「おっ、新顔か?」
初めて見るな、とハーレイが声を掛けた猫。
若いと一目で分かる三毛猫、帰って来たらヒョッコリ顔を覗かせた。
ブルーの家には寄れなかった日、ガレージから庭に入ったら。
何処かで寛いでいたのだろうか、「ミャア」と一声、艶やかな毛並み。
「よしよし。…迷子ってわけでもなさそうだな?」
「…ミャア?」
「何か食って行くか、ミーシャ…ではないな、お前さんの名前は何なんだ?」
俺には分からないんだが、と訊いたけれども、猫が答える筈もない。
とりあえず猫はミーシャなんだ、と撫でてやった頭。
子供時代に、隣町の家で母が飼っていた猫。
真っ白な毛皮で甘えん坊だった猫、その名前がミーシャだったから。
名前を知らない猫は「ミーシャ」で、白でも三毛でも、黒でもミーシャ。
(ふうむ…)
こいつも甘えん坊か、と眺めた三毛猫。
頭を撫でて貰った後には、足に身体を擦り付けるから。
「おいおい、ズボンを汚さないでくれよ?」
「ミャア!」
分かってます、といった具合に聞こえた鳴き声。
暫く足と戯れた後で、猫は悠然と歩き始めた。
しなやかな尻尾を誇らしげに立てて、「それじゃ、さよなら」と。
庭を横切り、生垣をくぐって見えなくなった新顔の三毛。
多分、家へと帰るのだろう、夕食を食べに。
此処でおやつを食べているより、自分好みの食事をくれる飼い主の家に。
行っちまったか、と見送った後で入った家。
玄関の明かりで確かめたけれど、ズボンについてはいない猫の毛。
(一本も無しか…)
こりゃ見事だな、と感心させられた毛皮の手入れ。
飼い主もせっせとブラッシングをしているだろうけれど…。
(あいつが自分で手入れしないと、こうはいかんぞ)
さっきみたいに生垣を抜けたり、あちらこちらに入ってみたり。
そういうのが猫の散歩なのだし、毛皮もあちこち引っ掛かるから。
一本、二本と引っ掛かったら抜けてしまう毛、それをくっつけて歩きがち。
だからズボンにも毛の四本や五本くらいは、と考えたのに。
(毛皮自慢のミーシャだったか…)
俺にとってはあいつもミーシャ、と新顔の三毛を心で褒めた。
毛皮の手入れがよく出来ていたと、親猫の躾もいいのだろうと。
人間では躾けられないから。
子猫の間に親が毛皮をつくろってやって、「こうだ」と教える毛づくろい。
(たまに酷いのがいるんだよなあ…)
自分では一切やりません、とばかりに手入れは人間任せの猫が。
面倒だからと放りっ放しで、飼い主が少し留守にしたなら…。
(抜け毛だらけと来たもんだ)
人間任せにしているくせに、飼い主以外には任せられないと思い込んでいる毛皮の手入れ。
自分では全くやらないのだから、アッと言う間にくたびれる毛皮。
それでも少しも悪びれもせずに、我が物顔でのし歩く。
「飼い主はちょっと留守にしてます」と、「留守番の人なんか、どうでもいいです」と。
何度かその手の猫に出くわして、抜け毛だらけにされたズボン。
なまじ名前を知っていたりすると、ウッカリ呼んでしまうから。
猫の方でも「呼びましたか?」と近付いて来ては、ズボンに懐いてくれるから。
今日のミーシャはいい猫だった、と夕食の後にも覚えていた猫。
書斎でのんびりコーヒー片手に眺めたズボン。
スーツは着替えてしまっているから、あのズボンではないけれど。
抜け毛を一本も残さなかった猫、その素晴らしさを示したズボンは履き替えたけれど。
(なんて言うんだろうなあ、あいつの名前…)
きっと近所の猫だろうから、その内に分かることだろう。
ジョギングの途中でバッタリ会ったりした時に。
飼い主と一緒に庭にいたなら、声を掛ければ名前を教えてくれるから。
あの猫ではなくて、飼い主が。
「この子の名前は…」と、「可愛がってやって下さいね」と。
(名前が分かるまではミーシャなんだ)
猫なら白い毛皮でなくても、と大きく頷く。
物心ついた時には、家にミーシャがいたものだから。
真っ白なミーシャと暮らしていたから、親しみをこめて呼ぶなら「ミーシャ」。
(寄るな、触るなって感じの猫でも…)
ミーシャなんだよな、とクックッと笑う。
猫はミーシャだと思っているから仕方ない、と。
本当の名前が分からない内は、どれでもミーシャ、と。
猫を呼ぶなら、いつでもミーシャ。
他の名前は思い付かない、猫の名前は幾つもあるのに。
(モカに、マロンに…)
この近所だけでも沢山あるぞ、と挙げてみたけれど、しっくりくるのはやっぱりミーシャ。
本当の名前が分かった途端に、モカやマロンになるけれど。
それだと分かれば、モカやマロンの方がストンと納得出来るのだけれど。
(面白いもんだな、人間ってのは)
馴染んだ名前が一番らしい、と思った所で不意に浮かんだ恋人の顔。
十四歳にしかならないブルーは、前の生から愛した人。
前とそっくり同じ姿に生まれたブルーは、やっぱりブルー。
「ソルジャー・ブルー」と呼ばれないだけで。
(あの姿だから、ブルーって名前になったんだろうが…)
赤い瞳に銀色の髪。
生まれながらにアルビノのブルー、誰でも偉大なミュウの長を連想するだろう。
あやかりたいと「ブルー」と名付けるだろうし、現にブルーも「ブルー」だけれど。
(…違う名前ってことだってあるぞ?)
ソルジャー・ブルーと同じアルビノの息子が生まれて来たって、違う名前を選ぶ親。
いつか息子が生まれた時にはこの名にしよう、と決めていたなら。
そちらの方が断然いいと思っていたなら、付けるだろう名前。
銀色の髪に赤い瞳でも。
誰が見たってソルジャー・ブルーな姿に育つだろう子でも。
(ベルファイアだとか、オーガストだとか…)
あるいはヘンリー、デヴィッドだってあるだろう。ロバートとかも。
ブルーとは似ても似つかない名前。
息子が生まれたらこの名前だと、ブルーの両親が思ったならば。
ブルーがこの世に生まれて来た時、「会いたかったよ」とその名で呼んだなら。
(ヘンリーにロバート…)
それにベルファイアにオーガスト、と頭を抱えてしまった名前。
どれもブルーに似合いそうもない、愛おしい小さなブルーには。
前と同じに育ったとしても、やっぱり似合いそうにない。
気高く美しかった恋人、彼の名前がヘンリーだなんて。
あるいはロバート、ベルファイアなんて。
(オーガストでも、デヴィッドでも…)
まるで違うという気がする。
ブルーがどんなに自分を慕って、前と同じに恋してくれても。
「好きだよ」と甘く囁いてくれても、その名を「ブルー」と呼べない恋人。
「俺も好きだ」と抱き締めてみても、腕の中にはブルーはいない。
中身はブルーの魂だというのに、今の名前は違うから。
違う名前で育って来たから、小さなブルーはベルファイア。
そう呼ぶしかなくて、ブルーの方でも…。
(…ブルーと呼んでもいい、と言ってくれても…)
きっと馴染みが薄いことだろう、前の自分の名前でも。
前は確かにブルーだった、と記憶をすっかり取り戻していても。
(今の人生が優先だしな?)
優しい両親に見守られて育って来たブルー。
前の生とは比較にならない、幸せな時代に生きているブルー。
きっとブルーも、今の名前で生きる自分が好きだろう。
ロバートだろうがヘンリーだろうが、ベルファイアだろうが、デヴィッドだろうが。
(あいつの名前が…)
違っていたら、と愕然とさせられた今の状況。
それは充分に有り得たことだと、小さなブルーはオーガストだったかもしれない、と。
そいつは困る、と溜息が零れたブルーの名前。
前の生で初めて出会った時から、ブルーをブルーと呼んでいた。
三百年以上も共に暮らして、恋をした時にも同じにブルー。
前のブルーを失くした後にも、何度も名前を呼び続けていた。
「待っていてくれ」と、「地球に着いたら追ってゆくから」と。
どうしたわけだか生まれ変わって、青い地球の上で出会ったけれど。
(あいつはブルーで…)
なんとも思わず、「俺のブルーだ」と抱き締めていた。
やっと会えたと、ブルーが帰って来てくれたと。
(しかし、それがだ…)
ブルーではなかった可能性も、と今頃になってようやく気付いた。
もしもブルーの両親の中に、こだわりの名前があったなら。
息子が生まれたらこの名前だと、用意していた名があったなら。
(俺はあの名前に感謝するぞ…!)
ブルーは俺にとってはブルーだ、と改めて思い浮かべた恋人。
あの名前がいいと、ブルーはブルーなんだから、と。
(猫はどれでもミーシャになるのと同じでだな…)
俺の恋人はブルーなんだ、とコーヒーのカップを傾ける。
あまりにも慣れてしまったから。前の生から数え切れないほど、呼んで呼び続けた名前だから。
だから嬉しい、ブルーの名前。
今も同じにブルーな恋人、本当にブルーと呼んでいいから。ブルーは今でもブルーだから…。
あいつの名前・了
※ブルー君の名前が違っていたら、と今頃になって気付いたハーレイ先生。
困るでしょうねえ、あのビジュアルで名前がまるで違っていたら。ブルーで押し通すかもv
ズラズラ羅列していた名前は、海外ドラマの「ワンス・アポン・ア・タイム」から。
ちょいとオマージュ、ルンペルシュティルツキンと息子ベルファイアに捧ぐ。