(うーん…)
また明日からはハーレイ先生、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイと過ごした日曜日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
昨日は土曜日、今日は日曜。
学校は休みでハーレイも休み、何の用事も無かったから。
二人でのんびり、お茶に食事といった週末。
それは幸せな時間を過ごして、ハーレイは家に帰って行った。
いつものように「またな」と軽く手を振って。
(でも、昨日だと…)
今日とは違った、「またな」の重み。
同じ「またな」でも、昨日だったら「また明日な」という意味だったから。
ほんのちょっぴり、一晩だけの別れの挨拶だったから。
けれども、今日の「またな」は違って…。
(いつ来てくれるか分からないよ…)
運が良ければ、平日もハーレイは来てくれるけれど。
仕事が早く終わった時には、一緒に夕食を食べてくれるけれど。
その日がいつかは分からない。
明日から始まる一週間の内に、来てくれる日があるかどうかも。
(学校の仕事がどうなるか…)
前もって分からないのが平日、だから予告はしてくれない。
来られそうだという予告は。
この曜日なら、と期待出来そうな日でさえも。
だから「またな」がズッシリと重い、日曜日にそれを聞いた時。
運が良ければ直ぐだけれども、悪かったならば次の土曜日まで会えない。
学校で会えるのは「ハーレイ先生」、「ハーレイ」と呼べはしないから。
挨拶したって、恋人ではなくて先生だから。
次に恋人と会えるのはいつか、「ハーレイ」と呼べるのはいつか。
分からないから重かった「またな」、昨日ならとても軽かったのに。
ほんの一晩、会えないというだけだから。
一晩眠れば次の日になって、またハーレイに会えるのだから。
けれど、日曜日の「またな」は違う。
下手をしたなら次の土曜日まで、会えないままになる恋人。
先生のハーレイには会えるけれども、恋人ではない「ハーレイ先生」。
どんなに熱く見詰めていたって、知らないふりをされるから。
「おう、どうした?」と訊かれるだけで。
他の生徒とまるで変わらない、ただの教え子扱いなだけで。
(ぼくの守り役でも、そこはおんなじ…)
特別扱いはして貰えなくて、教え子の一人。
自分も敬語で話すしかないし、開いてしまうハーレイとの距離。
(…敬語、苦手じゃないんだけれど…)
ウッカリ普通に喋らないよう、切り替えるのは得意だけれど。
それでも思い知らされる距離。
ハーレイは「先生」、自分は「教え子」。
学校はそういう場所なのだからと、恋をするための場所ではないと。
(ハーレイ先生も大好きだけど…)
どんな呼び方でも、ハーレイはハーレイ。
敬語で話さなくては駄目でも、恋人には変わりないのがハーレイ。
そうは言っても、開く距離。
学校へ行けば、また平日がやって来たなら。
「またな」と手を振って帰ったハーレイ、そのハーレイには出会えない。
学校にいるのは「ハーレイ先生」、学校で仕事をしている間は。
土曜日までに来てくれるのか、それとも会えないままなのか。
分からないから零れる溜息、次に会えるのはいつだろうか、と。
(パパもママも待っているのにな…)
遠慮なさらないでいらして下さい、と今日も見送っていた両親。
遅い時間でも、お食事は用意できますから、と。
(だけどハーレイ、来ないんだよ…)
料理上手の母にかかれば、一人分くらい簡単なのに。
皆の料理とは違っていたって、アッと言う間にハーレイの分を作るのに。
(ママは何度もそう言ってるのに…)
夕食の支度に充分間に合う時しか来ないハーレイ。
遠慮しなくていいと思うのに、本当に来て欲しいのに。
(ぼくもお願いしたいけど…)
遅くなる日でも帰りに寄って、と言いたいけれども、チビだから。
両親の家で暮らす子供で、料理を作るのは母だから。
(ぼくが言っても、ただの我儘…)
ハーレイはきっと、「チビが我儘言うんじゃないぞ」と頭をポンと叩くのだろう。
「お母さんに迷惑かけるだろうが」と、「お前が料理をするんじゃないし」と。
両親だったら、ちゃんとハーレイに言えるのに。
「そう仰らずに」と、「毎日でも、いらして下さい」と。
それが大人と子供の違いで、残念でたまらない気分。
ハーレイが「またな」と手を振る度に。
次はいつになるか分からない日曜、その夜に「またな」を聞かされる度に。
今日もズシリと重かった「またな」、明日から始まってしまう平日。
「ハーレイ先生」にしか会えない平日、また直ぐにでも会いたいのに。
明日にだって来て欲しいのに、と思うけれども強請れない。
ハーレイが「またな」と手を振る時に。
両親に「今日は有難うございました」と、礼を言って帰ってゆくハーレイに。
チビの自分はハーレイのために、何一つしてはいないから。
料理はもちろん、お茶を出すことも。
そんな自分は無理を言えなくて、両親だけが言えること。
「遠慮なさらずに」と、「いらして下さい」と。
両親がそれを言った所で、ハーレイは聞きはしないのだけれど。
「有難うございました」と言うほどなのだし、家族同然でも、やっぱり違う。
言葉遣いが丁寧だから。
両親に向かって「またな」と言いはしないから。
(…パパやママには、いつだって敬語…)
それにママたちも、と夕食の席を思い出す。
ハーレイは其処でも「ハーレイ先生」、この家と学校は違うのに。
自分は「ハーレイ」と呼んでいるのに、両親はいつも「ハーレイ先生」。
ハーレイは学校の先生だから。
チビの自分が通う学校、其処で教師をしているのだから。
(仕方ないよね…)
パパとママがそう呼んでいるのも、と思ったけれど。
敬語になるのは先生だから、と考えたけれど。
(あれ…?)
学校だと少し違うみたい、と気が付いた。
他の教師がハーレイに話し掛ける時。
えっと…、と思い浮かべた学校の風景。
ハーレイとバッタリ出会った時には、よく立ち話をするけれど。
そういった時に、他の教師が直ぐ側を通り掛かったら…。
(ハーレイ先生、とは言ってるけれど…)
それは両親と同じだけれども、続く言葉が違うのだった。
(じゃあ、また後で、って…)
丁寧な言葉で話してはいても、別れ際に言う言葉が違う。
両親だったら、「じゃあ、また後で」とは、決して言いはしないだろう。
「また後でよろしくお願いします」とか、「また後で伺いますから」だとか。
ハーレイが「ハーレイ先生」な学校、そこでは違ってくる言葉。
先生同士が顔を合わせて話す時には、「じゃあ、また後で」でいいらしい。
(…どっちも先生だからだよね?)
学校の先生は誰もが先生、「先生」なのが普通の世界。
きっと、生徒のいない場所では…。
(またな、って言ったりするんだ、きっと…)
友達同士の先生ならば。
そして学校の外で会ったら、もう本当に普通なのだろう。
「おう!」と呼び止めて、一緒に食事や、お酒を飲みに行くことだって。
つまり特別ではない「先生」。
学校の中では特別だけれど、教え子にとっても特別だけれど。
職場を離れている時だったら、普通の人と変わらない。
町を歩いている時も。
ハーレイだったら、ジョギングしている時だって。
だから自分にも「またな」と手を振る、帰る時には。
教え子だけれど、恋人だから。
「またな」と言ってもいい人だから。
恋人だものね、と綻んだ顔。
友達の先生と同じ扱い、と嬉しくなった「またな」の言葉。
ハーレイが他の先生たちと話す時には、「また後で」だから。
それと同じで、恋人のぼくにも「またな」と言ってくれるんだよね、と。
今日の「またな」は重かったけれど、またその内に会えるから。
きっとハーレイは来てくれるから、と考えたけれど。
(…前のぼく…)
聞いていない、と蘇った記憶。
前のハーレイは言ってくれなかった、「またな」の言葉。
「また夜に」とは言ってくれたけれど、あんな風ではなかった言葉。
いつも敬語で、ソルジャーのための言葉で話していたハーレイ。
恋人同士だったのに。
本当に本物の恋人同士で、夜は抱き合って眠っていたのに。
(…パパやママに話すみたいな言葉…)
それに「俺」とも言っていなかった、いつだって「私」。
前の自分はソルジャーだったし、ハーレイはキャプテンだったから。
おまけに秘密の恋人同士で、知られないよう気を付けていた。
だからいつでもハーレイは敬語、他の仲間たちの前で言い間違えたら大変だから。
(…ハーレイ、今は「またな」って…)
軽く手を上げて言ってくれる「またな」、日曜日に聞くと重たいけれど。
次はいつかと、ズシリと重くなるのだけれども、その「またな」。
言って貰えるのは、自分がただの教え子だから。
ソルジャーではなくて、ただの子供だから。
(ぼくが普通の子供だから…)
ハーレイの友達の先生とかと同じ扱い、と胸に溢れた幸せな気持ち。
前の自分が聞けなかった「またな」、それを自分は聞けるのだから。
普通の子供になったからこそ、ハーレイが言ってくれるのだから。
なんて幸せなんだろう、と思った「またな」の言葉。
今日はちょっぴり重たいけれども、今だから聞ける幸せな言葉。
ソルジャーではなくて、普通の子供。チビの教え子。
普通だから幸せなんだよね、と浮かんだ笑み。
「またな」と言って貰えるから。
いつか大きく育った時には、結婚だって出来るのだから…。
普通だから幸せ・了
※ハーレイ先生の別れ際の言葉、「またな」が重たい日曜日。ブルー君にとっては。
でも、その「またな」が聞けるのは今だからなのです。普通の子に生まれたことが幸せv