(はてさて、あいつに作れるやらなあ…?)
多分、無理だと思うんだがな、とクッと笑ってしまったハーレイ。
ブルーの家で過ごした日の夜、いつもの書斎で。
コーヒーを飲みながら眺めた袖口、ブルーが縫い付けてくれた小さなボタン。
取れてしまいそうだったのを、見付けてくれて。
自分は毟り取ろうとしたというのに、「ちょっと待ってて」と。
それは器用に縫い付けてくれた、小さなブルー。
家庭科の授業で習ったのだろう、慣れた手つきで。
不器用だった前のブルーとは、別人のような腕前で。
(…前のあいつは裁縫が駄目で、今のあいつはサイオンが駄目、か…)
面白いもんだ、と傾けるコーヒーのカップ。
同じブルーでこうも違うかと、見た目は同じなんだがな、と。
チビはともかく、赤い瞳も銀色の髪も全く同じ。
今は幼い顔立ちだって、育てば前とそっくり同じになるだろう。
前の自分が失くしてしまった、気高く美しかった恋人。
そっくりそのまま、戻って来たと思ったのに…。
(…今のあいつは不器用なんだ)
ただしサイオン限定でな、とクックッと笑う。
裁縫の腕なら今の方が上だと、前のブルーよりも遥かに凄い、と。
比類なきサイオンを誇った恋人、ソルジャー・ブルー。
前のブルーが、ある日、繕おうとしてくれたキャプテンの制服の袖口のほつれ。
「そのままだと引っ掛けて酷くなるから」と、裁縫道具を持ち出して。
ところが、ブルーは不器用だった。
今のブルーのサイオンさながら、救いが無かった裁縫の腕。
針に糸を通す所からして既に怪しく、糸の端っこに結び目を作るまでにも一苦労。
やっとのことで繕ってくれた袖は、とても見られたものではなかった。
不揃いな縫い目に、引き攣れた生地。
これでは駄目だと、前の自分が全部ほどいて縫い直した。
ブルーよりかはマシに縫えたし、服飾部の者に「頼む」と渡せる程度の応急措置。
そんな具合だから、肩を落としていたブルー。
「ぼくはホントに頑張ったのに」と。
しょげる姿が可笑しかったから、不意に浮かんだ悪戯心。
完璧な筈のソルジャー・ブルーにも、不得手なことがあるらしいから。
あれだけ悪戦苦闘したって、袖口のほつれを上手く直せないようだから。
だから口にした、こういう言葉。
「本当に私のためだと思っていらっしゃったのなら…」
とんでもない縫い目を作るどころか、縫い目の無いシャツを作れそうですが、と。
遠く遥かな昔の恋歌、スカボローフェア。
今の自分も知っているけれど、前の自分も知っていた。
何処で知ったかは忘れたけれども、気に入っていたそのメロディ。
それに出て来る、縫い目の無いシャツ。
縫い目も針跡も無いというシャツ、そうやって作り上げたシャツ。
前のブルーは歌を知らなくて、「なに、それ?」と目を丸くしたから。
スカボローフェアを教えてやった。
歌が生まれた遠い昔のイギリスで栄えた、スカボローの町。
其処で開かれる市に行く人、その人に頼み事をする歌。
スカボローの町に住む、かつての恋人。
その恋人に伝えて欲しいと、幾つも並べる無理難題。
恋人がそれを果たしてくれたら、その人の許へ戻ってゆこうと。
「あなたこそが私の真の恋人」と、かつて別れた人の許へと。
縫い目も針跡も無い亜麻のシャツ。
それが一つ目の注文だった。
そういうシャツを作ってくれたら、私はあなたの許へ戻ろう、と。
(スカボローフェアなあ…)
今の自分も気に入りの歌。
気付けば口ずさんでいたりする。
小さなブルーに出会う前から、前の自分の記憶が戻る前から。
「スカボローの市へ行くのですか?」と、問い掛ける言葉で始まる歌。
行くのですか、と尋ねた後には、呪文のように挟まるハーブの名前。
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム。
そう歌った後は、果たせそうもない無理難題。
縫い目も針跡も無い亜麻のシャツなど、まだまだ可愛い方だった。
涸れた井戸でそれを洗ってくれとか、波と浜辺の間に一エーカーの土地を見付けろだとか。
(どうにもならないヤツばかりだがな?)
どんなに努力してみた所で、出来るわけがないことばかり。
スカボローフェアはそういう恋歌。
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム。
四つのハーブを織り込みながら、果たせそうもない無理難題を吹っ掛ける歌。
だから、前の自分が口にしたのも、ほんの冗談。
「こういう歌があるのですが」と、「本当の恋人だったら出来ますよね?」と。
前のブルーが作った不揃いな縫い目が、あまりに可笑しかったから。
それを作ってしょげるブルーが、なんとも愛おしかったから。
ところが、何を勘違いしたか。
歌って聞かせたスカボローフェアを聴いたブルーは、こう言った。
「縫い目も針仕事の跡も無い亜麻のシャツ? 分かった、それが作れたら…」
正真正銘、ぼくの裁縫の腕を認めてくれるんだ、と。
どう考えても、前のブルーの勘違い。
スカボローフェアは「それを作れ」と歌うけれども、恋人の愛の深さを試す恋歌。
本当に作れとは言っていなくて、それほどに深い愛を見たいと戯れる歌。
そう説明をしたというのに、「もう一度、歌って」と強請ったブルー。
強請られるままに歌って聞かせたスカボローフェア。
(…そうしたら、あいつ…)
作ったのだった、前のブルーは。
どうやったのかは分からないけれど、縫い目も針跡も無い奇跡のシャツを。
真っ白な亜麻の布で作った、スカボローフェアの歌そのままのシャツを。
得意満面でそれを差し出したブルー。
「ほら、ハーレイ」と。
「君が歌ってくれたスカボローフェアに出て来るシャツ」と。
驚いて子細に調べてみたシャツ。
亜麻のシャツには、縫い目は一つも見付からなかった。
針の跡さえ、ただの一つも。
遠く遥かな昔の恋歌、果たせない筈の無理難題を果たしたブルー。
縫い目も針跡も、見付かりはしない亜麻のシャツ。
誰も作れはしないままだった、スカボローフェアの歌の通りの奇跡のシャツを。
けれど、着られなかったシャツ。
前のブルーは、どこまでも不器用だったから。
こと、裁縫に関しては。
奇跡のシャツを作る参考にしていた、前の自分のシャツのためのデータ。
それをそのまま引き写したから、シャツは失敗作だった。
伸縮性のあるシャツの素材と、亜麻の布とは違ったから。
被って着たならビリッと破れてしまうのがオチで、けして着られはしないシャツ。
それでも、ブルーが愛おしくて。
「…着られないわけ?」と慌てたブルーを、抱き締めてキスを贈ってやった。
スカボローフェアの歌は、そういうシャツを作れと歌っているけれど。
出来上がったシャツを自分が着るとは歌わないから。
着られなくてもかまわないのだと、作り上げれば充分だから、と。
(…あいつ、最高の恋人だったんだ…)
たとえ着られないシャツであっても、奇跡のシャツを作ったブルー。
遠い昔から不可能なことを並べて歌い継がれた恋歌、その中の一つを果たしたから。
恋人のためにそれをしようと、縫い目も針跡も無い亜麻のシャツを見事に作り上げたから。
(…前のあいつは、ちゃんと作ってくれたんだが…)
何処かへ消えてしまったんだよな、と思い浮かべる奇跡のシャツ。
前の自分は大切に仕舞っていたのだけれども、今は失われてしまったシャツ。
誰も奇跡のシャツと気付かず、ただのシャツだと思われて処分されたのだろう。
前の自分がいなくなった後、他の何枚ものシャツに紛れて。
(…ちょいと惜しい気もするんだがな?)
そういう風に時の流れに消えるのだったら、着れば良かったと改めて思う。
長い戦いの果てに辿り着いた地球、あの星へ降りてゆく時に。
死の星だった地球だけれども、前のブルーとの約束の場所。
其処に似合いのシャツだっただろう、前のブルーが作ってくれた奇跡のシャツは。
あちこち破れてしまったとしても、とっておきの晴れ着になったのだろう。
(…着そびれちまった…)
そして無くなっちまったんだが、と残念でならない奇跡のシャツ。
前のブルーの愛の証で、大切に取っておいたシャツ。
何度も何度も、前の自分が撫でていた。
クローゼットの奥から取り出し、縫い目も針跡も無い真っ白なシャツを。
ブルーが作った奇跡のシャツを。
さて、今のブルーはどうするだろう?
「作ってくれ」と注文したのだけれども、不器用な今のブルーの方は。
今度は着られるシャツで頼むと、上等な亜麻のシャツがいいと。
(…作れるわけがないんだがな?)
無理だと分かっているのだけれども、ついつい吹っ掛けた無理難題。
いつか本物の恋人同士になった時には、前と同じに作ってくれと。
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム。
スカボローフェアの歌そのままのシャツを、縫い目も針跡も無い奇跡のシャツを。
作れなくても、ブルーは最高の恋人だけれど。
奇跡のシャツなど作れなくても、誰よりも愛おしくて大切な人。
だから、ふざけて無茶を言う。
奇跡のシャツを作ってくれと、今度は着られる上等なのを、と…。
奇跡のシャツ・了
※前のブルーが作ってくれた奇跡のシャツ。今のブルーには作れそうもないんですけれど…。
ついつい「作ってくれ」と注文したくなっちゃいますよね、ハーレイ先生の悪戯心v
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