(…あいつ、ジョミーにも話さなかったのか…)
そんなに苦手だったとはな、とクックッと可笑しそうに笑うハーレイ。
夜の書斎で、机に置いた紙を見ながら。
小さなブルーに今日、見せてやった、カラーでプリントしてある資料。
青い色をした幾つもの目玉、「メデューサの目」と呼ばれるお守り。
(ヒルマンはそう言ってたんだが…)
今の時代は、別の名前の方が通りがいいらしい。
ナザール・ボンジュウ、遠い昔のトルコの言葉。
邪視を指すナザール、お守りの意味のボンジュック。
訳せば「邪視のお守り」だけれど、邪視を避けるのに使うお守り。
呪いの力がこもった視線を避けられるように、呪いの力を受けないように。
(…人類にしてみりゃ、サイオンは邪視ってヤツだったかもな)
手を触れもせずに、人の心臓を止めることだって出来たのだから。
そうするミュウがいなかっただけで。
優しい気質のミュウは本来、人殺しなどはしないから。
(前のあいつだって…)
大人しく、されるがままになっていた。
生き地獄だったアルタミラの檻にいた頃は。
研究者たちを殺して逃げ出そうとか、自由になろうとは思いもせずに。
もしもブルーがそう望んだなら、研究者たちは皆殺しになっていたのだろうに。
研究所だって根こそぎ吹っ飛び、他の檻にいたミュウだけが助かったろうに。
なのにブルーは、それを思いもしなかった。
どんなに酷い目に遭わされていても、酷い実験を繰り返されても。
今から思えば、命拾いをした研究者たち。
ミュウの優しい気質のお蔭で、前のブルーもそうだったせいで。
(全て承知でやっていたんだろうが…)
心理探査もしていた彼らは、ミュウの気質を最初から見抜いていたのだろう。
手ひどく扱い、殺したとしても、ミュウは最後まで反撃しないと。
そういう意志を持ちはしないと、大人しく殺されるだけなのだと。
(…前の俺にしたって、そうだったしなあ…)
殴ろうと思えば、殴り飛ばせた研究者。
虚弱なミュウには珍しい体躯、大きく頑丈に育った身体。
成人検査の直後はともかく、檻で成長を遂げた後なら、力では負けなかったろう。
顎に一発お見舞いしたなら…。
(吹っ飛んだだろうな、研究者どもは)
今の自分が柔道で相手を投げ飛ばすように、簡単に。
いともあっさりダウンしたろう、忌まわしい白衣の研究者たち。
けれど、殴りはしなかった。
殴ったことで受ける仕打ちを恐れていたとか、怖かったとか。
そんな理由はまるで無かった、殴ろうと思わなかっただけ。
(…殴ってやれば良かったのにな?)
寄ってたかって殴られる羽目になろうとも。
警備兵が出て来て撃ち殺されても、きっとスカッとしていただろう。
死ぬ前に一矢報いてやったと、満足だと。
それなのに、殴ろうとしなかった自分。
前のブルーが、研究所を破壊しなかったように。
研究者たちを一人残らず、殺そうと考えなかったように。
意志の力で人を殺せたミュウの力は、人類から見れば邪視だったろう。
それに捕まらないよう、ミュウを殺した。
人類はミュウを排除し続け、前の自分たちも星ごと滅ぼされそうになったほど。
アルタミラで、それに赤いナスカで。
(…散々、酷い目に遭わされたんだが…)
人類の世界にコレは無かった、とトンと指先で叩いたナザール・ボンジュウ。
本物ではなくて、印刷だけれど。
小さなブルーに見せてやろうと、プリントしていった資料だけれど。
(ミュウの力が怖かったんなら、こいつを作れば良かったのにな?)
気休めにしかならないとしても、邪視のお守り。
青いガラスで作られた目玉、邪視を跳ね返すお守りの目玉。
(今は山ほどあるのになあ…)
地球が滅びるよりも前の時代に、トルコという国があった辺りを中心に。
家を丸ごと守れるようにと、とても大きな青い目玉のお守りもある。
そうかと思えば、一センチほどの小さな目玉のお守りも。
幾つも連ねてブレスレットになったものやら、一つだけ下がったペンダントやら。
それは色々、目玉のお守り。
小さなブルーに見せてやったら、直ぐに反応が返って来た。
「ヒルマンが言ってたヤツだよね?」と。
メデューサの目だと教えてやったら、興味津々で見ていたブルー。
前の自分たちが生きた時代は、このお守りは無かったから。
青い目玉のお守りは無くて、その代わりに…。
(邪視の力を持っていたミュウが、こいつを持っていたってな)
色は全く違うんだが…、と時の彼方に思いを馳せた。
シャングリラにいた仲間たち。
誰の制服にも、赤い色の石がついていた。…何処かに、必ず。
殆どの仲間とソルジャーの服は、襟元に一つ。
前の自分や長老たちはマントの飾りに。
フィシスは首飾りにつけていた石、あれはミュウのためのお守りだった。
ナザール・ボンジュウは青いけれども、赤い色をした目玉のお守り。
(特に名前はつけなかったが…)
人類から逃れられるようにと、願いをこめて出来たお守り。
ヒルマンが見付けたメデューサの目という、青いお守りを参考に。
ミュウの場合は赤い目玉だと、赤い色の石が選ばれた。
制服につける石の色は赤、と。
色の候補は赤の他にもあったのに。
青や緑も挙がっていたのに、青い目玉のお守りを知って、選ばれた赤。
ミュウの魔除けは、青い瞳ではなかったから。
前のブルーの赤い瞳が、ミュウを守るのに相応しい瞳の色だったから。
青いメデューサの目が魔除けになるなら、赤い瞳も同じこと。
人類から皆を守ってくれると、赤い瞳のお守りを持っておきたいと。
だから、ミュウにはあったお守り。
シャングリラで暮らすミュウは持っていた、目玉のお守り。
それは青くはなかったけれど。
前のブルーの瞳の通りに、赤だったけれど。
そうやって出来た、目玉のお守り。
名前は無くても赤い瞳の色をしたお守り、誰の服にも必ず一つ。
(…あいつ、嫌がっていたんだが…)
瞳をお守りにされてしまった、と嬉しそうではなかったブルー。
どうやら恥ずかしかったらしくて、緘口令を敷いてしまった。
「新しく船に来る仲間には言うな」と、「石の色の由来を教えるな」と。
古参の仲間はそれを守ったから、アルテメシアで加わった仲間は知らなかった。
制服の赤い石の由来を、お守りなのだということを。
ミュウのシンボルだと思い込んでいた仲間たち。
赤い石はそうだと、誰の服にもついているのはシンボルだからと。
(…本当はお守りだったんだがなあ…)
前の自分や、由来を知っていた仲間にとっては。
お守りに頼りはしなかったけれど、ブルーの瞳が守ってくれると。
ブルーがいれば安全なのだと、人類からも逃れられると。
(…しかしだ、あいつは、いたたまれなくて…)
普段は忘れていたらしいけれど、思い出したら恥ずかしかったと話したブルー。
小さなブルーは、そう言っていた。
どちらを見ても自分の目玉だらけで、いたたまれない気分になったものだと。
(だからと言って、ジョミーにまで黙っておかなくてもいいと思うがな…?)
次の世代を担うソルジャー候補には、教えておいて欲しかった。
赤い石には意味があるのだと、あの石はミュウのお守りなのだと。
けれども、伝えはしなかったブルー。
ジョミーは誰からも石の由来を聞かずに終わって、赤いお守りは消えてしまった。
古参のミュウだけが知っていたって、新しい世代は知らないのだから。
なんとも惜しい、と思うけれども、時の彼方に消えたお守り。
青い目玉がメデューサの目なら、赤い石のお守りはブルーの瞳。
今の時代も絶大な人気を誇り続けるソルジャー・ブルーの、赤い瞳の色なのに。
ミュウのお守りだったのに。
(…メデューサの目なら、ドッサリあるのに…)
家ごと守る玄関用の大きなものから、ペンダントやブレスレットまで。
復活して来たメデューサの目なら、作っている地域へ旅をしたなら買えるのに。
(それも人気の土産物で、だ…)
小さなブルーも「一つ欲しい」と言い出したほど。
前のブルーは、お守りを持っていなかったから。
自分の瞳がお守りなのでは、どうにもこうにもならないから。
(あのお守りは、よく効いたんだ…)
人を守ったら割れると伝わる、青いガラスのメデューサの目。
前のブルーは右の瞳をキースに砕かれ、それでもメギドを沈めて逝った。
文字通りにミュウを守ったお守り、赤い瞳は白いシャングリラを守ってくれた。
それが砕けてしまうまで。…割れて力を失うまで。
だからこそ、皆に知って欲しいけれど。
赤い石の意味が今の時代まで伝わっていたら、と思うけれども。
(…あいつが伝えなかったんではなあ…)
仕方ないか、と零れる溜息。
誰も知らないミュウのお守り、赤い瞳の色をした石。
とてもよく効くお守りだったのにと、青いガラスの目玉よりもずっと、と…。
目玉のお守り・了
※前のブルーの瞳の色だった、ミュウの制服の赤い石。お守りにしようと、選ばれた赤。
伝わっていないとは残念ですけど、こればかりは仕方ないですよねv