(…今夜は一杯やるとするかな)
ちょいと飲みたい気分なんだ、とハーレイが眺めた棚の酒。
夕食の後で広げた新聞、それに広告が載っていたから。
ブルーの家には寄り損なった日、だから自分の家で夕食。
そういうパターンも珍しくはないし、ブルーも慣れているものだから。
(寂しがってはいない筈なんだ)
残念には思ったとしても。
またその内に会える日が来る、明日か、明後日か、土曜日になるか。
お互い、それが分かっているから、一人で酒を飲んでいたって…。
(ブルーに悪いわけじゃないしな?)
あいつはあいつで好きにしてるさ、と断言出来る。
「ハーレイが来ないよ…」と思っていたって、何処かで気分を切り替えて。
この時間ならば、両親も一緒に食後のお茶といった所か。
軽いお菓子をつまんでいるのか、果物なのか。
それが終わったら部屋に帰って、のんびり読書。
頃合いを見てお風呂に入って、寝るまでは自由時間の続き。
そんなトコだな、と綻んだ顔。
小さなブルーの日々の過ごし方は、だいたい把握出来ているから。
「あのね…」と話をしてくれるから、いつの間にやら覚えてしまった。
会えない日でも、ブルーは楽しく過ごしていると。
一人の時間を有意義に使っているようだと。
(はてさて、今夜はどうするんだか…)
どういう本を読むんだろうな、と思い浮かべたブルーの本棚。
あの中のどれがお供を仰せつかるのか、ブルーに選んで貰えるのかと。
ブルーはブルーで好きにしているし、こっちは酒だ、と向かった戸棚。
新聞広告にあったのと同じ銘柄、気に入りの一つ。
(あいつは元気にしてるんだからな?)
学校で挨拶して来たブルー。
ほんの少しの立ち話の間、ブルーを観察していたけれど。
具合が悪そうな気配はまるで無かったし、本当に安心できる夜。
ブルーの家には寄れなかったけれど、ブルーは元気にしていると。
こういう日だって、特に珍しくはないんだから、と。
(さてと…)
俺の今夜のお供はこれだ、と取り出したボトル。
たまに飲むから切ってある封、前ほどのペースでは減らないけれど。
前と言っても、小さなブルーに会うよりも前。
いつも一人で夕食だったし、酒の出番は幾らでもあった。
今はめっきり減ってしまって、酒を飲まない日の方が多い。
健康的だと喜ぶべきか、お楽しみが減ったと悲しむべきか。
(…どうなんだかな?)
酒好きとしては、とボトルをテーブルに置いて、お次はグラス。
書斎で飲んでもいいのだけれども、今夜はちょっぴりゴージャスな酒にしたいから。
(こいつは書斎に似合わないんだ)
あそこで飲むなら、せいぜいチーズ、と酒の肴の支度にかかる。
冷蔵庫にある食材を使って、カナッペを幾つか。
それから野菜スティックも。つけるディップも、手作りで。
(後はオリーブ…)
チーズも出そう、と盛り合わせた皿。
新聞の広告がこうだったから。
見栄えする肴を何種類も添えて、美味しそうに演出してあったから。
一人で飲むなら、やっぱり楽しい酒がいい。
行きつけの店で飲む時のように、肴もつけて。
グラスに注いだ気に入りの酒。
水割りにするつもりだけれども、まずは割らずにストレートで少し。
(うん、この味だ)
広告で見た酒の持ち味、それが広がる口の中。
酒の個性は色々あるから、棚のコレクションの味も色々。
今夜の気分はまさにこの味、飲みたかった味が滑ってゆく喉。
(俺はこのままでもいけるんだが…)
酒には強いし、ストレートでも充分飲める。
ただ、問題は今日の曜日で、週末ではないものだから。
ストレートで何杯も飲むというのは如何なものか、と平日は水割りに決めている。
揃えた肴に申し訳ない気もするけれども、これが自分の流儀だから。
(罪な日に広告を載せやがって…)
週末を控えた日にして欲しい、と考えたけれど、頭に浮かんだブルーの顔。
特に用事が入らない限り、小さなブルーと過ごす週末。
(今は事情が違うんだった…)
週末でもそんなに飲めはしないな、とコツンと叩いた自分の頭。
ウッカリ者めと、早速に酒が回ったのかと。
恋人のことさえ忘れ果てるほど、もう気持ち良く酔ったのかと。
ほんの一口、ストレートで口にしただけで。
酒を喉へと落とし込んだだけで、もう酔っ払っているのかと。
なにしろ、酒は久しぶりだから。
この前、こうして飲んでいたのは、いつだったか直ぐに出て来ないから。
とはいえ、ストレートでグラスに一杯飲み干そうとも、酔わない自分。
一口で酔っ払うわけなどはなくて、単に自分が迂闊だっただけ。
気ままな独身人生を謳歌していた時代の方が長いから。
小さなブルーと出会うまでは、ずっとそうだったから。
(あいつと会ったら、色々と事情が変わっちまって…)
酒だってとんと御無沙汰なんだ、と頬張るカナッペ。
たまに飲む酒は、チーズがあれば上等だから。
こんなに肴を揃えた酒は久しぶり。
(ゴージャスな酒じゃない方もだな…)
めっきり減ってしまったよなあ、と健康的なのかどうかと戻った思考。
酒を飲もうと肴を作り始める前に考えたこと。
飲む回数が激減したこと、それは酒好きとしてはどうなのか、と。
健康的になったと喜ぶべきか、飲めなくなったと悲しむべきか。
(どっちなんだかなあ…)
はてさて、と訊こうにも、一人の酒。
「どう思う?」と尋ねたくてもいない相棒、飲み友達。
一人で判断するしかないか、と水割りのグラスを傾けた所で思い出した。
訊ける相手ならいるじゃないかと、それも酒好きが。
自分と全く同じ酒好き、酒の好みも同じ筈。
体格も顔も、そっくり同じなのだから。
(よし、前の俺だ)
あいつの意見を訊こうじゃないか、と自分自身に問い掛けた。
キャプテン・ハーレイだった自分に、遠く遥かな時の彼方で生きた自分に。
「この状況をどう思う?」と。
飲む回数が減ったんだがと、健康的だと思うべきかと。
「お前さんはどうだ?」と酒を片手に尋ねた相手。
前の自分だったキャプテン・ハーレイ。
尋ねたのは自分で、答えを返すのも自分だけれど。
(うーむ…)
羨ましい、と反応したのがキャプテン・ハーレイ、今の自分が飲んでいる席。
「酒の肴はたっぷりとあるし、酒だって地球の酒じゃないか」と。
健康的と言うより贅沢だろう、と前の自分の記憶が返した。
酒も肴も凄いけれども、飲みたい時に飲めることが、と。
(…そうだな、俺は広告を見て…)
それで飲もうと思ったのだった、今夜の酒を。
どうせだったらゴージャスにいこう、と肴もあれこれ用意して。
けれども、前の自分は違った。
確かに酒は「飲みたい時に」飲んでいたけれど、今の自分と同じだけれど。
(広告の酒が美味そうだから、と…)
飲めはしなかったな、と遠い記憶に思いを馳せた。
そもそも新聞広告自体が存在しなかったシャングリラ。
だから出会えはしない広告、それに惹かれるわけがない。
仮に広告があったとしても…。
(思い付いて、その日に飲めるかどうかは…)
分からなかったのが、シャングリラという船にいた頃。
あの船の酒は合成だったけれど、部屋にボトルは持っていた。
開けて飲むのは自由とはいえ、キャプテンの仕事に邪魔された酒。
飲みたい気分になった時でも、仕事があればそうはいかない。
何度も酒を諦めたのだった、前の自分は。
「今日は駄目だ」と、「またにしよう」と。
飲めば、仕事が出来ないから。…時間に余裕が無かったから。
なんと贅沢になったものだ、と目を見開いてしまった酒。
思い立ったら、戸棚から出せばいいのだから。
グラスを持って来て、ボトルの中身を注ぐだけ。
それで始まる贅沢な酒宴、テーブルには自分一人でも。
酒の肴など何も無くても、飲みたい時に好きに飲める酒。
(…健康的になったも何も…)
とてつもなく贅沢な酒だったんだ、とグラスの中身をまじまじと見た。
「広告の酒が美味そうだから」と飲みたくなった今日の酒。
ゴージャスに飲もうと肴を揃えて、久しぶりだと思ったけれど。
(前の俺だと、こんな風には…)
いかなかった日も多かった。
酒の肴が何も無いとか、そういう意味のことではなくて。
思い立っても飲めなかった酒、キャプテンとしての仕事のせいで。
(おまけに、キャプテンだった頃の仕事ってヤツは…)
教師の仕事とはまるで違って、船の仲間の命が懸かっていた仕事。
今の自分とは比較にならない、重すぎる仕事。
そのせいで何度も諦めていた酒、それを思い立ったら飲んでいる自分。
古典の教師しかしていないのに。
仕事の御褒美に酒を飲むなら、前の自分の方が遥かに相応しかったろうに。
(…それを今の俺が…)
広告を見たからと飲んでいるのか、と気付いた贅沢。
酒を飲む日は減ったけれども、きっと中身は濃いのだろう。
前の自分には飲めなかった酒、いつでも飲める自由という美酒。
そいつに乾杯、とグラスを掲げた、前の自分になったつもりで。
今はいつでも好きに飲めると、酒を自由に飲める時代は酒を何よりも美味くするよな、と…。
いつでも飲める・了
※お酒が大好きなハーレイ先生、思い立ったら一人でも飲んでいるようですけど。
前のハーレイには出来なかった贅沢、「好きな時に酒」。今夜のお酒は美味しそうですねv
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