(まだまだ結婚出来ないんだけど…)
チビなんだから、と小さなブルーがついた溜息。
自分の部屋で、パジャマ姿で、壁の鏡を覗き込んで。
其処に映っている自分。
何処から見たって子供でしかない、十四歳にしかならない自分。
結婚出来る年はまだ先、十八歳にならないと無理。
早くハーレイと暮らしたいのに。
夜になったら、今の自分はポツンと一人。
ハーレイの家に行けはしなくて、独りぼっちで残される。
もっとも、今日は…。
(ハーレイ、最初から来てないけどね…)
仕事の帰りに寄ってはくれなかった恋人。
寄ってくれたら、この部屋で二人、お茶とお菓子をお供に過ごして。
その後は両親も一緒の夕食、それから帰ってゆくハーレイ。
「またな」と軽く手を振って。
自分をポツンと置き去りにして。
それが寂しくてたまらない。
置いてゆかれるのはチビだから。
今日、ハーレイと夕食を食べられなかったのもチビだから。
(…結婚してたら、いつでも一緒…)
こんな風に置き去りにされる代わりに、二人での暮らし。同じ屋根の下で。
早くその日が来ないものかと考えるけれど、まだ先のこと。
十八歳にならないと無理で、チビの自分には夢のまた夢。
なにしろ、キスさえ出来ないのだから。
(前のぼくと同じに育たないと駄目…)
ハーレイにそう言われてしまった。
前の背丈と同じに育て、と。
育つまでは、キスは額と頬だけだな、と。
結婚は無理で、キスも駄目。
なんとも悲しくてたまらないから、せめて夢では…。
(会いたいんだけどな…)
一緒に暮らせるハーレイに。
キスを交わして、その先のことも。
本物の恋人同士が過ごす時間も、自分にくれるハーレイに。
けれども、邪魔をするのが自分。
前の自分がヒョイと出て来て、ハーレイを横取りしてしまう。
あちらは大きく育っているから、夢のハーレイとキスを交わして。
愛も交わして、ハーレイを横から攫ってしまう。
チビの自分は夢でも置き去り、自分の身体を乗っ取られて。
目が覚める度に大きな溜息、「ぼくじゃなかった…」とつく溜息。
夢の中では幸せだけれど、目覚めてみたら不幸な自分。
幸せだったのは前の自分で、チビの自分はいなかったから。
ハーレイも、前の自分も、今の自分を置き去りにする。
ポツンと一人で置いてゆかれる。
ハーレイは「またな」と家に帰るし、前の自分は夢のハーレイを…。
(横から攫って行っちゃうんだよ…)
チビの自分が気付かない内に。
小さい筈の身体を勝手に育ててしまって、前の自分がちゃっかりと。
何度そういう夢にやられたか、悲しくて数えたくもない。
夢の中では幸せなのに、起きた途端に不幸になる夢。
「ぼくじゃなかった…」と肩を落として、溜息をついてしまう夢。
たまには育ってみたいのに。
大きくなれた、と思う夢を見て、ハーレイと幸せに過ごしたいのに。
(…どうせ、無理…)
きっと見られないに決まっているから、溜息交じりに入ったベッド。
今夜も前の自分にしてやられるのか、それともメギドの夢になるのか。
メギドよりかは、前の自分にハーレイを盗られる方がマシ。
痛くない分だけ、悲しくて辛くならない分だけ。
メギドの悪夢がやって来たなら、本当に独りぼっちだから。
もうハーレイには二度と会えないと、泣きじゃくりながら死ぬ夢だから。
ハーレイの温もりを失くしてしまって、右手が冷たく凍えてしまって。
(あんな夢よりは…)
前のぼくにハーレイを盗られる方が、と思うけれども、悔しい気持ち。
どうして自分は置き去りなのかと、夢でハーレイと暮らしたいのに、と。
無理だと分かっているけれど。
夢は決して、思い通りにならないけれど…。
ふと気付いたら、目の前にハーレイ。
前のハーレイではなくて今のハーレイ、ちゃんとスーツを着ているから。
優しい笑顔で見下ろしていて…。
「じゃあ、行ってくる」
またな、と頬に落とされたキス。
(えっ…?)
なんで、とポカンと見開いた瞳。
ハーレイは仕事用の鞄を抱えて、「じゃあ、行ってくる」と言ったから。
「またな」は何度も聞いているけれど、「行ってくる」は初めて聞いたから。
けれど、ストンと納得した。
ハーレイが車に乗り込んだから。
窓を開けて手を振り、そのまま走り去ったから。
(ハーレイの家…)
そうだよね、と幸せ一杯で見回した家。
家も、庭にも見覚えがある。
たった二回しか来ていないけれど、チビの自分は知らないけれど。
どうやら今は、此処が自分の家らしいから。
ハーレイと二人で住んでいる家、ハーレイが「行ってくる」と出勤してゆく家。
(…いつの間に結婚したんだっけ?)
分からないけれど、間違いなく此処が自分の家なのだろう。
そうでなければ、ハーレイが「またな」と出勤して行く筈がないから。
(お嫁さん…)
ハーレイのお嫁さんになれたらしい、と緩む頬。
なんて幸せなのだろう。
独りぼっちにされはしないし、置き去りにだってなることはない。
同じ家で暮らしているのだから。
いつもハーレイと一緒だから、と思ったけれど。
(…ハーレイ、仕事に行っちゃった…?)
そうだったっけ、と眺めたガレージはとうに空っぽ。
前のハーレイのマントの色をしている車は、ハーレイが運転して行ったから。
(えーっと…)
ハーレイは何時に帰るのだったか、「またな」とキスは貰ったけれど。
「行って来ます」のキスを頬っぺたに貰ったけれども、帰る時間を聞いてはいない。
早く帰るのか、遅く帰るのか、それも知らないのが自分。
(でも、夕方には帰るよね?)
仕事で遅くならない限りは。
それに、ハーレイが遅く帰っても…。
(二人で御飯…)
帰るのを待って、二人で御飯。
ゆっくりと食べて、食べ終わったら片付けをして…。
ふふっ、と赤くなった頬。
夜もハーレイと一緒だものね、と。
ハーレイは仕事に出掛けたのだし、自分も頑張るべきだろう。
まずは掃除、と早速始めることにした。
前の自分も綺麗好きだったから、少しも苦にはならない掃除。
ピカピカにしようと張り切ったのに…。
(何処もピカピカ…)
掃除の出番は無さそうだった。
早起きして掃除をしてしまったろうか、家中、すっかり。
キッチンを覗いても、お皿もカップも片付いた後。
綺麗に洗って、きちんと拭いて。
(…ハーレイなのかな?)
一人暮らしが長かったから、つい、習慣で。
自分が家にいるというのに、それまで通りに掃除も、朝食の後片付けも。
(ハーレイらしいと思うけど…)
少しくらいは残しておいて欲しかった。
自分のために何か仕事を、と考えた所でポンと頭に浮かんだ考え。
(パウンドケーキ…!)
あれを焼こう、という思い付き。
ハーレイが好きなパウンドケーキ。
「おふくろが焼くのと同じ味なんだ」と、嬉しそうに食べるパウンドケーキ。
焼いておいたら、きっと喜ばれるから。
帰って来るなり大喜びで食べて、御礼のキスもくれそうだから。
パウンドケーキを焼かなくっちゃ、と捲った袖。
母が焼くのと同じ味のを、と勇んで焼こうとしたけれど。
(…どうやるんだっけ…?)
ママのレシピは、と探し回っても見当たらない。
材料は揃っているというのに。
(小麦粉とバター、砂糖に卵…)
それぞれ一ポンドずつ使って作るから、パウンドケーキ。
小麦粉もバターも、砂糖も、卵も…。
(一ポンドって…?)
何グラムなの、と思い知らされた自分の無知。
肝心のレシピが分かっていないし、考えてみれば…。
(…焼いたことない…)
記憶にある限り、ただの一度も。
母に習った覚えが無い。
結婚したなら、ハーレイのために焼こうと心に決めていたのに。
おふくろの味のパウンドケーキを母に習って、その味の通り。
(なんで練習して来なかったの…!)
ぼくの馬鹿、と泣きそうな気持ちで突っ立っていたら、扉が開いて。
「おっ、パウンドケーキ、焼いてくれるのか?」
これは楽しみだ、と笑顔のハーレイ。
忘れ物を取りに戻ったんだが、と。
「えっと…。パウンドケーキ…」
焼けないんだけど、と言うよりも前にギュッと抱き締められて。
「帰ったら早速、お茶にしような」とハーレイは再び行ってしまった。
パウンドケーキに期待したままで。
どうしても思い出せないレシピ。
レシピがあっても、焼いたことが無いパウンドケーキ。
(どうしたらいいの…?)
ポロリと涙が零れた所で目が覚めた。
真っ暗な部屋で、自分のベッドで。
(…夢だった…?)
ホッとしたけれど、幸せどころか情けない気分だった夢。
ハーレイの夢も、二人きりの家も、望み通りに見られたけれど…。
(正夢になったら困るじゃない…!)
忘れなくちゃ、とクルンと身体を丸くした。
眠り直して忘れなければ、正夢になってしまいそうだから。
いつかハーレイと結婚した時、本当になったら嫌だから。
今度は幸せな夢がいいな、と丸くなる。
パウンドケーキを上手に焼けるぼくがいいな、と。
レシピさえもまだ知らないくせに。ただの一度も、焼いていないくせに…。
夢で見た恋人・了
※ブルー君の夢は、ハーレイ先生と一緒に暮らすこと。夢は見られたようですけれど…。
焼こうと思ったパウンドケーキが作れない夢。忘れてしまう方が良さそうですねv