてあるペン。
白い羽根ペンとは違うペン。
(こいつとは長い付き合いなんだが…)
教師になった時からだしな、と瑠璃色のペンを手に取った。
ずいぶんと手に馴染んだ品だし、失くしたことに気付いた時には青ざめたけれど。
(あいつが持っててくれたんだ…)
小さなブルーの部屋に落としていたらしい自分。
ブルーと過ごす時間に夢中で、落としたことにも気付かなかった。
そのまま家まで帰ってしまって、手帳を出す時にようやく気付いた。
何処かに落として来たことに。
慌てて玄関まで戻ったけれども、無かったペン。
此処を歩いた、と庭に出てみて、門扉の所まで辿ってみても。
(失くしちまった、とガックリしたが…)
今日もブルーの家まで歩く途中に、あちこち見ながら歩いたほど。
「落とし物です」と書き添えて、何処かの垣根に結び付けられていないかと。
あるいは小さな籠やケースに入って、「落とし物」の文字。
今の時代は、落ちていた物を失敬する人間はいないから。
持ち主の所へ戻るようにと、気を配ってくれる時代だから。
(しかしだな…)
それはあくまで、落とし物が発見された時。
見付からない場所に落としたならば、誰も拾ってくれはしないし、気付きもしない。
溝蓋の下とか、そういった場所。
落とし物のペンが見付からないか、と捜しながら歩いて行った道。
けれど何処にも「落とし物です」とは書かれていなくて、無かったペン。
誰かが拾って届けただろうか、落とし物を扱う所へと。
そっちだったら、問い合わせれば直ぐに分かるけれども…。
(誰も気付かない所だと…)
駄目だろうな、と覚悟を決めた。
見付からなくても仕方ないのだと、あのペンとの御縁はこれまでらしい、と。
長く愛用して来たとはいえ、別れの時も来るだろう。
それに、両親に何度も聞かされたこと。
(何かを失くしちまう時には…)
消えた品物が、災難を持ち去ってくれるのだという。
持ち主の代わりに、お守りのように。
転んで怪我をしそうな所を、その怪我と一緒に何処かへ消えて。
幼い頃から何度も聞いた。
大切な物を失くしてしまって、見付からないと捜し回っていたら。
諦め切れずに暗くなっても捜していたとか、そういう時に。
(所詮は子供の宝物だし…)
今から思えば、ガラクタ同然。
いいな、と思って拾った石とか、気に入りのガラス玉だとか。
けれども、今の自分なら分かる。
(何かを失くしちまった時には、災難も一緒に…)
持って行ってくれるという両親の言葉。
前の自分は、前のブルーを失くしたから。
失くしたブルーは、白い鯨の、ミュウの災難を一緒に持って行ったから。
仕方ないな、と半ば諦めたペン。
ブルーの家に無かったならば、帰ってから問い合わせてみるけれど。
(届いてません、と言われちまったら、お別れだな)
あのペンはきっと、災難を持って何処かへ消えて行ったのだから。
怪我か、それとも他の何かか。
「ありがとう」とペンを労うべきだろう。
長い間、お前の世話になったと。
最後まで世話になってしまったから、後はゆっくり休んでくれと。
(前のあいつも、ゆっくり休めたならいいが…)
ミュウの災難を持ち去った後。…メギドで逝ってしまった後。
右手が凍えたことも忘れて、休んでくれていたならいいが、と。
どうだったのかは、まるで知りようが無いけれど。
小さなブルーは覚えていないし、今の自分も覚えていない。
前の生を終えた後には、何処にいたのか。
青く蘇った地球に来るまでは、何処で過ごしていたのかさえも。
(…あいつが幸せにしていたんなら、いいんだがな…)
そういったことを考えながら鳴らしたチャイム。
多分、この家にも瑠璃色のペンは無いのだろう、と。
災難と一緒に消えてしまって、きっと戻っては来ないだろうな、と。
なのに…。
瑠璃色のペンは、小さなブルーが持っていた。
「これ」とペン立てから取って来てくれた。
ブルーの部屋に落としていたのか、と再会を喜んだ愛用のペン。
それを手にしたら、ふわりと感じたブルーの心。
ペンに残った残留思念。
(あいつ、大事にしてくれてたんだ…)
持ち主が誰か知っているから、それは大切に。
ペンが話してくれるかのよう。
「この家でとても幸せでしたよ」と、「大事にして貰っていたんです」と。
もう充分だ、と読みはしなかった残留思念。
ブルーがペンとどう過ごしたのか、どう扱っていたのかは。
(読むのはマナー違反でもあるしな?)
ブルーの心を感じられただけで満足だ、と思っていたら、言われたこと。
「そのペン、星座は一つも無いんだね」と。
唐突な質問だったけれども、直ぐに分かった。
瑠璃色のペンは、ただの瑠璃色とは違うから。
金色の粒が鏤められたペンだから。
(…宇宙みたいなペンなんだよなあ…)
これは、とチョンとつついてみたペン。
瑠璃色の元は、人工のラピスラズリという石。
その特徴は、宇宙や夜空を思わせる姿。
瑠璃色の地に散らばる金色、本当に小さな金色の粒。
それが星空のように見えるものだから、一目惚れして買ったペン。
宇宙のようだ、と惹かれたから。
このペンがいい、と惹き付けられたから。
同じペンを何本も出して貰って、試し書きをして。
どれがいいかと何度も比べて、「これにしよう」と選んだ一本。
手にしっくりと馴染むのがいいと、自分にピッタリのペンに違いないと。
(買って帰って、じっと見ていて…)
自分も探したのだった。
金色の粒は夜空の星のようだから、何処かに馴染みの星座は無いかと。
混じっていたなら面白いのにと、ペンの隅から隅までを。
(しかし、一つも無くてだな…)
そうそう上手くはいかないものか、と苦笑いしたのを覚えている。
どのペンも違っていた筈の模様。
瑠璃色の地に鏤められた金の粒の数、それがある場所も。
選ばなかったペンの中には、星座つきのもあったかもしれない。
「此処を見てくれ」と自慢したくなるような、誰にでも分かる星座入り。
オリオン座だとか、白鳥だとか。
(少し残念には思ったんだが…)
自分が選んだ一本なのだし、星座は無くても似合いの一本。
こいつが俺の相棒なんだ、と大切にして来た万年筆。
小さなブルーも同じに星座を探したのか、と嬉しい気持ちになった瞬間。
そうしたら…。
「他の星はあるかもしれないね」と言い出したブルー。
地球の星座や、前の自分たちが長く暮らしたアルテメシア。
そういう馴染みの星座は無くても、他の星のが、と。
前のブルーが長い眠りに就いていた間や、いなくなった後の長い長い旅路。
その間に見た星があるかもと、星座が隠れていないかと。
(…それは思いもしなかったしな?)
どうだろうか、とブルーの前で見詰めた瑠璃色。其処に輝く金色の粒。
ピンと来る模様がありはしないか、と探し始めたら…。
(隠れていたと来たもんだ…)
前の自分が見上げた星座。
赤いナスカで仰いでいたから、前のブルーは見ていない星座。
種まきの季節に、夜空に昇った七つの星たち。
ペンの中にそれが見付かった。
今日まで、知りもしなかったのに。…それを探しさえしなかったのに。
(不思議なことがあるもんだよなあ…)
愛用のペンに、ナスカの星座。前の自分が見ていた星たち。
小さなブルーに教えてやって、記憶の中の夜空も見せた。
「これが種まきの季節の星だ」と、「特に名前もつけなかったが」と。
それを眺めたブルーが言うには、「このペンがハーレイの所に来たかったのかもね」。
ナスカの星座を宿したペンだし、それを見ていた人の所へ、と。
(俺は選んだつもりだったが…)
選ばれたのだろうか、このペンに宿るナスカの星に。
連れて帰ってくれと頼まれたろうか、前の自分の記憶は戻っていなかったのに。
(そういったことも、あるのかもなあ…)
失くした物が災難を持ってゆくと言うなら、物とは縁があるのだから。
自分の持ち物に選んだ時から、縁が生まれるものだから。
(こいつも、俺の所に来たのか…)
いつかブルーと巡り会った時には、きっとお役に立てますから、と。
ナスカの星座を、見られなかった人に教えてあげて下さいと。
(うん、お前さんは俺の役に立ったぞ)
ブルーに教えてやれたからな、と撫でてやったペン。
これからも俺をよろしく頼むと、二度と落としはしないからな、と…。
ペンの中の星座・了
※ハーレイ先生の愛用のペンに隠れていた星座。それもナスカで見ていた星たち。
不思議なことがあるものですけど、こういうのを御縁と言うんですよねv