(今日は会い損なっちまったなあ…)
あいつと会えずに終わっちまった、とハーレイがフウとついた溜息。
夜の書斎で、コーヒー片手に。
小さなブルーを思い浮かべて、会い損なった恋人を想って。
本当に一度も会えなかったなと、姿も見られずに終わっちまった、と。
(午後まで研修だった上に、だ…)
どうしたわけだか、会議まであった。
研修で留守にしていたのだから、わざわざ出なくてもいいのだけれど。
(こいつが俺の性分ってヤツで…)
家に帰ってのんびりするより、学校に行こうと考えるタイプ。
研修が早く終わったのなら、柔道部の指導をしてやりたい。
放課後に会議があると言うなら、もちろん会議に出なくては。
だから出掛けて行った学校。会議の時間に間に合うように。
(早めに終わると思ったんだが…)
てっきりそうだと思っていたのに、何故か長引いてしまった会議。
終わった時には、とっくの昔に…。
(…あいつの家に行ける時間を、過ぎちまってて…)
仕事帰りに寄った時には、いつも御馳走になる夕食。
ブルーの母の都合もあるから、「この時間まで」と決めてある時間。
それを過ぎたら、ブルーの家には寄らずに帰る。
寄ってしまったら、ブルーは離してくれないから。
「今日はお茶だけで結構です」と言ったとしたって、ブルーの母も。
急いで夕食の追加を作り始めるだろう、ブルーの母。
そうなることが分かっているから、例外は無し。
この時間では駄目だ、と家に帰ったけれど。
夕食作りを楽しんだけれど、食べ終わったら寂しくなった。
(あいつの家に寄らずに帰る日も多いから…)
気にしていなかった、一人の夕食。
今日は一人だと、何を作って食べようかと。
帰りに食料品店に寄って、あれやこれやと選んで買った。
作りたい料理を考えながら、それを作るならこれとこれに…、と。
料理は好きだし、作る間は鼻歌交じり。
出来上がったら器に盛り付け、味わって食べた今日の夕食。
ちょっと工夫を凝らした成果や、新鮮な素材の持ち味やらを。
(…そこまでは普段通りだったんだが…)
食べ終えて、さて、と片付けにかかった所で気が付いた。
一度も会っていない恋人。
朝から一度も会わなかったと、顔さえ見てはいないのだと。
(なんのはずみで気が付いたんだか…)
今となっては分からないけれど、それが始まり。
小さなブルーに会っていない、と胸に生まれた寂しい気持ち。
いつもだったら、何処かで一度は会えるから。
「ハーレイ先生!」と声を掛けられたり、遠目に姿を見掛けたり。
銀色の髪の小さな恋人、学校では教え子の一人だけれど。
(それでも、俺の恋人なんだ…)
俺にはあいつだけなんだ、と眺めた小さなブルーの写真。
夏休みの終わりに二人で写した、記念写真の中のブルーの笑顔。
こいつで我慢するしかないな、と。
前の生から愛した恋人、誰よりも愛しい小さなブルー。
巡り会うまで忘れていたのに、ブルーのことさえ知らなかったのに。
再び出会って戻った記憶。
遠く遥かな時の彼方で、前のブルーと恋をしていた。
白いシャングリラで共に暮らして、幸せな時を過ごしていた。
ブルーを失くしてしまうまで。…前のブルーがいなくなるまで。
けれど、戻って来たブルー。
奇跡のように二人で時を飛び越え、青い地球の上でまた巡り会えた。
ブルーは子供になってしまって、まだまだ一緒に暮らせないけれど。
キスも出来ない有様だけれど、それでも出会えた愛おしい人。
今日のように会えずに終わった日でも…。
(あいつは、ちゃんと生きてるってな)
ブルーの方でも「会えなかった」と、寂しがっているかもしれないけれど。
「遅くなってもいいから、来て欲しかったのに…」と、膨れっ面かもしれないけれど。
それともベッドで眠っているのか、本でも読んで夜更かし中か。
いずれにしたって、小さなブルーはこの町にいる。
何ブロックも離れた場所でも、今のブルーが育った家に。
両親も一緒の暖かな家に、何の心配も要らない家に。
(明日になったら、きっと会えるさ)
ブルーのクラスで古典の授業は無いのだけれども、隣のクラスで教える日。
きっとブルーは廊下に姿を現すだろう。
自分の授業が終わった途端に、「ハーレイ先生!」と。
それまでに会えていなかったなら。
挨拶を交わしていなかったなら。
明日はブルーに会える筈だし、きっと何処かで挨拶できる。
「ブルー」と呼び捨てに出来はしなくて、「ブルー君」だけれど。
帰りにブルーの家に寄り損なったら、「ブルー君」にしか会えないけれど。
(それでも充分、幸せだってな)
あいつの名前をまた呼べるんだ、と眺める小さなブルーの写真。
「なあ、ブルー?」
ブルー君でもかまわないよな、と声に出したら零れた笑み。
この名前をまた呼べるなんてと、呼べばブルーが応えるなんて、と。
「ブルー君」でも、「ブルー」でも。
呼べばブルーは応えてくれる。
写真の中の小さなブルーは駄目だけれども、本物ならば。
「ハーレイ先生!」と駆け寄って来たり、「ハーレイ?」と首を傾げてみたり。
その時々で変わる表情、生きて動いているブルー。
前の自分は、失くしたのに。
愛したブルーを失くしてしまって、生きる意味さえ失ったのに。
(もう一度、あいつに巡り会えて、だ…)
何度呼んでもかまわない名前。
「俺のブルーだ」と抱き締める時も、こうして写真に呼び掛ける時も。
ブルーは帰って来てくれたから。
失くしてしまった人の名前を、呼んだ頃とは違うから。
前の自分が涙交じりに呼んだ名前を、今は泣かずに呼ぶことが出来る。
ブルーは生きているのだから。
会い損なってしまった時でも、ブルーは何処かにいるのだから。
「もう寝ちまったか、夜更かしするなよ?」
お前、身体が弱いんだから…、と写真のブルーに呼び掛ける。
ちゃんと寝ろよと、身体を壊して寝込むんじゃないぞ、と。
「おい、ブルー?」
分かってるか、と言っても写真は答えないけれど。
とびきりの笑顔でこっちを見ているだけなのだけれど、本物のブルーは…。
(今もあいつの家にいるんだ…)
机の前だか、ベッドの中だか、それは全く分からないけれど。
小さなブルーはちゃんと生きていて、何度でも名前を呼ぶことが出来る。
口にする度、幸せが胸に溢れる名前を。
前の自分は泣きながらブルーを呼んでいたけれど、もう泣かなくてもいい名前。
失くしたブルーは帰って来たから、腕の中に帰って来てくれたから。
(まだ一緒には暮らせなくても、あいつの名前を呼ぶだけならな…)
誰も自分を咎めはしないし、学校で会えば「ブルー君」。
ブルーの家なら「ブルー」と呼び捨て、この家で口にする時も。
前のブルーがいた時のように、呼ぶ度にこみ上げる愛おしさ。
小さなブルーは、いつも応えてくれるから。
会い損なってしまった時でも、どうしているかと姿を思い描けるから。
寂しそうな顔も、膨れっ面も。
とびきりの笑顔も、どれも本物なのだから。
今の自分が目にしたブルーで、生きて帰って来たブルー。
呼べば答えが返るブルーで、失くしたままではないのだから。
前のブルーを失くした時には、呼んでも返りはしなかった答え。
ただ青の間の空気だけがあった、主を失くして空っぽの部屋。
何度あそこで泣いただろうか、前のブルーの名を呼びながら。
ブルーは応えはしないのに。
二度と戻って来るわけもなくて、どんなに呼んでも無駄なのに。
けれど、呼ばずにはいられなかった名前。
どうしているかと、一人、寂しくはないだろうかと。
いつか会えたら抱き締めたいと、その日まで待っていて欲しいと。
(…その名前を、だ…)
今は幸せの中で呼ぶことが出来る。
学校でブルーにバッタリ会ったら、「ブルー君」。
ブルーの家に出掛けて行ったら、前と同じに呼び捨てで「ブルー」。
こうして写真を見詰める時にも、「ブルー」と呼んでかまわない。
小さなブルーは、生きて帰って来てくれたから。
愛おしい人とまた巡り会えて、恋の続きを生きているから。
「あいつは俺のブルーで、だ…」
ブルー、と名前を口にするだけで、心に満ちてゆく幸せ。
また呼べるのだと、ブルーは応えてくれるのだから、と。
会えなかった日でも、呼べば心に溢れる幸せ。
まるで幸せの呪文のように、何度も「ブルー」と口にしてみる。
きっと明日には会える筈だから、それを思って幸せの呪文。
愛おしい人の名前を、繰り返して。
「俺のブルーだ」と、幸せの呪文を何度も言葉に織り込んで、乗せて…。
幸せの呪文・了
※名前を呼んだら、相手が応えてくれる幸せ。前のブルーを失くしている分、尚更です。
ハーレイ先生にとっては幸せの呪文、ブルーの名前。何度呼んでもいいのですv