(ふうむ…)
言葉だけの時代になっちまったか、とハーレイが頭に描いた言葉。
夜の書斎で、コーヒー片手に。
ブルーの家には寄れなかった日、夕食の後でのんびり読書。
愛用のマグカップに淹れたコーヒーがお供、コクリと飲んではページをめくって。
今日はこれだ、と選んだ一冊。
読み進めていたら出会った言葉、普段だったら気にしないけれど。
たまたま合ったタイミング。
この段落を読んだらコーヒー、と思ったキリのいい所。
其処で出て来た言葉が「とりこ」で、漢字で書くなら「虜」の一文字。
目にした途端に、「おや?」と思った。
それから引っ張り出した辞書。
どういう風に説明されているかと、虜の意味は、と。
(生け捕りにした敵、か…)
別の辞書だと、「戦闘の際、生け捕りにした敵」という丁寧な説明。
どちらの辞書でもそれが一番、二番目の意味はこうだった。
「あることに心を奪われること」や、「心を奪われて逃げ出せない人」。
但し書きとして、「本来の意味がこうだったので」、と二番目の意味が生まれた理由。
もしも心を奪われたならば、心が生け捕りになるわけだから。
生け捕りにされて逃げ出せないから、一番目の意味が必要になる。
「心を生け捕りにされました」と。
捕まってしまって、逃げられません、と。
「恋の虜」などという、使用例も載っているのだけれど。
どの辞書も必ず、一番目に書かれている意味は「生け捕り」。
戦いの時に捕虜にした敵、それを指す言葉。
ところが、こいつが無いんだよな…、と辞書を眺めて考える。
辞書を引くことになった原因の、さっき読んでいた本のページも。
どうやら今日はここまでらしい、と苦笑い。
もう読めないなと、俺の心は「虜」の虜になったもんで、と。
(生け捕りなあ…)
今の時代にいるわけないぞ、と言い切れるのが本物の「虜」。
どの辞書を見ても一番に書かれた意味だけれども、もういない。
戦闘など、ありはしないから。
平和になった今の時代に、生け捕りも捕虜も無いのだから。
(死語ってわけではないんだが…)
一番目の意味の出番は無いな、とクックッと笑う。
使う場面が無い時代では。生け捕りも捕虜も無い時代では。
(俺としたことが、今日まで気付いていなかったってか?)
何度も本で読んだのに。
前の自分の記憶が戻った時から、今日までに。
キャプテン・ハーレイが生きた時代なら、本物の「虜」もいたというのに。
(人類軍のヤツらも、海賊退治で生け捕りにしていたんだろうが…)
機械が統治していた時代も、はみ出して生きる者たちはいた。
宇宙で海賊になってしまって、勝手気ままに生きる者たち。
そういう輩を退治するとか、たまに何処かで起きた叛乱。
人類軍が派遣されたら、捕虜になる者もあったろう。
(前の俺たちだって、捕まえたしな?)
とてつもない有名人ってヤツを、と眉間の皺が深くなった捕虜。
あれさえ始末していたら、と今でも忌々しいキース。
シャングリラで捕虜にしてたんだった、と。
赤いナスカにやって来たキース、それをジョミーが捕まえた。
メンバーズだから、地球の情報でも得られれば…、と誰もが考えたのに。
(情報どころか、逃げられた挙句にメギドまで…)
それでブルーを失くしちまった、と悔やんでも悔やみ切れない思い。
あの時、キースを始末していたなら、と。
(…いかん、いかん…)
そっちへ行ったらコーヒーが不味くなっちまう、とコクリと一口。
ブルーは帰って来たのだから。
青い地球の上に生まれ変わって、幸せに生きているのだから。
(…しかしだ、本物の捕虜がいないってことは…)
もしかしたらアレが最後の捕虜だろうか、と思わないでもないキース。
(俺たちは、アレしか捕まえていないわけだし…)
捕虜にされたミュウなどはいるわけがない。
ミュウと知れたら処分されるか、研究所に送られた時代。
人類に戦いを挑んだミュウは前の自分たちだけ、他には誰もいなかったから。
(戦闘でないと、生け捕りはなあ…?)
ただ捕まって檻の中では捕虜ではないな、と大きく頷く。
ミュウが捕まえた捕虜はキースで、あれ一人だけ、と。
(…記念すべき最後の捕虜ってヤツか?)
SD体制が崩壊した後、宇宙から消えてしまった戦闘。
人類とミュウが和解した後の世界になったら、誰も戦わなかったという。
もう戦っても意味が無いから、海賊も叛乱も意味が無いから。
そうして消えて行った武器。
すっかり姿を消した戦闘。
今の時代に捕虜などはいない、「虜」という言葉の意味があるだけ。
何かに心を奪われた時に、二番目の意味を使うから。
「心が捕まってしまいました」と、「生け捕りなんです」と。
何もかも変わっちまったな、と遥かな時の彼方を思う。
今は捕虜さえいない時代かと、本物を見た者は誰もいないな、と。
(キースの野郎が最後だったのか、他にもいたのか…)
分からないが、と飲んだコーヒー。
前のブルーをナスカで失くして、シャングリラで向かった地球への旅路。
捕虜にした者はいなかった。
心を鬼にしていたジョミーは、容赦なく殺していったから。
(だが、人類の方ではだな…)
ミュウを捕虜にはしなかったけれど、同じ人類を何処かで捕えていたかもしれない。
海賊だったり、叛乱を起こした者だったり、と。
(キースが最後ではないかもしれんな、前の俺たちが知らないだけで)
最後の捕虜は誰なんだか…、と考えてみると愉快になる。
今の時代は、いない捕虜。
言葉だけしか残っていない捕虜、けれど言葉は生きているから。
さっきの本にも記されていたし、様々な場面で使われる言葉。
詩にだってなるし、歌に乗せられることだって。
(恋の虜、ってな)
本来の意味の捕虜はいなくて、二番目の意味で馴染みの言葉。
「あなたの虜」と歌う恋歌とか、恋を綴った詩やら、それこそ手紙にだって。
生け捕りになってしまいました、と恋の相手に打ち明ける想い。
それにピッタリの言葉が「虜」で、今の時代はいない捕虜。
(最後に捕虜になっていたヤツが知ったら、ビックリだろうな)
囚われの境遇を嘆いただろうに、記念すべき最後の捕虜なのだから。
今の時代に「虜」と言ったら、幸せな場面で使うのだから。
恋に夢中だとか、趣味の何かの虜だとか。
不幸だった本物の捕虜を見た者は、今の時代はいないのだから。
(前の俺だと、知ってるんだが…)
キースの野郎で、大物としては最後の捕虜の筈なんだが、と傾けるコーヒー。
今の時代も有名なキース、捕虜になったアレを確かに見たぞ、と。
(でもって、逃げられちまってだな…)
酷い目に遭ったのが前の俺だが、と思うけれども、今の自分。
奇跡のように生まれ変わって、失くしたブルーとまた巡り会えた。
もう捕虜などはいない世界で。
青く蘇った、平和な地球で。
(そして、今度は俺が捕虜だぞ)
自由の身なのに、立派に捕虜だ、と思い浮かべた恋人の顔。
十四歳にしかならないブルーを、チビになってしまった恋人を。
(あいつの虜になっちまった…)
戦っちゃいないし、二番目の意味で、とチョンとつついた分厚い辞書。
「心を奪われて逃げ出せないぞ」と、「あいつに生け捕りにされちまった」と。
なにしろ、ブルーに夢中だから。
キスも出来ない小さな恋人、それでも好きでたまらないから。
気付けばブルーを追っている心、どんな時でも。
前の自分がそうだったように、心はとうにブルーの虜。
本物の捕虜はいない時代に、ブルーの虜になっている自分。
生け捕りにされて、夢中になって。
(次に会えるのはいつなんだか、って思っちまうのは普通だし…)
会っている時は、ブルーしか目に入らないと言ってもいいくらい。
キスも交わせはしないのに。
まだまだチビで、ほんの子供の恋人なのに。
(…それでも、あいつの虜ってな)
キースと違って俺は逃げんぞ、と腰抜けな捕虜を鼻で笑った。
あのメンバーズは逃げやがったが、俺は腰抜けではないからな、と。
ブルーの虜になったからには、一生、捕虜でいる覚悟。
いつまでも、何処までも、ブルーの虜。
今度こそ、ブルーと幸せに生きてゆくのだから。
生け捕りにされても、それが幸せ。
ブルーが自分を閉じ込めた檻が、恋をするための幸せな牢獄なのだから…。
あいつの虜・了
※捕虜がいなくなった今の時代に、捕虜になっているらしいハーレイ先生。
ブルー君に生け捕りにされたようですけれども、幸せ一杯みたいです。捕虜でも幸せv