(四つ葉のクローバーなあ…)
探したことも無かったな、とハーレイが開けた玄関の扉。
庭に出ようと、まだ朝食も食べない内に。
休日の朝も目が覚めるのは早いから。
苦にもならない、まだ朝露が光る時間に庭に出ること。
顔を洗って着替えを済ませて、足にはサンダル。
ジョギングに出掛けるわけではなくて、行き先は家の庭だから。
昨日、ブルーと交わした約束。
(俺の家の庭にも、あるだろうから、って…)
小さなブルーに言われたのだった、「四つ葉のクローバーを探してみてよ」と。
庭にクローバーが生えているなら、きっと見付かるだろうから、と。
幸せの四つ葉のクローバー。
見付けた人には幸運が訪れると伝わるクローバー。
それこそ遠い昔から。
SD体制が始まるよりも遥かな遠い遠い昔、人間が地球しか知らなかった頃から幸運の証。
本当だったら三枚の筈のクローバーの葉っぱ、それが四枚。
一枚多いと幸運の印、古い古い地球の言い伝え。
さてと、と向かった庭の一角。
芝生が植えてあるのだけれども、クローバーだって生えている。
何処からか種が飛んで来たものか、芝生を植えて貰った時から混ざっていたか。
(俺にとっては当たり前のヤツで…)
この家で暮らし始めた頃から、クローバーは庭の住人だった。
気付けば白い花を咲かせて、濃い緑色の葉を広げていた。
雑草だからと引っこ抜くには、もったいないように思えたから。
均一な色で広がる芝生の、いいアクセントにも見えたから。
(そのままにしておいたんだよなあ…)
同居人だ、と庭に許した居場所。
ただし、広がりすぎないようにと刈り込むことは忘れなかった。
愛らしい花を咲かせるとはいえ、繁殖力が旺盛だから。
放っておいたら芝を駆逐しかねないことは、重々承知していたから。
増えすぎたな、と思った時には刈ったり、時には一部を引っこ抜いたり。
そんな具合で長い付き合い、庭に生えているクローバーの茂み。
目的の場所へと庭を突っ切り、クローバーの側にしゃがみ込んだ。
まさかこいつと手入れ以外で向き合うことになろうとは、と。
(幸運の四つ葉か…)
あちらこちらでお目にかかるのが四つ葉のマーク。
今も昔も幸運のシンボル、様々な所にあしらわれているものだから。
店の看板やら、包装紙やら。
文具売り場でも見掛けたりする、四つ葉の模様の便箋などを。
(本物のクローバーの姿よりも目立っているんじゃないか?)
もしかしたら、と零れてしまった苦笑い。
三つ葉の方のクローバーには殆どお目にかからないんだが、と。
模様でも、店のマークでも。
クローバーをあしらってあるな、と気付く時には四つ葉が多い。
四つ葉だからこそ、クローバーだと思っているような節さえもある。
(クローバーは三つ葉のモンなんだがな?)
こいつみたいに、と戯れにチョンとつついた葉っぱ。
普通の三つ葉のクローバー。
これが本物のクローバーなのに。
四つ葉の方が珍しいのに。
(まあ、四つ葉だらけなら、幸運も何も…)
滅多に見付けられないからこそ、四つ葉のクローバーは幸運のシンボルになったのだろう。
本来の三つ葉のクローバーよりも、幅をきかせている四つ葉。
模様になったり、マークになったり、色々な場所で。
(…しかしだ、三つ葉の方もだな…)
捨てたものではないんだがな、とチョンチョンと指でつついてみる。
「お前はお前で有難いモノの筈なんだが」と。
何処かでチラと聞いたことがある、三つ葉のクローバーの意味。
神を表すシンボルなのだと、三枚の葉を持っているから、と。
三位一体、父と子と精霊を指している言葉。
クローバーは三枚の葉を持っていながら、柄は一本になっているもの。
三位一体を表した姿、そう説いた聖パトリック。
人間が地球しか知らなかった時代に、アイルランドと呼ばれた島で。
聖パトリックを記念する祭り、それの主役は緑の三つ葉のクローバー。
その日だけは警察のバッジにあしらったという地域もあったほど。
クローバーにちなんで皆が緑の衣装を身に着け、ビールまでが緑色だったほど。
あくまで三つ葉のクローバー。
その日にはまるで出番が無かった、幸運の四つ葉のクローバー。
面白いもんだ、と葉っぱをつついて、それから仕事に取り掛かった。
この年まで生きて来たのだけれども、一度もやってはいないこと。
クローバーの茂みの中を探って、幸運の四つ葉を見付け出すこと。
(…普通、男は探さないしな?)
幸運の四つ葉のクローバーなどは。
どちらかと言えば女性がすること、それも幼い女の子など。
そういう年頃に女の子と一緒に遊んでいたなら、探すことだってあるけれど。
公園などでクローバーの茂みに子供が何人もいたりするけれど、自分は違った。
柔道と水泳が好きだった子供、やんちゃな子供ばかりが友達。
四つ葉のクローバーを探すよりかは、野原を突っ切る方だったから。
此処が近道だとクローバーの茂みを踏んで走るとか、補虫網を振り回しているだとか。
とんと興味が無かったのが四つ葉、探そうとも思っていなかった。
この年になるまで、小さなブルーに「探してみてよ」と言われるまでは。
(俺としては、なんとも思っていなくてだな…)
今日まで探しもしなかったこと。
四つ葉のクローバーを探してみようと、茂みにしゃがみ込まなかったこと。
男の子ならばよくあることだし、友人たちだって今も殆どがそうだろう。
娘が生まれて「パパ、探そうよ」と連れて行かれたりしない限りは。
あるいはデートの途中で誘われ、恋人と二人で探すだとか。
(…大抵のヤツらは、そんな感じで…)
四つ葉探しとは縁が無いのが大半だろう、という環境。
だから不思議に思いもしなくて、庭のクローバーを刈り込む時にも見ていなかった。
増えた分の根っこを引っこ抜いた時も、調べずにポイと打ち捨てておいた。
四つ葉のクローバーが混ざっているかは、別にどうでも良かったから。
自分にとっては単なる雑草、クローバーがあるというだけだから。
(…そうだとばかり思ってたんだが…)
違ったらしい、と昨日、ブルーから聞いて気付いた。
前の自分と、ブルーの思い出。
白いシャングリラで何度も探した、幸運の四つ葉のクローバー。
それは一度も見付からなかった、二人で何度探しても。
子供たちなら、簡単に見付けられるのに。
ブルーと二人で散々探した後の筈の場所で、「あったよ!」と声を上げるのに。
前のブルーも自分も首を傾げた、見付けられない幸運の印。
どんなに探しても見付け出せずに、子供たちばかりが「あった」と手にする幸運の四つ葉。
(子供たちには未来が待っているからなんだ、と思ったっけなあ…)
きっとそうだ、と考えた。
幸せな未来を掴む子たちには、きっと四つ葉が似合いなのだと。
その記憶が今の自分の心の底にも、刻まれたままになっていたから。
探しても四つ葉は見付けられないと、前の自分が思っていたから。
(…今の俺も探さなかったんだ…)
庭にクローバーが生えていたって、それの手入れをする時だって。
「引っこ抜いた中に混じってないよな?」と、チラリと眺めもしなかった。
もしも一本混じっていたなら、使い道はちゃんとあったのに。
押し葉にして栞に仕立てておいたら、学校で生徒に渡してやれた。
「一つしか無いから、ジャンケンだぞ?」と。
喜ばれたのに違いない。
幸運の四つ葉のクローバーだから、栞になっているのだから。
けれども、探しもしなかった自分。
前の自分の連戦連敗、ブルーと二人で負け続け。
とうとう一度も見付からなかった、幸せの四つ葉のクローバー。
今にしてみれば、予言だったのかと思えるほどに。
幸せな未来を持たない二人だったから。
運命に引き裂かれてしまう恋人同士で、ハッピーエンドは無かったから。
ところが、今の小さなブルー。
四つ葉を探そうと挑んだブルーは、自分の家の庭でそれを見付けた。
挑んだその日に、立派な四つ葉に。
顔を輝かせていたブルー。
「きっとハーレイも見付けられるよ」と、「家にあるなら探してみてよ」と。
そう言われたから、朝一番から一仕事。
(俺も四つ葉を見付けないとな?)
今の自分なら、探し出せるというのなら。
いつかブルーとハッピーエンドが待っている今の自分なら。
(…この辺に…)
あればいいが、とガサガサと探し始めた途端。
まさか、と驚いた幸運の四つ葉、朝露を纏った緑の四つ葉。
前の自分は何度探しても、ついに出会えはしなかったのに。
それが誇らしげに顔を出してくれた、茂みの中から。
(…そうか、今度はハッピーエンドか…)
ブルーに教えてやらなければ、と見詰めて頭に焼き付ける。
「摘んじゃ駄目だよ」とブルーが言っていたから。
そのまま庭に置いてあげてと、幸せのクローバーなんだから、と。
前の自分たちには無かった四つ葉。
それが今度はちゃんとある。
自分の家にも、ブルーの家にも、幸運の印のクローバー。
いつか幸せになれるから。ハッピーエンドが待っているから、幸運の四つ葉のクローバーが…。
見付けた四つ葉・了
※ハーレイが見付けた四つ葉のクローバー。前のハーレイは一度も出会えなかったのに。
今度はブルーとハッピーエンド。そういう印が庭にきちんとあるのですv
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