(挨拶だけで終わっちまったか…)
ツイてないな、とハーレイがついた小さな溜息。
夜の書斎でコーヒー片手に、愛おしい人を思い浮かべて。
十四歳にしかならない恋人、前の生から愛したブルー。
青い地球の上に二人で生まれ変わって、自分は教師でブルーは教え子。
今日も学校で会ったのだけれど、挨拶だけは交わせたけれど。
(それだけなんだ…)
急いでいたから、立ち話をする暇は無かった。
古典の授業でブルーのクラスに出掛けたけれども、その授業でも…。
(生憎と、俺の今日の方針…)
スラスラと答える成績のいい子は後回し。
理解出来ていない生徒が中心、答えさせるのも、朗読も。
トップの成績を誇るブルーは、当然、外してゆくしかない。
どんなに張り切って手を挙げていても、当てて貰おうと瞳が煌めいていても。
(ブルー君、と指名出来ないんだし…)
聞けるわけもない、ブルーの声。
挙手する時の「はいっ!」という声、それだけしか。
質問に答えるブルーの言葉も、教科書を朗読する声も。
(それっきりで、だ…)
帰りに寄れもしなかった、と残念な気分。
ブルーの家へと出掛けてゆくには、学校を出るのが遅すぎた。
仕方なく帰った自分の家。
夕食は美味しく食べたけれども、新聞ものんびり読んだのだけれど。
やっぱり何処か物足りない。
熱いコーヒーを飲んでいたって、書斎にゆったり座っていたって。
話しそびれた小さなブルー。
前の生から愛し続けて、また巡り会えた愛おしい人。
今頃は眠っているのだろうか、あの部屋のベッドにもぐり込んで。
(どうなんだかなあ?)
それも分からない、遠く離れたブルーの家。
小さなブルーが両親と一緒に暮らしている家、窓から覗いても屋根さえ見えない。
何ブロックも離れた所で、間に幾つも家が挟まっているのだから。
今の時代は思念波を飛ばして連絡さえも取れないから。
「人間らしく」がルールの時代で、前の自分が生きた時代のようにはいかない。
連絡するなら、きちんと通信。
家の中を透視も出来はしないから、まるで分からないブルーの姿。
起きているのか眠っているのか、それさえも。
幸せな夢の世界にいるのか、夜更かしして本を読んでいるのかも。
(はてさて、いったいどっちなんだか…)
本当に見当も付かないけれども、幸せでいてくれればいい。
夢の中でも、本の世界でも。
もっと別のことをしているにしても、幸せならば。
楽しんでいてくれるのならば、と恋人の姿を思い浮かべる。
「怖い夢なんか見るんじゃないぞ」と、「いい夢を見ろよ」と。
ブルーが恐れるメギドの悪夢。
それに捕まらなければいいと、幸せ一杯でいてくれれば、と。
とうに眠りに落ちているのなら、いい夢を。
それが一番、と思った所で気が付いた。
今の自分の幸せに。
素晴らしい世界に生きていることに。
今は離れているブルー。
此処から屋根さえ見えない所に、愛おしい人はいるのだけれど。
何をしているかも掴めないけれど、今の自分の心配事は…。
(…メギドの夢ってヤツだけなんだ…)
悲しすぎた前のブルーの最期。
小さなブルーが今の自分に話してくれた。
ソルジャー・ブルーだった前のブルーが、どんな最期を迎えたのかを。
どれほど悲しくて辛かったのかを、死よりも恐ろしかった孤独を。
今もブルーは、その夢を見る。
何かのはずみや、右手が冷えてしまった時に。
(俺の温もりを失くしちまって…)
冷たく凍えたというブルーの右手。
独りぼっちになってしまった、と泣きじゃくりながら死んだソルジャー・ブルー。
それがブルーを襲う悪夢で、救いに行けはしないから。
うなされているブルーの肩を揺すって、「起きろ」と夢から掬い上げることは出来ないから。
(アレだけが俺の心配事で…)
もう一つ挙げるなら、ブルーの健康。
前と同じに弱く生まれたブルーの身体は、今でも壊れやすいから。
風邪を引いたり、疲れすぎたりと、悲鳴を上げる小さな身体。
寝込んでしまったブルーを見るのは、今もやっぱり辛いのだけれど。
(それでも、ずいぶん幸せだよなあ…)
前に比べて、と大きく頷く。
小さなブルーが寝込んでいたって、心配事はそのことだけ。
明日は元気になるだろうかと、熱で悪夢を見ないだろうか、と。
他には何もありはしなくて、それだけで全部。
今はこんなに離れているのに。
ブルーが何をしているのかさえ、まるで分かりはしないのに。
(前の俺だと…)
それほど離れはしなかったブルー。
白いシャングリラが巨大な船でも、思念波で取れていた連絡。
基本は通信だったけれども、思念波でやり取りすることも出来た。
ブルーは青の間、自分はブリッジ。
そういう時でも、ヒョイと届いたブルーの思念。
「ハーレイ?」と呼ばれて「はい」と返した。
大抵は、つまらない用事。
それこそ今の自分が知りたい、「ブルーはどうしているのだろうか」といったこと。
ブルーはいつでも、思念波に乗せてそれを伝えていたものだから。
何をしているのか、連絡を取るついでのように。
思い付いた時に、ブルーから飛んで来た思念。
自分も思念で答えを返して、何気ないふりで仕事を続けた。
ブルーと会話をしていたことなど、話しもせずに。
大真面目な顔で舵を握ったり、キャプテンの椅子に座っていたり。
(離れていたって、あいつの様子は…)
知ろうと思えば、直ぐに分かったシャングリラ。
今の自分とは違った状況。
幸せなように思えるけれども、それは脆くて儚い幸せ。
(いつも繋がっているようなモンで、離れることは滅多に無かったんだが…)
たまに船からいなくなったブルー。
シャングリラを離れて、外の世界へと。
ミュウの世界を乗せた箱舟から、人類が生きる世界へと。
そういう時には、もう繋がってはいなかった。
ブルーから思念が届きはしないし、自分から送れもしなかった。
必要な連絡以外では。
ブルーの動きを邪魔しないよう、足を引っ張らないように。
前のブルーと離れた時には、掴めなかったブルーの様子。
どうしているのか、何処にいるのか、全ては届く情報でだけ。
エラが思念で追っているとか、モニターしているブリッジの仲間の報告だとか。
(でもって、俺には何も出来なくて…)
其処までは今と同じだけれども、決定的に違うこと。
それは自分の心配事。
今ならブルーが悪夢を見ないか、体調を崩していはしないかと、心配になってくるのだけれど。
前の自分が抱えていたのは、もっと大きな心配事。
ブルーは無事に戻って来るかと、怪我をしたりはしないかと。
一刻も早く戻って欲しいと、元気な姿を見せて欲しいと祈り続けていた自分。
今と同じに何も出来なくて、ブルーの様子も分からないから。
愛おしい人が何処にいるのか、どうしているかも掴めないから。
(あいつが弱り始めてからは…)
余計に増えた心配事。
あんな身体で出掛けて行って、と生きた心地もしなかった。
ブルーが離れてゆく度に。
白いシャングリラから飛び出して行って、いつもの繋がりが消え失せる度に。
(大丈夫だよ、と言われたってだ…)
本当に大丈夫なのかどうかは、けして分かりはしなかった。
ブルーは心を読ませなかったから、そういったことに関しては。
(挙句の果てに、とうとう離れて逝っちまった…)
前の自分との繋がりの糸を、自分から切って。
「ジョミーを支えてやってくれ」と言葉を残して、前のブルーは飛び去った。
たった一人で遠く離れたメギドへと。
あの時も自分は、何も分かりはしなかった。
ブルーが死ぬと分かっていたのに、その瞬間がいつ来たのかさえも。
(…今の俺たちも、同じように離れているんだが…)
小さなブルーがどうしているのか、分からない自分。
眠っているのか、起きているのか、それさえも掴めないけれど。
(幸せでいてくれればいい、っていうのがなあ…)
前の俺とはまるで違うな、と改めて思った今の幸せ。
離れているブルーを心配するのに、今は要らない命の心配。
メギドの悪夢と、体調を崩さないかと、その程度になった心配事。
(たったそれだけになっちまったか…)
なんて幸せな時代なんだ、と噛み締める今の自分の幸せ。
小さなブルーと離れてはいても、今は心配しなくてもいい。
前の自分と比べたならば、ほんの小さな心配事。
おまけに、それもいつかは消える。
いつかブルーと暮らし始めたら、悪夢を払ってやれるから。
「起きろ」と肩を揺すってやって。
ブルーが体調を崩した時にも、自分が世話をしてやれる。
必要だったら仕事を休んで、一日も早く良くなるようにと。
(今だけな上に、ちっぽけな心配事なんだ…)
あいつと離れちまっていても、と今の小さなブルーを想う。
離れていても心配事は少しだけだと、それもいつかは消えるんだよな、と…。
離れていても・了
※ブルーと離れてしまっていても、今は少しだけになった心配事。前と違って。
それに気付いたハーレイ先生、本当に幸せ一杯でしょうね。離れていてもv