(俺にとっては馴染みの味で…)
朝の定番だったんだがな、とハーレイが眺めるマーマレード。
トーストに塗り付けた蜜のような金色、夏の太陽を思わせる色。
ガブリと齧れば、いつもの味。
甘いけれども少しビターな、夏ミカンで出来たマーマレード。
幼い頃から、朝のテーブルにあったそれ。
大きなガラスの瓶に一杯、いつでも朝の日射しの中に。
(おふくろ、いつから作ってたんだか…)
物心ついた頃には、今と変わらない味だった。
きっとレシピも変わっていなくて、いつでも同じ味なのだろう。
(加減をするとは言ってたが…)
その年の夏ミカンの出来に合わせて、入れる砂糖や蜂蜜の量を。
煮詰める時間も変わるのだろう、夏ミカンの皮が含んだ水分の量も色々だから。
(俺も手伝ってはいたんだがなあ…)
レシピそのものを聞いてはいない。
わざわざ自分で作らなくても、不自由はしないマーマレード。
隣町の家に出掛けて行ったら、大きな瓶を渡されるから。
「ほら、いつもの」と手渡されるのが常だから。
夏ミカンの金色が詰まった瓶を。
母の手作りのマーマレードがたっぷり入ったガラスの瓶を。
子供の頃から舌に馴染んだ味、一年に一度、母がせっせと作る味。
自分が育った隣町の家、其処の庭にある夏ミカンの実で。
庭のシンボルと言っていいほど、目立つ大きな夏ミカンの木。
もっと背の高い木もあるというのに、幾つも実る金色の実。
それがドッサリ、そのせいで目立つ。
通りすがりの散歩の人でも、足を止めて暫し眺めるほどに。
なんと見事な夏ミカンの木かと、手入れもきっと大変だろうと。
(大した手入れはしてないんだがな?)
枝の剪定と、肥料を入れてやるくらい。
手がかからないのが両親の自慢で、手間いらずで実る夏ミカン。
(おまけに、当たり外れもないし…)
果樹にありがちな、当たり年とか外れ年。
個人の庭で育つ果樹だと、気まぐれな木が多いもの。
食べ切れないほどの実をつけた翌年、数えるほどしか実が出来ないとか。
(しかし、あの木は優秀な木で…)
そうなったことは一度も無かった、自分の記憶にある限り。
季節になったら実る金色、その数はいつも変わらない。
数えていたなら、「今年は少し少ないな」と思う年もあるかもしれないけれど。
ほんの二個だか、三個だかの差で。
きっとそういう木なのだと思う、両親もそう言っているから。
当たり外れのない夏ミカンの木だと、褒めるのを何度も聞いているから。
夏ミカンの実は、秋に黄色くなるけれど。
他のミカンとそっくりだけれど、食べようとしたら失敗する実。
名前の通りに夏が食べ頃、正確に言うなら初夏の頃。
それまでは酸っぱいだけのミカンで、甘くなるのは冬を越してから。
(甘くなったら、マーマレード作りの季節ってな)
沢山の実をもいで、キッチンに運んで、其処で始まるマーマレード作り。
母がグツグツと大鍋で煮詰める、太陽の金色のマーマレード。
(本当に俺には馴染みの味で…)
朝のテーブルには欠かせないんだ、と眺めるマーマレードの瓶。
トーストと一緒に頬張った味も、多分、一種のおふくろの味。
料理とは違うものだけど。
それだけで一品になりはしなくて、トーストに塗ったり、料理のソースの隠し味にしたり。
(まさか、こいつがプレゼントになるとは思わなかったぞ)
両親はマーマレードが出来上がる度に、「どうぞ」と配って回るけど。
近所の人や友人たちにと、届けに出掛けてゆくのだけれど。
(俺もお使いに行ったもんだが…)
マーマレードの瓶を抱えて、近所の家へ。
隣町の家に住んでいた頃には、「こんにちは」とチャイムを鳴らして。
けれどそこまで、あくまで「お使い」。
自分の友達にプレゼントしたりはしなかった。
家に来た友達が「美味いな」と褒めたら、母が土産に持たせた程度。
プレゼントするのは父か母かで、自分は常に脇役だった。
ところが、今では変わった事情。
夏ミカンの実のマーマレードを小さなブルーが食べている。
前の生から愛したブルーが、生まれ変わって再び出会えた恋人が。
(あいつ、ホントに気に入っちまって…)
まるで宝物のような扱い、マーマレードは金色なだけで、黄金とは違うものなのに。
本物の金では出来ていないのに、顔を輝かせた小さなブルー。
両親からの贈り物だ、と初めて届けてやった日に。
「俺の嫁さんになるお前にプレゼントだそうだ」と、両親の言葉を伝えた時に。
それは嬉しそうに、マーマレードの瓶を見ていたブルー。
表向きはブルーの両親への御礼だったのに。いつも御馳走になっているから。
(そのせいで、先に食われちまったんだっけな)
ふと思い出して、零れた笑い。
小さなブルーが開けるよりも前に、マーマレードの瓶を開けてしまっていた両親。
「ぼくよりも先に食べられちゃった」と、泣きそうな顔をしていたブルー。
まるでこの世の終わりのように。
(親父たちからのプレゼントだしなあ…)
自分が思ったよりも遥かに、ブルーには大切だったのだろう。
両親から預かって来たマーマレードが、最初の贈り物だった瓶が。
「パパとママも気に入ってるから、直ぐ無くなるよ」と肩を落としていたブルー。
せっかく貰ったマーマレードなのに、アッと言う間に無くなっちゃう、と。
だから、急いで慰めてやった。
隣町の家で毎年、山のように実る夏ミカン。
マーマレードも山ほど出来るし、またプレゼントしてやると。
気に入ったのなら、いくらでも、と。
(そして、その通りになったんだよなあ…)
隣町で暮らす両親にも、報告したから。
小さなブルーは気に入ったようだと、これからも届けてやりたいと。
もちろん喜んでくれた両親、「いくらでも持って行くといい」と。
だから今では、自分からブルーへのプレゼント。
「おふくろのマーマレードを届けに来たぞ」と、「そろそろ無くなる頃だろう?」と。
大喜びで受け取るブルー。
「ありがとう!」と、「ハーレイのお母さんたちにもよろしくね」と。
今朝もブルーは食べているだろう、自分と同じに、あの金色を。
夏ミカンの実のマーマレードを、キツネ色のトーストにたっぷりと塗って。
(俺がマーマレードを届けに行くのは、いつもお使いだったんだがなあ…)
今じゃ俺からのプレゼントだ、と浮かべた笑み。
前の生から愛したブルーに、心をこめて。
「お前の好きなマーマレードだ」と、「また持って来てやるからな」と。
恋人に贈るマーマレード。
両親の使いで行くのではなくて、自分のために。
小さなブルーの喜ぶ顔を見たいから。
「ありがとう!」と弾ける笑顔が、もう嬉しくてたまらないから。
なんとも素敵な贈り物になった、幼い頃からの馴染みの味。
当たり前のように朝のテーブルにあった、夏ミカンの金色のマーマレード。
それを恋人に届けにゆくのが今の自分で、マーマレードは立派な贈り物。
作っているのは母だけれども、それはプレゼントにありがちなこと。
店で買った品物を贈るのだったら、自分の手作りではないのだから。
菓子にしたって、食べ物にしたって、プロが作ったものだから。
だからいいんだ、と頬を緩めたマーマレードのプレゼント。
(あいつも喜んでくれるんだしな?)
もう最高のプレゼントなんだ、とトーストに塗ったマーマレード。
この味がいいと、おふくろの味だが今はブルーも気に入りの味、と。
(また、その内に届けてやらんと…)
新しい瓶を持って行ってやろう、と思い浮かべたブルーの顔。
きっと今度も喜んでくれる、「ありがとう!」と瓶を抱き締めて。
「お母さんたちにもよろしくね」と、それは愛くるしい笑みを湛えて。
本当に最高のプレゼントだな、とマーマレードの瓶を眺めて頷いたけれど。
(…待てよ…?)
小さなブルーがいつも口にする、両親への言葉。
「よろしくね」と、「ハーレイのお母さんたちにも」と。
もしかしたら、マーマレードを届けにゆくのは自分だけれども、ブルーの中では…。
(おふくろたちからのプレゼントなのか…!?)
気付いた瞬間、そうだと分かった。
ブルーだけでなくて、自分の両親の方もそのつもり。
隣町の家に出掛けて行ったら、「ブルー君の分も」と持たされるから。
(俺は今でも、お使いだってか…?)
マーマレードの瓶を届けに出掛ける先が変わっただけか、と苦笑するしかない現実。
どうやら自分は変わらないらしい、隣町の家にいた頃と。
近所の家へと瓶を抱えて、お使いに出掛けていた頃と。
(まあ、いいんだがな…)
小さなブルーが、マーマレードを喜んで貰ってくれるなら。
笑顔になってくれるのだったら、それでいい。
「ハーレイも同じのを食べてるんだよね」と、「これが大好き」と。
マーマレードが繋ぐ食卓、小さなブルーの家の朝食にも、この金色があるのなら…。
マーマレードと俺・了
※ハーレイ先生には馴染みのマーマレード。今はブルーへのプレゼント。
いそいそ届けているようですけど、お使いだったらしい実態。それでも幸せなんですよねv