(…そろそろかな?)
ハーレイが持って来てくれるかな、と小さなブルーが眺めた瓶。
金色をしたマーマレードが入っている瓶、かなり減った中身。
夏ミカンの実で作られたそれは、ハーレイが届けに来てくれる。
残りが少なくなってきた頃に、「ほら」と金色がたっぷり詰まった瓶を。
だからもうすぐ、とスプーンで掬ってトーストに塗った。
夏ミカンの実の金色を。
お日様の光をギュッと集めて作ったみたいな、少しビターなマーマレードを。
キツネ色に焼けたトーストに似合う、金色に輝くマーマレード。
齧ると胸に溢れる幸せ、「ハーレイの朝御飯とおんなじ味」と。
ハーレイもトーストを食べているなら、きっと同じになるのだろう。
隣町にある家で、ハーレイはこのマーマレードを食べて育ったらしいから。
今もやっぱりお気に入りの味で、朝食に欠かせないらしいから。
(ホントにいいもの、貰っちゃった…)
それに美味しい、と顔が綻ぶ。
ハーレイの母の手作りだというマーマレードは、何か賞でも取れそうな味。
母だって、前にそう言っていた。
「マーマレードのコンクールに出せば、賞が取れると思うわよ?」と。
残念なことに、自分やハーレイが暮らす地域に、そのコンクールは無いけれど。
もしもあったら、本当に賞が取れるだろう。
このマーマレードを食べた後では、市販品だと物足りないから。
「ハーレイがくれたマーマレードの方がいいな」と、子供の自分でも思うのだから。
そんな素敵なマーマレードを、今朝も美味しく食べられた。
休日の朝だから、ゆっくりと。
この味が好き、とトーストと一緒に噛み締めながら。
朝御飯の後は二階の自分の部屋に帰って、きちんと掃除。
ハーレイが来てくれる前にと、テーブルも椅子もちゃんと並べて。
それが済んだらハーレイを待つだけ、今日はあるかもしれないお土産。
マーマレードが詰まっている瓶、金色が詰まったガラス瓶。
大きな瓶は、ハーレイの母が蓋をした瓶。
マーマレードが傷まないよう、きっちりと。
(そのまま、開けていないんだから…)
瓶の中には、きっと素敵な場所の記憶も詰まっている筈。
ハーレイが育った隣町の家、其処のキッチンの優しい光景。
採れたばかりの夏ミカンの実を、「まだまだあるぞ」と運び込んでいるハーレイの父。
それを洗って皮を剥いてゆくハーレイの母。
皮を刻んで、中の実も使って、大きな鍋でグツグツ煮詰めてゆくのだろう。
とても美味しいマーマレードを作り上げるために、焦げないように。
(そういう景色も詰まってるよね…)
瓶の蓋を開けたら、ふわりと広がるかもしれない。
ハーレイの両親の声や笑顔や、キッチンに溢れる夏ミカンの匂い。
もいだばかりの実の匂いだとか、皮を剥いた時の酸っぱい匂い。
マーマレードが煮える甘い匂いも、温かな湯気も。
(前のぼくなら、分かるんだけどな…)
知りたいと思えば、探れただろう思念の残り。
瓶の蓋を閉めたハーレイの母が残した、キッチンの記憶。
心をこめて閉めた蓋なら、きっと思いが残るから。
「美味しく食べて貰えますように」と、ハーレイの母が閉めた蓋。
その時にキッチンにあった空気も、匂いも残っているだろう。
さっき想像してみた光景、それの欠片がきっと幾つも。
(…ちょっと覗いてみたいよね?)
どんな景色か、幸せが溢れるキッチンを。
黄色く熟した夏ミカンの実が、山と積まれたキッチンを。
けれど出来ない、叶わない夢。
今の自分は、タイプ・ブルーというだけだから。
名前ばかりの強いサイオン、実の所は不器用な自分。
思念波もろくに紡げはしないし、前の自分とは大違い。
マーマレードの瓶の蓋を開けても、見えるわけがない素敵な光景。
蓋を開けたら、マーマレードが見えるだけ。
誰もスプーンを突っ込んでいない、詰めた時のままのマーマレードが。
滑らかな金色が詰まっているだけ、幸せな景色は見えてはこない。
どんなに努力してみても。
ウンウン唸って頑張ってみても、マーマレードしか見えない自分。
タイプ・ブルーとは名前ばかりで、何も出来ないから。
不器用すぎるチビの自分は、手も足も出ない夢の瓶なのだから。
悔しいけれども、それが現実。
読み取れはしない、ハーレイの母が残した思念。
マーマレードがたっぷり詰まった大きな瓶を、ハーレイが届けてくれたって。
「ほら、持って来たぞ」と、新しい瓶をくれたって。
蓋を開けても見えない光景、幸せなそれが見たいのに。
ハーレイと自分が結婚すると聞いて、「新しい子供が出来た」と喜んでくれた人たちを。
まだ結婚もしない内から、家族だと思ってくれる人たち。
優しくて温かいハーレイの両親、その人たちがいるキッチンを。
(見たいんだけどな…)
いつか自分を迎えてくれて、両親になってくれる人たち。
夏ミカンのマーマレードを毎年、毎年、作る人たち。
太陽の色に熟した果実を、キッチンに山と積み上げて。
沢山のマーマレードを作って、ご近所や友人に配る人たち。
少しでいいから見てみたいのに、今の自分は見られない。
前の自分なら、きっと簡単だっただろうに。
マーマレードの瓶を手にして、蓋の上に手を重ねたら。
蓋を閉めるのに使った力は、どんな具合かと追い掛けたなら。
(ハーレイのお母さんの心ごと…)
キッチンも、其処に漂う匂いも、マーマレードの鍋だって見えた。
瓶に詰める前の、煮詰める途中の甘い金色。
それを木べらで混ぜている手も、きっと簡単に見えたのに…。
今の自分はまるで駄目だ、と零れた溜息。
ハーレイがそろそろ、新しい瓶をくれそうなのに。
「切れちまう前に持って来ないとな?」と、「約束だしな」と、マーマレードを。
せっかく素敵な瓶を貰っても、今の自分には使えない魔法。
魔法だとしか思えないサイオン、そのくらい不器用になってしまった自分。
(なんで、こうなの?)
前のぼくみたいな力があれば、と悔しくてたまらないけれど。
マーマレードの瓶に詰まった夢の光景、それを覗き見したいのだけれど。
まるで出来ないから、いつか本当に行ける時まで我慢するしかないのだろう。
ハーレイの車の助手席に乗って、隣町の家に行く日まで。
庭の大きな夏ミカンの木を、この目で眺めて見上げる日まで。
(マーマレードを作る時にも…)
きっと連れて行って貰えるだろうし、そしたら現実になる光景。
キッチンに運び込まれる夏ミカンの実も、マーマレードを煮詰める鍋も。
(ぼくも、お手伝い…)
出来るといいな、と描いた夢。
マーマレードを上手に煮るのは無理でも、実を洗うことは出来るから。
皮を上手に刻めなくても、果汁は搾れるだろうから。
そういう時がやって来るまで、見えないらしい幸せなキッチン。
マーマレードの新しい瓶は、キッチンの記憶を秘めているのに。
出来上がった時に閉めたままの蓋、それを開けたら中から夢が溢れ出すのに。
どうして自分は駄目なのだろうと、前のぼくなら、と悲しい気持ち。
ハーレイが届けてくれる瓶から、前ならきっと見えたのに。
(…マーマレードの瓶の蓋…)
こんな風に手を重ねるだけで、と自分の左手に重ねた右手。
左手が瓶の蓋のつもりで、そっと重ねてみたのだけれど。
(えーっと…?)
この手、と見詰めた自分の右手。
冷たく凍えてしまったのだった、前の自分の右の手は。
ハーレイの温もりを失くしてしまって、メギドで独りぼっちになった。
そして泣きながら死んでしまった、ハーレイには二度と会えないと。
温もりを失くして右手が凍えて、絆が切れてしまったから。
(でも、生きてる…)
いつも忘れてしまうのだけれど、新しい身体と、新しい命。
それをもう一度貰ったのだった、青い地球の上で。
ハーレイと二人で生まれ変わって、今度は幸せになれるよう。
平和な時代に、前の自分が焦がれた星で。
今度は恋を隠すことなく、いつか迎えるハッピーエンド。
その先で出会える夢のキッチン、ハーレイの母がマーマレードを作るキッチン。
甘い匂いも、もぎたての夏ミカンの酸っぱい匂いも、全部いつかは本当になる。
マーマレードの瓶の蓋から、記憶を何も読み取れなくても。
其処に詰まった夢の景色を見られないほど、サイオンが不器用な自分でも。
そうなのだった、と気付いた今。
幸せすぎる毎日ばかりで、それが当たり前になってしまって、零してしまった小さな不満。
「前のぼくなら」と、「マーマレードの瓶の蓋から」と欲張って。
隣町の家の幸せなキッチン、それを見たいと望んだけれど。
そういう力を持っていた頃は、そんな夢など見られなかった。
前の自分も、前のハーレイも、シャングリラの中が世界の全て。
庭に夏ミカンの大きな木がある家などありはしなかった。
其処から届くマーマレードも、ハーレイの優しい父と母も。
(…欲張っちゃってた…)
前の自分は持たなかった世界、それを自分は持っているのに。
いつか必ず手が届くのに、先に見たいと欲張った。
前の自分の力があればと、どうして今はそれが無いのかと。
(…あんな力があったって…)
夢の世界が無いのだったら、手を伸ばしても届かないなら、意味などありはしないから。
儚く消えてしまう夢より、手が届く世界がいいに決まっているのだから。
(欲張っちゃ駄目…)
マーマレードの新しい瓶を貰えるだけで幸せだもの、とパチンと叩いた自分の頬っぺた。
きっと今日あたり、ハーレイが届けてくれるから。
お日様の金色を閉じ込めたような幸せの瓶が、この家にやって来るのだから…。
マーマレードとぼく・了
※ハーレイ先生が届けてくれるマーマレード。その瓶に残った思念が見たいブルー君。
「前のぼくなら…」と思う気持ちは分かりますけど、欲張りすぎたら駄目ですよねv
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