(スズランなあ…)
この辺りでは何処に咲くんだったか、とハーレイが思い浮かべた花。
小さなブルーと会って来た日に、夜の書斎で。
白く可憐な花を咲かせるスズラン、花の季節は終わったけれど。
思い出すのが遅すぎたよな、と零れた溜息。
小さなブルーと出会った頃なら、まだスズランは咲いていたのだろうに。
(…しかしだ、あいつと出会った日には…)
とっくに過ぎてしまっていたんだ、と悔しい気持ちになってくる。
前の生から愛し続けた、愛おしい人。
再会した日は五月三日で、二日も過ぎてしまっていた。
五月一日という特別な日を。
今の自分や、今のブルーが暮らす地域では特別でも何でもないけれど。
(だが、フランスだと…)
遠い昔にフランスと呼ばれた国があった地域、その辺りに新しく生まれた大地。
其処では特別な五月の一日、スズランの花束を贈り合う日。
贈られた人に幸運が訪れるようにと、恋人同士で。夫から妻へ、妻から夫へ。
…前の自分が生きた時代に、その習慣は無かったけれど。
SD体制が敷かれた人類の社会、其処では失われていたのだけれど。
白いシャングリラでは別だった。
船の公園で咲いたスズラン、それで小さな花束を作った恋人たち。
かつてそういう習慣があった、とヒルマンが話したものだから。
シャングリラで五月一日と言えば、スズランの花束を贈る日だった。
恋人同士で、スズランを摘んで。
愛する人へと、想いをこめて。
その人に幸運が来るように。…沢山の幸せが訪れるように。
けれども、前の自分とブルーはスズランを贈り合えなかった。
誰にも言えない恋人同士で、スズランの花を摘みにゆくことは出来なかったから。
部屋でこっそり育てようにも、ソルジャーとキャプテン。
どちらの部屋にも掃除係などが出入りするから、スズランを育てれば直ぐに知られる。
五月一日に花がそっくり消えたことまで。
(…そうなっちまったら、何処かに恋人がいるってわけで…)
恋人は誰かと詮索し始める者も、きっと現れることだろう。
それを切っ掛けに、ブルーとの仲を知られかねない。
「青の間にも、キャプテンの部屋にも、スズランがあった」と噂が広がったなら。
どちらのスズランも、五月一日に花が消えたと広まったならば。
誰かが「怪しい」と思い始めたら、噂は船を駆け巡る。
そして明るみに出るかもしれない、ブルーとの恋が。
シャングリラを導く立場にいるから、懸命に隠し続けているのに。
ただの親しい友達同士を装い続けて、生きているのに。
(…たかがスズランの花束くらいで…)
知られるわけにはいかなかった恋。
皆を導き、纏めてゆくには、ソルジャーとキャプテンが恋人同士では上手くいかない。
だから懸命に隠し続けて、スズランの花束も贈れなかった。
五月一日が何度巡って来ても。
恋人たちがスズランを摘んでは、幸運を祈って贈り合っていても。
シャングリラという船で暮らす限りは、贈り合えなかったスズランの花束。
ソルジャーとキャプテンでいる間は無理。
(…いつか、地球まで辿り着いたら…)
平和な時代が訪れたならば、もう要らなくなるソルジャーとキャプテン。
ただのブルーと、ただのハーレイ。
恋人同士だと明かしても良くて、二人で出掛けても誰も咎めはしないから。
(…五月一日を地球で迎えたら…)
贈り合おうと思ったのだった、可憐なスズランの花束を。
自分はブルーに、ブルーは自分に。
そういう約束をしたのだった、と小さなブルーと思い出した今日。
青く蘇った地球の上で出会った、愛おしい人と。
前の生から愛し続けて、今も愛してやまない人と。
…それなのに、過ぎてしまっていた日。
五月一日はとっくに過ぎたし、第一、ブルーと再会した日。
それが五月の三日なのだし、まるで話にならない約束。
今頃になって思い出しても。
「地球に来たなら、五月一日にはスズランの花だ」と、遠い記憶が蘇っても。
その日はとうに過ぎてしまって、今年のスズランは終わったから。
五月一日には、まだ出会えてさえいなかったから。
そんなわけだから、五月一日のことを覚えていたなら贈ろうと決めた。
いつかブルーが大きくなったら、前と同じに育ったら。
二人でスズランを贈り合おうと、それも野生のスズランがいいと。
(…ヒルマンが言ってた話では、だ…)
栽培品種のスズランよりも、森に咲くスズランが好まれたという。
香り高くて、希少価値だって高いから。
その日のためにと、子供たちが森まで採りに出掛けて売っていたほど。
花屋の店先に並ぶスズラン、それよりもずっと高い値段で。
自分もブルーも、その話まで思い出したから。
今の地球でスズランを贈り合うなら、それにしようと弾んだ話。
野生のスズランを摘みに出掛けて、競って作る香り高い花束。
より多く摘もうと探しては摘んで、互いの幸せを祈ろうと。
沢山の幸運が来ますようにと、想いをこめて贈り合おうと。
小さなブルーと交わした約束。
今は書き留めたりしないけれども、忘れてしまっていいのだけれど。
二人で一緒に暮らす未来に思い出したら、五月一日は森へスズランを摘みに。
前の生からの夢だったことを、スズランの花束を贈り合う夢を二人で叶えるために。
(…そいつのためには、スズランってヤツを…)
調べておかねばならないだろう。
もちろん花屋にはあるのだけれども、野生のスズラン。
それが咲く場所は何処にあるのか、何処へブルーと行けばいいのか。
(途中までは車で行けるんだろうが…)
残りは二人で歩くのだろう。森か、林か、そういった場所を。
けれども、心当たりが無いスズラン。
生憎と森で出会ってはいない、ただの一度も。
花が咲く季節に行かなかったか、咲いている場所に行かなかったのか。
(…とりあえず、下調べはしておくとするか…)
今はまだ覚えているんだしな、とデータベースにアクセスしてみた。
この辺りにも咲くのだろうかと、それとも遠い北の方かと。
スズランが咲く場所は、北の方だというイメージ。
そちらの方まで旅をしないと、あの白い花は摘めないのかと。
そうしたら…。
(ほほう…)
北の方の花ではなかったのか、と綻んだ顔。
生育に適した環境があれば、この辺りでも咲くという。
もっと南の方に行っても、ちゃんと咲くらしいスズランの花。
けれど、データベースに幾つも載せられた写真。
前の自分が見ていた花とは、違う印象を受けるスズラン。
(はて…?)
何故だ、と写真を眺めたけれども、スズランの花は同じに白い。
花の形もそっくりそのまま、強いて言うなら一つの茎についた花の数が少ない程度。
野生なのだし、栽培品種のようにはいかないだろう、と思ったけれど。
それにしても地味だと、シャングリラのスズランの花はもっと…、と手繰った記憶。
これよりも目立つ花だった。
白い鯨にあったスズランは、時の彼方で何度も何度も目にした花は。
(…妙に葉っぱが目立つんだが…)
どの写真を見ても、花茎を覆い隠すように被さっている葉。
スズランの花を影に隠すように、まるで傘でも被せるかのように。
(こんな花ではなかった筈だが…)
花が隠れてはいなかったんだが、とデータベースのスズランの情報を追い続けていたら。
(君影草…)
そう呼んだのだという、スズランの花を。
地球が滅びてしまうよりも前、この辺りにあった日本では。
古い歌たちが編まれた万葉集の中にも出てくる名前。
君影草の名を持つスズラン。
由来は、花の姿から。
葉の影に隠れるようにして花が咲くから、君影草。
逞しい男性の影に寄り添う、楚々とした可憐な女性のようだ、と。
(…そうか、種類が違うのか…)
シャングリラにあったスズランとは、と解けた謎。
あちらは花が葉の上に突き出すように咲くから、君影草にはならないらしい。
今の自分が暮らす地域では、スズランは君影草だけれども。
(なるほどなあ…)
遠い昔には、男尊女卑の国だった日本。
花の方が目立つスズランが咲いていた辺りは、レディーファースト。
それぞれのお国柄が表れた花だ、と語られた時代もあるらしいけれど。
(…男尊女卑ではなくてだな…)
今度は守ってやりたいブルー。
君影草の大きな葉のようになって、どんな悲しみもブルーに近付けないように。
前の自分はそれが出来ずに、ブルーを失くしてしまったから。
今の自分なら、ブルーを守ってやれるから。
(…覚えていたら…)
スズランの花を摘みにゆく時に、ブルーにこれを話してやろう。
「君影草と言う花らしいぞ?」と、「今度は俺が、この葉になるから」と。
前のブルーがそうだったように、葉陰から出て強く一人で立たなくてもいいと。
俺に寄り添って生きればいいと、俺は今度こそ、お前を守って生きるんだから、と…。
スズランの名前・了
※いつかブルー君とスズランを摘みに行けたなら、と夢見るハーレイ先生。
君影草という名前に今のブルーを重ねたようです。今度は守ってあげられますものねv