(…悪戯小僧め…)
実にとんでもないヤツだ、とハーレイが浮かべた苦笑い。
ブルーの家へと出掛けて来た日に、夜の書斎で。
愛用の大きなマグカップ。熱いコーヒーをたっぷりと淹れて。
それは普段と変わらないけれど、その他に一つ、ガラスの器。
ちょっとしたフルーツを入れたりするのに丁度いい器、一人暮らしには。
つまりは小さめ、器の中身は真っ赤な果実。
今の季節にそぐわない果実、旬はとっくに過ぎ去ったから。
みずみずしく光るサクランボ。
まるでブルーの瞳のよう。
生きた宝石、赤い所もブルーの瞳を思わせる果実。
前の自分もそう思ったな、と零れた笑み。
白いシャングリラでブルーと食べたサクランボ。
ブルーの瞳も食べられるから、と瞼に落としてやったキス。
「食べられないと思うんだけど?」と言ったブルーに、「いえ」と返して。
「こうすれば食べられますよ」と、両の瞼にキスを落として。
ブルーは頬を染めたのだったか、「驚いたよ」と。
「両目とも食べられてしまうなんて」と。
遠く遥かな時の彼方の甘い思い出、前のブルーと過ごした日々。
それをブルーが持ち出して来た。
今の小さなチビのブルーが、十四歳にしかならないブルーが。
ブルーの家を訪ねて行ったら、おやつに出て来たチェリーパイ。
それだけなら全く気付かないけれど、器に盛られた生のサクランボ。
旬の頃には何度も二人で食べたけれども、今は秋。
サクランボの旬はとうに過ぎ去り、生の果実は輸入物。
そこへブルーの嬉しそうな顔、本人は多分、上手に隠したつもりだろうけど。
ついでに零れた心の欠片。
それは楽しそうにキラキラと光る、楽しげなブルーの心の欠片。
気付かない方がどうかしている、このサクランボが問題なのだと。
チェリーパイと、生のサクランボ。
(…サクランボで何かある筈なんだ、と思うよなあ…?)
小さなブルーがはしゃぐような、何か。
心が弾んで、中身がコロンと零れ落ちるようなものが。
(あいつと出会った頃が、丁度サクランボの旬で…)
チェリーパイも、生のも、何度も食べた。
けれど、それだけ。
特には何も思い付かない、ブルーの心が跳ねるようなこと。
だとしたら…、と遠い過去へと思いを向けたら、答えは直ぐに降って来た。
前のブルーと二人で食べたと、白いシャングリラにもあったのだ、と。
赤くみずみずしい果実。
ブルーの瞳のような宝石、甘く熟したサクランボが。
思い出したら、途端にブルーが悪戯小僧に見えて来た。
よくもと、チビが悪知恵を、と。
(サクランボと言えば、軸だったんだ…!)
前のブルーと食べていた時、前の自分が持ち出した話。
何処で仕入れた知識だったか、今では思い出せないけれど。
本で読んだか、データベースで調べ物の途中に、たまたま見付けたものだったのか。
(サクランボの軸を、口の中で上手く結べるヤツは…)
キスが上手い、というのがそれ。
「そうなのか?」と驚いた時は、まだ恋人はいなかった。
ブルーは仲のいい友達だったし、他の仲間にも恋をしたことは無かったから。
だから経験すらも無かったのがキス、けれど気になるサクランボの軸。
口の中で結ぶことが出来れば、キスが上手いというのだから。
(…キスをする相手がいなくても、だ…)
やはり興味は出て来るもの。
自分は上手く出来るだろうかと、軸を上手に結べるのかと。
キスする相手も、キスの予定も無いけれど。
いつかキスすることがあるなら、もちろん上手い方がいい。
上手い方がいいに決まっているから、どんなことでも。
下手では誰も褒めてくれない、何をするにしても。
だからサクランボの軸も心に残った、「上手く結べたらキスが上手い」と。
そんなこんなで、前の自分が覚えてしまった、サクランボの軸とキスの関係。
サクランボの軸に出会えば「これか…」と思うし、試したくもなる。
周りに誰もいなければ。
実ではなくて軸を口に入れても、「食べられるのか?」と声が掛からないなら。
(…果たして最初は、いつだったやら…)
覚えてはいない初挑戦。
何処でやったか、生のサクランボだったか、それさえも。
シロップ漬けのサクランボだったかもしれない、軸も一緒のものもあるから。
とにかく出会って、周りは無人。
そうでなければ無関心。
実を食べた後に軸を口に入れ、さて、その後はどうなったのか。
(…それも覚えていないんだよなあ…)
初挑戦で成功したのか、まるで話にならなかったか。
記憶が遠すぎることもあるけれど、今の自分の記憶も邪魔をしてくれる。
なにしろ、今は平和な世界。
血気盛んな青少年が集っていたなら、誰かが話を持ち出すから。
「お前、出来るか?」とサクランボの軸とキスの話を。
口の中で軸を上手く結べるなら、キスが上手いと言うんだが、と。
(…あの話で何度、盛り上がったやら…)
わざわざサクランボを買って来てまで、競い合ったこともあったほど。
旬でなければ、シロップ漬けで。
出来る、出来ないと、それは賑やかに。
今の自分が積み過ぎた記憶、サクランボの軸とキスに纏わる記憶。
お蔭ですっかり霞んでしまった、前の自分とサクランボのこと。
(いつから挑んで、いつ出来たのかも…)
思い出せんな、と首を捻るしかない。
今の自分がそうだったように、「出来るんだが?」と初挑戦で成功したか。
それとも、何度も挑み続けて、苦労した末に身につけた技か。
(…しかし、苦労をしていたんなら…)
前のブルーに話してみたりはしなかったろう。
「これを口の中で結べますか?」と。
悪戦苦闘していたブルーに、「私は簡単に出来るのですが」とも言わないだろう。
(…前の俺にも、その才能はあったらしいな?)
そして今ではもっと上手に、とヒョイと摘んだサクランボの実。
ブルーの家から帰る途中の食料品店、其処で買って来た輸入物。
(…うん、本当にあいつの瞳にそっくりだってな)
生きてる赤い宝石なんだ、と口に含んだサクランボ。
舌で転がし、味わった後は、残った種を吐き出してから…。
(今日はこっちがメインなんだ)
軸の出番だ、と口に入れた軸。
若い頃からやっていたように、舌を使って上手に曲げて…。
(こうやって…)
こうだ、と器に吐き出した軸は、クルンと見事に結ばれていた。
前の自分がやった通りに、それ以上に。
どんなもんだ、と眺めた軸。
今の自分は前の自分より、遥かに腕を上げているから。
平和な時代にサクランボの軸で遊び続けて、短い軸でも結べるから。
(…キスも前より上手い筈だぞ)
サクランボの軸と、キスの話が本当ならば。
上手く結べればキスが上手いと言うのだったら、前よりもきっと上手い筈。
そして、サクランボを用意していたブルーは…。
(…相変わらず下手なままなんだ…)
前のブルーと全く同じに、今のブルーも軸を結べはしなかった。
口に入れても、どう頑張っても。
「ハーレイ、ぼくはキスが下手かな?」と心配そうだった前のブルー。
サクランボの軸を上手く結べないから、キスも上手に出来ないだろうか、と。
けして下手だとは思わなかった、前のブルーと交わしたキス。
だからサクランボの軸を結ぶのは遊びで、前のブルーと何度もやった。
「まだ無理ですか?」とからかいながら。
「ほんのちょっとしたコツなのですが」と、口の中でヒョイと結んでみせて。
ブルーも努力はしていたけれども、ついに出来ないままだった。
ただの一度も、軸を結べはしなかった。
それを思い出したのが、小さなブルー。
日頃から「駄目だ」と禁じてあるキス、話題にするならサクランボだ、と。
母にチェリーパイを焼いて貰って、輸入物まで用意した。
「シャングリラのサクランボ、覚えている?」と。
もう充分に嫌な予感がしていた所へ、軸の話を持ち出したブルー。
キスも出来ないチビのくせに、と悪戯小僧をこらしめてやった。
二センチほどの短い軸。
それを結んで、「今の俺の方が前より上手い」と。
案の定、ブルーは「前のぼくのキス、下手だった…?」と言い始めたから。
「比較対象が無かったからな」と、ニヤリと笑みを浮かべておいた。
俺は下手だと思わなかったが、比べるものが無かったから、と。
(…悪戯小僧には、おしおきなんだ)
ポロリと涙を零したブルー。
「ハーレイ、前に恋人、いたんだ…」と。
誰かとキスをしていたんだ、と小さなブルーは泣き出した。
「ハーレイを誰かに盗られちゃった」と。
ちゃんと宥めて、「俺はお前しか好きにならない」と涙は止めてやったけれども。
当分、反省しているがいい、と口に含んだサクランボ。
悪戯小僧はおしおきせねばと、サクランボの軸とキスの話はチビには早すぎなんだから、と…。
サクランボとキス・了
※サクランボの軸とキスの思い出を持ち出したブルー君、ハーレイ先生から見れば悪戯小僧。
おしおきなんだ、と苛めたようです。「比較対象が無かったから」って、大人の余裕v
- <<サクランボと軸
- | HOME |
- 無理そうなシャツ>>