(やっぱり、こいつが美味いんだ…)
これが落ち着く、とハーレイが傾けた熱いコーヒー。
夜の書斎で、椅子にゆったりと腰を下ろして。
愛用のマグカップに淹れたコーヒー、夜の定番。
それを飲む場所は、色々だけど。
こうして書斎で飲んでいる日や、リビングのソファで飲む日やら。
ダイニングのテーブルも気に入りの場所で、要は何処でもかまわない。
コーヒーがあれば。
香り高くて絶妙な苦味、心ゆくまで楽しめれば。
(…本当は、夜は駄目らしいがな?)
よく耳にする、そういう話。
遅い時間にコーヒーを飲むと、寝付けないとか言われるけれど。
個人的な差だと考えている。
眠れなくなったことは無いから。
どちらかと言えば、その逆だろうか。自分の場合は。
(…飲み損なったら駄目なんだよなあ…)
流石に少し遅いだろうか、と飲まずにベッドに入った夜に限って欲しくなる。
やっぱり飲めば良かったと。
どうも今夜は落ち着かないと、なかなか眠れないんだが、と。
そうは言っても、健康的な日々を過ごしているから。
バランスの取れた食事に適度な運動、「規則正しく」がモットーだから。
眠れないな、と思っていたって、いつの間にやら眠っているもの。
気付けば翌日の朝になっていて、爽やかに目が覚めるもの。
(…つまり、飲まなくてもいいってわけか?)
夜のコーヒー、と浮かべてしまった苦笑い。
飲み損なったら落ち着かなくても、普段と同じに眠れるのだから。
「眠れないな」と思う時間は、さほど長くはない筈だから。
(単なる俺の嗜好品だな)
間違いないな、と眺めるカップ。
一人でコーヒーを楽しむ時には、これを使うと決めている。
かなり大きめ、たっぷりと入るマグカップ。
頑丈なカップとは長い付き合い、もう何年になるのだろうか。
朝も使って、夜も使って、馴染みの友といった雰囲気。
もっとも、カップは喋らないけれど。
手に馴染んだというだけのことで、それ以上ではないのだけれど。
コーヒー片手のひと時が好きで、前は昼間もよく飲んだ。
休日を家でのんびり過ごして、その合間に。
(…とんと御無沙汰になっちまったなあ…)
そっちのコースは、と指で弾いたカップ。
朝はこいつと出会うけれども、次は夜まで会わないようだ、と。
(仕事のある日は家にいないし…)
そうでなくても、昼間は留守。
小さなブルーに出会ってからは。
前の生から愛し続けた、愛おしい人と遂げた再会。
(…あいつがチビでさえなけりゃ…)
今頃はとうに、家に迎えているだろう。
仕事があるから、結婚式はまだ挙げられないままでいたとしたって。
(昼間は俺の家に呼んでもいいわけだしな?)
ブルーと二人で過ごす休日、自分の家で。
それが出来たら、カップの出番もあるというもの。
夜まで仕舞ったままにしないで、昼食の後や、お茶の時間に。
ところがブルーは、十四歳にしかならない子供。
ついでに自分が禁じてしまった、「家に来るな」と。
もしも歯止めが利かなくなったら、小さなブルーに無茶をするから。
前のブルーと同じに扱い、きっと傷つけてしまうから。
ブルーの身体も、まだ幼くて無垢な心も。
そんなわけだから、休日の昼間はブルーの家へ。
仕事が無ければ、いそいそと。
朝食が済んだら出掛けてゆくから、マグカップとは其処でお別れ。
ブルーの家で夕食を食べて帰って来るまで、会えないカップ。
(…お前さんを昼間に拝むチャンスは…)
いつ来るんだか、とカップに向かってついた溜息。
どうやら当分、来そうにないぞ、と。
小さなブルーは、今も変わらずチビだから。
再会してから少しも育たず、一ミリも背が伸びないから。
(二十センチと来たもんだ…)
其処まで育て、と自分がブルーに言い聞かせた背丈。
「前のお前と同じになるまで、キスは駄目だ」と。
前のブルーは百七十センチ、それがソルジャー・ブルーの身長。
チビのブルーは百五十センチ、足りない背丈が二十センチ。
(…まったく伸びやしないってな)
縮まりもしない、前のブルーとの背丈の差。
チビで愛らしいブルーもいいから、特に不満は無いけれど。
今となっては、ゆっくり育って欲しいと思っているけれど。
前のブルーが失くしてしまった、子供時代の幸せな記憶。
アルタミラで少しも成長しないで、苦しみの中で過ごした年月。
それを補って余りある幸せ、両親と過ごす温かな日々。
ブルーにはそれを、存分に味わって欲しいから。
子供時代の幸せな日々を、いくらでも与えてやりたいから。
何年でも待っていられると思う、チビのブルーが育つまで。
雛を見守る親鳥のように、小さなブルーを慈しみながら。
唇へのキスは与えないまま、愛はたっぷり注いでやって。
抱き締めて、額に、頬にキスして。
(そういうのも悪くないんだが…)
俺はそいつも好きなんだが、と傾けたカップ。
朝に別れたら、今は夜まで会えないカップ。
(…お前さんとは、昼間に会えないままらしいな?)
ブルーが育たない内は。
「家に来るか?」と誘ってやれない内は。
いつになるやら分からない、その日。
前とそっくり同じに育ったブルーを、この家に連れて来られる日。
けれど、その日が訪れたなら…。
(こいつと昼間に会える日だって…)
もう珍しくはないのだろう。
最初の間は、ブルーは昼間に来るだろうけれど。
夜になったら、家へ送るのだろうけど。
(その内、此処が家になるんだ)
ブルーの家に。
愛おしい人が暮らしてゆくための家に。
そうなったならば、仕事の無い日は二人で過ごす。
デートに出掛けて行かない限りは、この家で二人。
朝食の時に使ったカップと、昼間にも会えることだろう。
小さなブルーと出会う前には、いつもそうしていたように。
(それも、一人で飲むんじゃなくてだ…)
ブルーと二人で、お茶の時間や食後のひと時。
今は昼間は御無沙汰のカップ、それにコーヒーをゆっくりと淹れて。
「お茶にしないか?」とブルーを呼んで。
ケーキなんかも切り分けてやって。
(もう何年かの辛抱だってな)
お前さんも俺と一緒に待とう、とカップの縁を撫でたのだけれど。
慣れた手触りを「ふむ」と確かめ、コーヒーをコクリと飲んだのだけれど。
(…待てよ?)
ちょっと待った、と頭に浮かんだブルーの顔。
チビのブルーもそうだけれども、前の育ったブルーの方も…。
(あいつ、コーヒー、駄目だったんだ…!)
迂闊だった、と思い返したブルーの嗜好。
コーヒーを好むどころではなくて、とことん苦手なタイプがブルー。
(…いや、タイプ・ブルーってわけじゃなくって…)
駄洒落に逃げたくなってしまったほど、ブルーはコーヒーが駄目だった。
昔も、今も。
チビのブルーも、前のブルーも。
(…なんてこった…)
今の自分が好きなコーヒー。
眠る前にも寛ぎのひと時、愛用のマグカップにたっぷり淹れて。
それを飲まなければ落ち着かないほど、今の自分はコーヒー好き。
前の自分も、今と同じに好きだった。
コーヒーを好んだキャプテン・ハーレイ。
(…しかしだな…!)
前の俺には無かったんだ、と今頃になって気付いてしまった夜のコーヒー。
ブルーと夜を過ごす時には、そうそう飲めはしなかった。
なにしろ、ブルーは飲めなかったから。
たまにコーヒーを淹れる時には、自分の分しか淹れられなかった。
ブルーが文句を言うものだから。
「何処が美味しいのか分からないよ」と、コーヒーを嫌うものだから。
(…でもって、あいつ…)
気まぐれに挑戦していたコーヒー。
なんとか飲もうと、あの手この手で頑張ったけれど。
(ミルクたっぷり、砂糖たっぷり、それにホイップクリームまで入れて…)
ようやくブルーが飲めたコーヒー、もはやコーヒーとは呼べない代物。
おまけに、後で「眠れなくなった」と訴えたブルー。
目が冴えて駄目だ、と嘆いたブルー。
なんとか寝かせはしたのだけれども、それはブルーをベッドの上で…。
(あいつがぐっすり眠っちまうまで…)
疲れ果てて眠るまで抱いたんだった、と思い出した情事。
コーヒー騒動の後始末。
また今回もそうなるのか、と呆然と眺めてしまったカップ。
昼間に飲んでも「またコーヒー?」とブルーに言われて、夜になったら。
(「今は毎日飲んでるわけ?」って…)
ブルーが呆れ果てるのだろうか、「コーヒー、そんなに美味しいわけ?」と。
そんなものより紅茶がいいよ、と前のブルーと同じように。
「ぼくと一緒に紅茶を飲まない?」と。
その光景が見える気がした、ブルーと紅茶を飲んでいる自分。
愛用のカップは出番を失くして、コーヒーだって。
(…そうはならないと思いたいんだが…)
俺はコーヒーを飲みたいんだが、と思うけれども、読めない未来。
今の内だ、とコーヒーのカップを傾ける。
ブルーがまだまだチビの内にと、今の内にゆっくり飲んでおこうと…。
コーヒーとあいつ・了
※ハーレイ先生の寛ぎのひと時、夜でもコーヒー。落ち着く時間らしいですけど…。
いつかはそれが無くなるのかも、と気付いてしまったハーレイ先生。どうなるでしょうねv