(うーん…)
凄く有名な本なんだけど、と小さなブルーがついた溜息。
とんでもないことになっちゃったよね、と。
今のハーレイが教える古典も、凄いものではあるけれど。
(SD体制の時代なんかより、ずっと昔で…)
人間が地球しか知らなかった時代に書かれた読み物。
宇宙船など飛んでいなくて、水に浮かぶ船しか無かった時代。
それでも人は文字を綴って、物語や歌を作ったから。
今も読まれる、遠い昔の物語。
それを教えているのがハーレイ、今は普通の古典の教師。
キャプテン・ハーレイにそっくりなだけの、多分、ごくごく平凡な。
特別だとしたら、柔道と水泳の達人なこと。
プロになれると言われた腕前、それは全く落ちてはいない。
(…でも、それ以外はホントに普通…)
柔道や水泳が好きな人なら、ハーレイの名前でピンと来るかもしれないけれど。
古典の教師としての道では、本当に普通なのだろう。
研究者ではないし、個人的にも何もやってはいないから。
論文を書くとか、発表するとか、そういったこと。
ハーレイは何もしてはいなくて、古典の教師をしているだけ。
遠い昔の物語などを挙げていっては、「有名なんだぞ」とクラスを見回して。
授業で習った、源氏物語や枕草子。
他にも色々、日本の古典。
今の自分が住んでいる地域に暮らす人なら、誰でも名前を知っているもの。
(そっちは当たり前なんだけど…)
時の流れを越えて残っても、きっと当然だと思う。
それが生まれた時代からずっと、多くの人に読まれて来たから。
何度も何度も書き写されては、後の時代に残されたから。
(…印刷が無かった時代だもんね?)
自分の手元に置きたかったら、書き写すしかなかった時代。
一番最初に書かれたものを、そっくりそのまま。
自分で写すか、プロに頼むか。
どちらかの道を選ばなければ、本など持てはしなかった。
そんな時代に大勢の人が「素晴らしい」と思ったからこそ、名作は時を越えられた。
沢山の人が称賛し続け、書き写して残し続けたから。
(消えちゃった本も、きっと沢山…)
書かれたとしても、誰も欲しいと思わなかったら、それっきり。
最初に書かれた物が古びて駄目になったら、消えておしまい。
幾つもの本がそうやって消えて、いい物だけが今に残った。
生まれた時から、既に名作だったから。
大勢の人が「欲しい」と願って、書き写して残したのだから。
(そういう本なら、分かるんだけど…)
今の時代に残っているのも、有名な本になっているのも。
少しも不思議に思わないけれど、なんとも謎な代物が一つ。
古典の授業には出て来ないけれど。
名前が出るのは歴史の授業で、必ず名前を教わる本。
(…扱いだけだと、古典とおんなじ…)
授業で聞く時は、そうだから。
「源氏物語や枕草子はこの時代です」と、教えられるのと変わらない。
それがハーレイの航宙日誌。
キャプテン・ハーレイが書き続けていた航宙日誌で、超一級の歴史資料。
初代のミュウの歴史を知るには、他に資料が無いのだから。
おまけに手書きで残されたもので、研究者たちの垂涎の的。
一流と呼ばれる学者でなければ、本物を見られはしないから。
(見る時は、きっと…)
白い特別な手袋をはめて、マスクだって要ることだろう。
長い長い時を越えて来たそれを、損なうことがないように。
次の時代の研究者たちも、同じように繰って読めるように、と。
初代のミュウたちの日々を記した、唯一の本。
長く後世に残すためには、傷をつけてはならないから。
そうっと、慎重に繰られるページ。
研究者だけが立ち入れる書庫の奥の一室、其処でそうっと、一ページずつ。
いつの間にやら、そういうことになっていた。
前のハーレイが書いた航宙日誌。
「俺の日記だ」と隠し続けて、一度も読ませてくれなかった日誌。
覗こうとする度、大きな身体の陰に隠して。
(前のぼく、一度も読んでないのに…!)
ホントに読めなくなっちゃったんだけど、と零れる溜息。
前の自分は仕方ないけれど、今の自分は別だと思う。
生まれ変わって別の人間、中身は前と同じだとしても。
それにハーレイも別の人間、隠す権利はもう無いだろう。
キャプテン・ハーレイの航宙日誌は、前のハーレイが書いていたもの。
「俺の日記だ」は通らないと思う、今のハーレイとは違うのだから。
(今のハーレイの日記だったら、駄目だろうけど…)
そうじゃないのに、と残念でたまらない航宙日誌。
今なら自分も読めるだろうに、あまりにも変わりすぎた状況。
超一級の歴史資料になってしまった航宙日誌。
読んでみたいなら、研究者になる他はない。
キャプテン・ハーレイの航宙日誌を、子細に読み込む研究者たち。
一流とされる学者だけしか、本物の日誌は扱えない。
手袋をはめて、マスクも着けて。
保管庫の奥の特別な書庫で、多分、許可証なんかも見せて。
こんなことなら、コッソリ読めば良かっただろうか?
前の自分が生きていた頃に、キャプテンの部屋に忍び込んで。
(…前のぼくなら、簡単だしね?)
ハーレイが部屋に鍵をかけても、前の自分には意味のない鍵。
瞬間移動でスッと入って、きっと好きなだけ読めただろう。
「今日はこの辺り」と引っ張り出しては、前のハーレイの日記とやらを。
いったい何が書いてあるのかと、読む度に興味津々で。
時には怒っていたかもしれない、「この書き方は酷いと思う!」と。
(…前のぼくのこと、なんにも書いていないって…)
ハーレイはそう言ったから。
前のハーレイは何も言わなかったけれど、今のハーレイからそう聞いた。
「俺の日記だ」と隠し続けた航宙日誌。
其処に全く書かれてはいない、前の自分との恋の思い出。
ほんの小さな欠片でさえも。
だから今でも、誰も気付いていない恋。
キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーの恋は、今も変わらず隠されたまま。
何も書かれていなかったから。
どんなに細かく読み込んでみても、書かれていないことは読み取れないから。
前の自分が知っていたなら、きっと怒ったことだろう。
「ぼくのことは?」と。
前のハーレイに詰め寄っただろう、「ぼくはどうでもいいのかい?」と。
船のことやら、仲間たちのこと。
そういったことは書いてあるのに、書かれてはいない恋のこと。
甘い言葉の欠片さえも無くて、想いの欠片も無いのだから。
(…ハーレイ、酷い…)
あんなに何度も隠していたから、きっと素敵な中身だろうと思ったのに。
前の自分に読まれたならば、恥ずかしくなるようなハーレイの想い。
それが書かれているのだろうと。
大真面目に日誌を書いているふりで、恋の欠片も鏤めるのだと。
(…そう思ったから、読まなかったのに…)
前のハーレイの心の中まで、覗き見るのは悪いから。
決して心を読まないのならば、ハーレイが綴る日記も同じ。
「お読み下さい」と差し出されるまでは、開くべきではないだろう。
時が来たなら、ハーレイはきっと「どうぞ」と渡してくれるから。
それを読んでもかまわないなら。
読んでいい日が訪れたなら。
(…きっと素敵な中身なんだ、って…)
夢見ていたのに、外れた予想。
前のハーレイが書いていたものは、恋の欠片も無い日誌。
こんなことなら読めば良かった、そして怒ってやれば良かった。
「ぼくのことは何処に書いてあるわけ?」と、「これは日記じゃないようだけど」と。
今頃になって、触れもしないオチならば。
超一級の歴史資料になってしまって、手も足も出なくなるのなら。
(…書いたハーレイだって、読めないんだけど…)
ただの古典の教師では無理。
今の自分と全く同じで、読もうとしても門前払い。
けれど、ハーレイは奥の手を持っているらしい。
研究者よりも凄い才能、書き手だったからこそ使える才能。
(…元の字を見たら、読めるって…)
データベースで無料で見られる、航宙日誌の文字をそのまま写したもの。
其処に書かれた文字を見たなら、ハーレイには全て分かるという。
どんな思いでそれを書いたか、その日には何があったのか。
文字がハーレイに伝えるらしい、秘密の中身。
ハーレイだけが読み取れる日記。
それもぼくには読めやしない、とガッカリするのが航宙日誌。
超一級の歴史資料で、本物にはとても触れられなくて。
前のハーレイが文字の向こうに閉じ込めた想い、それも自分には読み取れなくて。
(…やっぱり、読んでおけば良かった…?)
読み放題だった、前の自分の頃に。
航宙日誌が超一級の歴史資料に出世する前に、コッソリと。
そして怒れば良かっただろうか、「ぼくのことは?」と。
「何処にも書いていないじゃないか」と、「恋人なのに!」と。
なまじ出世を遂げたばかりに、なんとも悔しい航宙日誌。
読めば良かったと、今のぼくには読めないのに、と。
(名作だったら許すんだけど…!)
そうではないと分かっているから、「なんで?」と零れてしまう溜息。
どうして日誌が出世するの、と。
お蔭でぼくは読めやしないと、出世しちゃうなんて酷すぎるよ、と…。
出世してる日誌・了
※名作だったら許すんだけど、とブルー君が怒る航宙日誌の出世ぶり。
ハーレイ先生、いつか解説させられそうですねえ、復刻版を買わされちゃって…v