(今日も握って貰ったんだけど…)
とても温かかったけれど、と小さなブルーが眺めた右手。
ハーレイが訪ねて来てくれた日の夜、お風呂上がりにパジャマ姿で。
一人、ベッドにチョコンと座って。
その手を温めてくれていた人は、とうに帰ってしまったから。
温かくて大きな手の持ち主は、自分の家へと帰ったから。
「またな」と軽く手を振って。
いつも右手を温めてくれる、その手で別れの合図をして。
ハーレイの家は何ブロックも離れた所で、手を伸ばしても届かない。
温かい手は此処には無くて、何ブロックも離れた所。
(今頃は、きっと…)
コーヒーを満たしたマグカップを持っているのだろう。
取っ手にしっかり指を通して、握っているのはマグカップ。
そうでなければ、白い羽根ペン。
日記を書こうと、インクに浸して。
恋人のことなど書いてくれない日記を、航宙日誌を書くかのように。
中身はせいぜい今日の天気と、出掛けていたということくらい。
「ブルーの家へ」と書いてはくれずに、「生徒の家へ」と。
(…どうせ、そういう書き方なんだよ…)
恋人どころか名前も書かずに、「生徒」とだけ。
前のハーレイの航宙日誌もそうだったっけ、と零れる溜息。
「俺の日記だ」と決して読ませてくれなかったから、あれこれ想像していた中身。
けれども、前の自分との恋は微塵も書かれていなかった。
だから今度の日記も同じで、書かれはしない恋のこと。
今日も二人で過ごしていたのに、右手も握って貰ったのに。
恋人同士で手を握り合うのとは少し違った、右手を握って貰うこと。
前の自分の悲しすぎた最期、それを和らげて貰うこと。
起こってしまったことは変わりはしないけど。
時の彼方に戻れはしないし、最期は変えられないけれど。
(でも、悲しくて辛かったんだよ…)
前の自分が失くしてしまった、右手に持っていたハーレイの温もり。
最後まで持っていたいと願って、それを貰って行ったのに。
別れ際に触れたハーレイの左腕から、そっと。
この温もりを持っていたなら、自分は一人ではないのだと。
けれど、落として失くしてしまった。
青い光が溢れるメギドの制御室で。
キースに撃たれた傷の痛みで、それに耐えるのが精一杯で。
(気が付いた時には、失くしちゃってた…)
最後に右の瞳を撃たれて、真っ赤に塗り潰された世界で。
半分だけになった視界が戻った時には無かった温もり。
ハーレイとの絆は切れてしまって、独りぼっちになっていた自分。
最後まで一緒の筈だったのに。
右手の温もりをしっかりと抱いて、永遠に眠る筈だったのに。
(前のぼく、泣いて…)
泣きじゃくりながら死んでしまった、独りぼっちで。
もうハーレイには二度と会えないと、死よりも恐ろしい絶望の中で。
それで終わりで、前の自分は消えたのに。
奇跡のように貰った新しい命と、新しい身体。
青く蘇った水の星の上で。
ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって、また巡り会えた。
絆は切れてしまっていなくて、恋の続きが始まったけれど。
幸せな日々が訪れたけれど、消えてくれない悲しい記憶。
右手が凍えたメギドでの最期、だからハーレイに強請ってしまう。
「温めてよ」と右手を差し出して。
大きな褐色の手で握って貰って、その温もりで包んで貰う。
前の自分が持っていた温もり、それは微かなものだったのに。
ハーレイは制服を纏っていたから、その腕から貰った温もりだから。
(ほんのちょっぴりだったんだよ…)
本当に僅かだった温もり、けれど大切だった温もり。
貰ったものより遥かに温かく、頼もしく感じられた温もり。
「此処にハーレイがいるんだから」と。
一人ではないと、ハーレイも一緒なのだから、と。
(ちょっぴりでも、とても温かかった…)
温かくて大切だったのに、と今でも思い出せる悲しみ。
失くしてしまって、独りぼっちで泣きながら死んだ時の悲しみ。
だからハーレイに強請ってしまう、「温めてよ」と。
今日も強請って、貰った温もり。
温かくて幸せだった時間を過ごして、お茶を飲んだり、食事をしたり。
そしてハーレイは帰ってしまった、「またな」と軽く手を振って。
何ブロックも離れた所へ、あの温かな手を連れて。
(今は、羽根ペンかマグカップ…)
それが独占しているのだろう、ハーレイの手を。
此処にあった時は、「温めてよ」と強請れば右手を優しく握ってくれたのに。
優しく包んでくれていたのに、あの手は帰って行ってしまった。
ハーレイと一緒に家に帰って、今は羽根ペンかマグカップの面倒を見ているのだろう。
自分はポツンと置いてゆかれて、独りぼっちになったのに。
両親がいる暖かな家でも、ハーレイは此処にいないのに。
(温めて欲しくても、あの手は無くて…)
羽根ペンかマグカップに盗られてしまった、温かな手を。
いつも温もりを分けてくれる手、好きでたまらない恋人の手を。
(いいな、マグカップは…)
それに羽根ペン、と羨ましくなるハーレイの持ち物。
ハーレイの家で一緒に暮らして、あの手で握って貰える物たち。
他にも幾つも、幾つもある筈。
新聞はその日限りの付き合いだけれど、本なら何度も手に取るだろうし…。
(お皿も、フォークも…)
ハーレイの温もりを貰い放題、あの手を独占し放題。
出番となったら、何度でも。
自分のようにポツンと置いてゆかれはしなくて、ハーレイが帰って来る家で。
留守にしていても、ちゃんと帰って来る家で。
(いいな…)
羨ましいな、と思い浮かべる本やお皿や、フォークやスプーン。
ハーレイの家にあるというだけで、何度も握って貰えるのだから。
大きなあの手で、温かくてがっしりしている手で。
羨ましい羽根ペンやマグカップたち。
ハーレイの家で暮らす物たち、どれもハーレイに握って貰える。
日記を書こうとしたなら羽根ペン、コーヒーを飲むならマグカップ。
食事をするならお皿やフォークで、本を読むなら、その日のお供をする本が。
(羽根ペンとかマグカップになりたいよ…)
いつでも握って貰えるんだもの、と眺めた自分の小さな右手。
ハーレイに置いてゆかれた手。
この家に置き去りにされてしまって、羽根ペンたちがハーレイと一緒。
「お帰りなさい」とハーレイを迎えて、日記を綴る役に立ったり、熱いコーヒーを満たしたり。
フォークやスプーンも、明日の朝にはきっと出番がやって来る。
あの大きな手に握って貰って、ソーセージやマーマレードを運んで。
(ぼくの手は握って貰えないのに…)
ハーレイの家に、自分は出掛けてゆけないから。
前と同じに育つまでは駄目で、行っても入れては貰えないから。
羨ましくてたまらない物たち、ハーレイの家に住む物たち。
マグカップも、羽根ペンも、色々な本も。
フォークもスプーンも、それにお皿も。
(ホントにいいな…)
いつもハーレイと一緒に暮らして、握って貰える色々な物。
自分は「またな」と置いてゆかれて、一人ポツンと座っているのに。
ハーレイと一緒に帰りたくても、連れて帰っては貰えないのに。
(ぼくの手、握って欲しいのに…)
昼間みたいに温めてよ、と心でどんなに呼んでみたって、いないハーレイ。
何ブロックも離れた所で、他の何かを握っているから。
羽根ペンだとか、マグカップとかを。
(いいな、羽根ペン…)
それにマグカップ、と思った所で気が付いた。
今は離れて暮らしているから、右手を握って貰えないけれど。
羽根ペンやマグカップにハーレイの手を盗られたけれども、きっといつかは…。
(ぼく、ハーレイと暮らすんだよね?)
前と同じに育ったら。
結婚出来る年になったら、ハーレイと結婚するのだから。
そしたら自分も、今の羽根ペンやマグカップたちと同じにハーレイの家に住む。
「お帰りなさい」とハーレイを迎えて、抱き付いてキスも出来る筈。
右手を握って貰うどころか…。
(一緒に食事で、一緒に眠って…)
身体ごと抱き締めて貰えるのだった、その時が来たら。
ハーレイは羽根ペンやマグカップたちよりも、自分の方を選んでくれる筈だから。
(ぼくとコーヒー、どっちが大事、って…)
尋ねた途端に、「お前に決まっているだろう!」と返って来そうな答え。
たとえ相手が日記でも。
「どっちが大事?」と訊いたなら。
きっといつかは、あの大きな手を独占できる時が来る筈。
羽根ペンよりも、マグカップよりも、大切に握って貰えそうな右手。
もう何年か経ったなら。
ハーレイと一緒に暮らす時が来たら。
(それに、家だけじゃなくて…)
外でも握って貰えるのだろう、「温めてよ」と強請らなくても。
手を繋いで二人でデートする時は、今よりもずっと幸せな気持ちで…。
(右手、握って貰えるよね?)
ハーレイと並んで歩くんだから、と胸がじんわり温かくなる。
早くその日が来るといいなと、いつも右手を握って貰って二人一緒に歩くんだもの、と。
あの手で握って貰えるのならば、右手でなくてもかまわない。
右手だろうが、左手だろうが、キュッと握ってくれるなら。
そんな気持ちさえしてくる不思議。
「右手でなくてもかまわないよね」と、「握ってくれる手はどっちでもいいよ」と。
きっとその頃には、右手に残った悲しみも消えて、幸せ一杯だろうから。
ハーレイと二人で並んで歩いて、二人一緒に暮らすのだから…。
握って欲しい手・了
※羽根ペンやマグカップが羨ましくなったブルー君。いつもハーレイに握って貰えるから、と。
でも、結婚したら握って貰い放題になるのがブルー君の右手。幸せな未来が待ってますv
- <<夜逃げの危機です
- | HOME |
- 握ってみたい手>>