(んーと…)
喉が渇いた、と小さなブルーが見回した部屋。
自分のためのお城だけれども、生憎と飲み物は置かれていない。
クッキーなどの食べ物だって。
ハーレイが来た時は、母が運んで来てくれるけれど、普段は置かれていないもの。
紅茶が飲みたい気分なのに。
カップに一杯、熱い紅茶を。そういう気分。
ストレートでも、レモンティーでも、ミルクティーでもかまわないから。
(…おやつの時に、お茶…)
飲まなかったっけ、と思い出した。
学校から帰って、直ぐに食べたおやつ。母が焼いてくれた胡桃のタルト。
「飲み物は?」と訊かれて、頭に浮かんだココア。
ホットココアが欲しかったから、母に頼んで美味しく飲んだ。
胡桃のタルトを味わいながら、熱いココアを。
(失敗しちゃった…)
甘かったココアは、紅茶よりもずっと味が濃いから。
ホイップクリームもたっぷり浮かんでいたから、もう充分だと覚えた満足。
タルトも食べたし、ココアも飲んだ、と。
けれども、今日の午後にあった体育の授業。
負担にはならなかったのだけれど、弾んでいた息。
あれから水を飲んではいない。
ほんの少しだけ、授業が終わった直後に学校で喉を潤した。
喉を傷めてしまわないよう、湿らせようと。
それが最後の水分補給で、お次がココア。
たった一杯しか飲まなかったココア、きっと水分不足だろう。
紅茶を選ばなかったから。うっかりココアにしてしまったから。
おやつに紅茶を選んだ時だと、母がポットを持ってくる。
「はい、どうぞ」と。
時間が経って紅茶が濃くなる時に備えて、差し湯のポットがつくことも。
ポットの紅茶なら二杯は飲めるし、二杯飲んでもまだ残る。
お湯を使えば四杯分以上になるだろう。
流石にそんなに飲めないけれども、体育の授業が午後だった日は紅茶。
身体がそういう気分だから。
水を沢山、と思うから。
(だけど、失敗…)
ハードではなかった今日の体育、息は弾んでも楽しかった。
ごく簡単なマット運動、順番待ちの方が長かったから。
マット運動も遊びのようなものだったから。
(身体、疲れていなかったから…)
紅茶という気分がしなかった。
どちらかと言えば甘い飲み物、そっちが欲しいと。
だから選んだホットココア。
今から思えば、ミルクティーにすべきだったのだろう。
あれなら沢山飲めるから。
砂糖を多めに入れてやったら、充分に甘くなるのだから。
間違えて選んだ、おやつの飲み物。
紅茶の代わりにホットココア。
喉が渇いて、どうにもならない。
部屋に飲み物は置いていないのに、見回したって出て来ないのに。
(ハーレイ、来るかな…)
もしもハーレイが来てくれたならば、部屋に紅茶がやって来る。
母が運んで来てくれる。
ハーレイの分と、自分の分を。
いつもだったらカップに一杯、そのくらいしか飲まないけれど。
カップに半分の時もあるけれど、母はポットにたっぷり持ってくるから…。
(沢山飲めるよ、おかわりをして)
そしたら飲める、と時計を眺めた。
ハーレイが来るなら、あと少しだけの我慢だから、と。
なのに、一向に来ないハーレイ。
チャイムの音も聞こえて来ないし、窓から見たって車は来ない。
前のハーレイのマントの緑をした車。ハーレイの愛車。
たまに生垣の向こうを走ってゆくのは、違う色をした車ばかりで。
(…今日は駄目みたい…)
もうこんな時間、と溜息が零れた時計の針が指す時間。
ハーレイが来ないということは…。
(紅茶、持って来てくれないよ、ママ…)
部屋にポツンと座っていたって、けして紅茶は届かない。
扉を開けて「ママ、紅茶!」と叫べば、届くかもしれないけれど。
(…でも、来なさいって言われるよね?)
多分そっち、とハッキリ分かる。
この部屋は自分のお城だけれども、一人だけでは飲んだり食べたりしないから。
ハーレイか、友達か、いわゆるゲスト。
そういう誰かが来た時だけしか、紅茶のポットは届かないから。
なんとも困った、乾いた喉。
紅茶が飲みたい気分の喉。
夕食は父が帰ってからだし、まだまだ先に決まっている。
(晩御飯まで待てないよ…)
それまでに何か飲まなくちゃ、と諦めてお城の外に出た。
階段を下りて、キッチンへ。
紅茶は上手く淹れられないから、冷蔵庫の牛乳か何かでいいや、と。
運が良ければジュースが入っているかもしれない。
たまに朝食用にオレンジジュースなどを母が買うこともあるのだから。
(牛乳か、ジュース…)
ホントは紅茶の気分なんだけど、と冷蔵庫を開けて覗いたら。
「あら、ブルー?」
お腹空いたの、と母に訊かれた。夕食の支度をしていた母に。
「ううん、牛乳かジュース…」
喉が渇いてしまったから、と冷蔵庫の中を覗き込んでいたら。
「…そんなのでいいの?」
温かい飲み物の方がいいわよ、この時間なら。
嫌でなければ、紅茶を淹れてあげるから、飲んで行ったら?
「ホント!?」
淹れてくれるの、と喜んだ。
早速、お湯を沸かしている母。
「ちょっと待ってね」と、「ダイニングに持って行ってあげるから」と。
思いがけなく淹れて貰えた紅茶。
熱いポットと、差し湯を満たした小さなポット。
好みで入れられるミルクもたっぷり、砂糖の壺も。
母に「ありがとう」と御礼を言って、カップに注いだ香り高い紅茶。
牛乳やジュースとは違う飲み物、ひと手間かかっている飲み物。
(ふふっ、ぼく用…)
来て良かった、と傾けたカップの幸せの味。
ミルクも加えたまろやかな紅茶、砂糖の甘みがとても優しい。
牛乳やジュースではこうはいかない、ふうわりと幸せが広がりはしない。
喉の渇きが癒えるだけのことで、それっきり。
余韻も無ければ、口へと運ぶ楽しみも、きっと。
(紅茶を淹れて貰えて良かった…)
ママだもんね、と浮かんだ笑み。
きっと母なら、頼めば淹れてくれたのだろう。
冷蔵庫を覗き込むよりも前に、「紅茶を淹れて」と言ったなら。
忙しくしていても、手を止めて。
「ちょっと待ってね」と、さっきのように。
そして紅茶にありつけただろう、今の自分が飲んでいるように。
熱い紅茶を満たしたポットと、差し湯のポット。
ミルクも添えて、砂糖壺まで。
本当だったら、お茶の時間はとっくに終わった後なのに。
この幸せは母のお蔭だ、と嬉しくなった。
(ママ、優しいもの…)
きっと母なら、これが夜中でも紅茶を淹れてくれるのだろう。
もしも自分が欲しがったならば、母も必要だと判断したら。
どんな時間でも、いつだって紅茶。
熱い紅茶を淹れて貰えて、幸せたっぷりで飲めるのだろう。
(ママがいるから、いつだって…)
紅茶でなくてもココアだって、と思った所で気が付いた。
今の自分には当たり前の母、夕食の支度の途中でも紅茶を淹れてくれた母。
学校から帰れば家にいてくれて、病気で休んでしまった時にもいてくれる母。
すっかり当たり前になっているけれど、その母は…。
(…前のぼくには、いなかったんだよ…)
母はもちろん、父だって。
どちらも育ての親だっただけで、その記憶さえも失くしてしまった。
シャングリラで暮らしていた頃の自分は、こんな風に紅茶を飲めなかった。
「はい、どうぞ」と母が淹れてくれる紅茶。
牛乳やジュースよりも紅茶の方が、と気遣ってくれる母は何処にもいなかった。
今はいつだって、母の紅茶が飲めるのに。
たとえ夜中に飲みたくなっても、それが身体のためならば。
母もそれがいいと思ったならば。
いつも、いつだって飲める母が淹れた紅茶。
今の自分には母がいるから、本物の母がいてくれるから。
(ぼくって、とっても幸せなんだ…)
前のぼくよりずっと幸せ、と眺め回したダイニング。
もう少ししたら、母が夕食の準備をしにやって来るのだろう。
テーブルの上を綺麗に拭いて、取り分けるためのお皿などを並べに。
その時、自分がのんびり紅茶を飲んでいたなら、邪魔にならない所へ置きに。
(…準備が出来たら、パパが帰って来て…)
母は夕食の仕上げを始める。
熱い料理を、出来立ての料理を並べられるように。
美味しい料理が、今日も幾つもテーブルに運ばれて来るのだろう。
それまで紅茶を飲んでいたって、母は叱りはしないだろう。
「晩御飯もちゃんと食べるのよ?」と注意するだけで。
こんな時間でも飲んでいい紅茶、いつだって飲める母が淹れた紅茶。
(前のぼくだと、ママはいなくて…)
紅茶を飲むなら自分で淹れるか、ハーレイが淹れるか、でなければ青の間の係の誰か。
ハーレイには「紅茶が飲みたいな」と甘えられても、それはハーレイが恋人だから。
今のハーレイにはまだ甘えられない、一緒に暮らしていないから。
それに、前のハーレイは恋人である前にキャプテンで…。
(いつでも頼めはしなかったよ、紅茶…)
キャプテンの仕事が優先だから。
いくらソルジャーが偉い存在でも、ソルジャーの紅茶よりシャングリラの方が大切だから。
(今のぼくだと、ママが紅茶を淹れてくれて…)
いつかはハーレイも淹れてくれるよ、と思ったら溢れた幸せな気持ち。
今のハーレイなら、前のハーレイより時間に余裕があるだろうから。
(明日は仕事なんだが、って言っていたって…)
母と同じに、夜中でも淹れてくれそうな紅茶。眠い目を擦りながらでも。
なんて幸せなのだろう、と紅茶のお蔭で気付いた幸せな今。
いつだってぼくは紅茶を飲めると、今はママで、いつかはハーレイだよねと…。
いつだって飲める・了
※ブルー君が飲みたくなってしまった紅茶。お母さんに淹れて貰えて、幸せ一杯。
それだけでも充分、幸せだったのに、気付いた前の自分との違い。もう最高に幸せですよねv
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