(…ぼくの楽園があったんだよ)
此処に、確かに…、とブルーが見詰めるシャングリラ。
楽園という名の白いシャングリラ、優美な姿の白い鯨を。
本物の船ではないけれど。
ハーレイに教えて貰った写真集の中、白い鯨は飛んでいるのだけれど。
前の自分が乗っていた船。
遠く遥かな時の彼方で、ハーレイと一緒に暮らした船。
二人きりではなかったけれど。
大勢のミュウの仲間たちもいて、それは賑やかだったのだけれど。
(…この船で、いつもハーレイと一緒…)
前の自分が恋をした人と。
今の自分も恋をしている、愛おしい人と。
どんな時でもハーレイと二人、この船の中で生きていた。
自分が外へと出ていない時は、文字通りに同じ船の中。
互いの姿が見えない時でも、同じ船には乗っていたから幸せだった。
ハーレイは今は何処だろうかと、サイオンで船を探ってみたり。
用も無いのにブリッジに行って、船を操るのを眺めてみたり。
もちろん、ブリッジに出掛けた時にはソルジャーの貌をしていたけれど。
ハーレイに恋した自分は綺麗に隠して、ソルジャー・ブルーだったのだけれど。
事情はハーレイの方でも同じで、キャプテンの貌で自分を迎えた。
「ようこそ、ソルジャー」と、「本日は視察でいらっしゃいますか」と。
ソルジャーだった前の自分と、キャプテンだったハーレイと。
二人で白い鯨を守った、仲間たちを乗せた箱舟を。
ミュウの未来を乗せている船を、いつか地球へと旅立つ船を。
(前のぼくが船を丸ごと守って…)
ハーレイもまた、船を丸ごと守り続けた。
舵を握って船を操り、船そのものも維持したキャプテン。
修理が必要な箇所が出たなら、直ちに補修の指示を下して。
生きてゆく上で欠かせない物資、それに不足が生じそうなら、そうなる前に手を打って。
(…いつでも、ぼくとハーレイと二人…)
手を取り合って船を守った、ソルジャーと、それにキャプテンと。
誰もがそうだと思ったけれども、そうだと信じていたけれど。
あの船の中で恋を育み、いつしか恋人同士になって。
もしもソルジャーとキャプテンでなければ、共に暮らしていたことだろう。
恋人同士で暮らせるような部屋を貰って、二人一緒に。
それは幸せに、二人きりの部屋でキスを交わして、愛を交わして。
けれども、出来なかったこと。
白いシャングリラを守る二人が、ソルジャーとキャプテンが恋人同士だと明かせはしない。
知られてしまえば、誰もついてはこなくなるから。
ミュウの未来を導くソルジャー、船の行く先を決めるキャプテン。
そんな二人が恋人同士だと知れてしまえば、誰もついてはこなくなる。
二人で勝手に決めたのだろうと、それなら二人で行けばいいと。
自分たちは自分の道をゆくから、二人で好きにするがいいと。
そうならないよう、懸命に隠し続けた恋。
誰にも明かせず、時の彼方に消えてしまったハーレイとの恋。
前のハーレイが書き残していた航宙日誌にも、何も書かれていなかったから。
恋をしたことも、二人で何度も夜を過ごしていたことも。
誰一人として気付かないままで、前の自分たちの恋は終わった。
前の自分がメギドへと飛んで、命を失くしてしまった時に。
白い鯨にハーレイが一人、取り残されてしまった時に。
(でも、それまではずっと…)
ハーレイと二人、あの船で恋をして、愛を交わして。
いつまでも、何処までも共にゆこうと誓い合っては夢を見ていた。
この船で青い地球へ行こうと、地球に着いたらきっと幸せになれるだろうと。
白いシャングリラが地球に着いたら、もうソルジャーは要らないから。
キャプテンもお役御免になるから、そうすれば晴れて恋人同士。
自分たちの仲を皆に明かして、後は二人で生きてゆこうと。
誰にも隠さなくてもいい恋、そういう恋が始まるからと。
(いつかハーレイと地球に着いたら…)
山のようにあった、やりたかったこと。
前の自分が夢に見たこと。
ハーレイと二人で、あれもこれもと。
いつか約束の場所に着いたら、青い地球まで辿り着いたら。
夢を見ていた青い星。
ハーレイと行こうと夢に見た地球。
きっと素晴らしい楽園だろうと、美しく青い星があるのだと。
遥かな昔にアダムとイブが追われた楽園、エデンの園にも負けないほどの。
(だけど、楽園…)
エデンの園には敵わないけれど、青い地球には勝てないけれど。
前の自分は其処に住んでいた、前のハーレイと二人一緒に。
楽園という名の白い船の中、あそこに楽園は確かにあった。
名前だけではなかった楽園。
ハーレイと二人で生きた楽園。
外の世界には出られない船、閉ざされた世界だったけれども。
それでも幸せに自分たちは生きた、楽園の中で暮らしていた。
船の中を探せば、必ず姿があったハーレイ。
前の自分が愛していた人、今も変わらず愛している人。
ハーレイと二人で乗っていたから、あのシャングリラは楽園だった。
恋をして共に生きていたから、愛おしい人といられたから。
二人で暮らせる部屋は無くても、恋人同士だと明かせなくても。
誰にも秘密の恋であっても、恋をしたことが幸せだった。
キスを交わして、愛を交わして、ハーレイと二人。
何処までも共にと誓い合っては、いつか行けるだろう地球を夢見て。
白いシャングリラはミュウの箱舟、仲間たちを守るための船。
ミュウの未来へと向かう箱舟、受難の時代を乗り越えるための白い箱舟だったのだけれど。
箱舟が旅をしている間は、本当は楽園は無いのだけれど。
(…何もかも水の下なんだしね?)
神の洪水に覆われた大地、其処から水が引くまでは。
箱舟が地面に降りる日までは、楽園などありはしないのだけれど。
(…楽園は船にあったんだよ…)
ハーレイと恋をしていたから。
二人一緒にいられる場所なら、其処が楽園だったから。
箱舟の中に楽園はあった、前の自分とハーレイのための。
誰にも言えない恋であっても、幸せに生きていられたから。
いつかは二人で地球に行こうと、遠い未来を思い描いて。
きっといつかは二人きりの日々が、今よりも幸せな時が来るのだと夢を描いて。
青い水の星に着いたなら。
ソルジャーとキャプテン、そういう立場を離れられる時が訪れたなら。
その日まで共に生きてゆこうと、何処までも行こうと誓ったキス。
抱き合っては二人、愛を交わして甘い未来を夢に見ていた。
今よりも、もっと幸せに。
いつか約束の場所に着いたら、地球という名の楽園に辿り着いたなら。
そうして二人で夢を見た地球、白い鯨で向かう楽園。
幾つもの夢を語り合っては、きっと其処へと重ねた唇。
いつかは二人で青い地球へと、本物の楽園へ辿り着こうと。
(…なのに、前のぼく、死んじゃった…)
地球を見る前に尽きてしまった命。
寿命が尽きると分かった時から覚悟は出来ていたのだけれども、予想もしなかった悲しい最期。
ハーレイのいない暗い宇宙で、独りぼっちになってしまって。
愛おしい人との絆の温もり、それを失くして独りぼっちで。
前の自分は楽園を失くし、恋をした人も失くしてしまった。
白いシャングリラを離れた時には、まだ恋だけは持っていたのに。
楽園という名の船とは別れて飛んだけれども、ハーレイとの絆はまだあったのに。
右手に残ったハーレイの温もり、それを抱いて逝こうと思った自分。
温もりがあれば一人ではないと、ハーレイの心は側にあるから、と。
なのに温もりを失くしてしまって、切れてしまった大切な絆。
愛おしい人との間を結んでくれていた絆、それを失くして自分は死んだ。
楽園も、恋人も消えてしまって。
暗い宇宙にたった一人で、泣きじゃくりながら潰えた命。
もうハーレイには二度と会えないと、絆が切れてしまったからと。
(あの時、全部無くなったのに…)
楽園があった白い鯨も、ハーレイとの恋も、何もかも全部。
前の自分の周りから消えた、全部微塵に砕けてしまって。
泣きじゃくることしか出来なかった自分、独りぼっちになってしまったと。
全ては其処で終わってしまって、それきりになった筈だったのに。
(…ぼく、本物の楽園に来ちゃったよ…)
辿り着けずに終わった筈の青い地球まで、ハーレイと二人。
前の自分が夢に見たよりも、ずっと楽園に相応しい星に。
人間は誰もがミュウになった世界、平和な時が流れる世界。
気が遠くなるような時を飛び越え、本物の楽園に辿り着いた自分。
前の自分がこれを見たなら、エデンの園だと思うのに違いない星へ。
約束の場所より遥かに素敵な、命の輝きと優しさが満ちた青い水の星へ。
(前のぼく、失くしちゃったけど…)
楽園という名の白い鯨を、楽園があった船を自ら捨てたけれども、恋した人とも別れたけれど。
これだけがあれば、と持っていた温もりさえも失くして、恋人との絆も失ったけれど。
(…泣きながら死んじゃったんだけど…)
今にして思えば、あれが旅立ちだったのだろう。
楽園があった白い船から、本物の楽園へ引越すための。
ハーレイと二人で地球に来るための、旅の始まりだったのだろう。
それを思うと、あの時の悲しみも愛おしいように思えてくる。
前の自分が失くした楽園、それよりも今が素敵だから。
本物の楽園へハーレイと二人で来られたのだから、あれは旅立ちだったのだろうと。
失くしてしまった楽園の代わりに、今は本物があるのだから。
ハーレイと二人、夢に見た地球で幸せに生きてゆけるのだから…。
楽園があった船・了
※前のブルーにとっては、楽園だったシャングリラ。ハーレイと二人でいられるだけで。
今は本物の楽園に来た上、ハーレイと二人。ブルー君、幸せ一杯ですよねv