(ああ、お前だな…)
此処にいるんだな、とハーレイが取り出した写真集。
夜の書斎で、机の引き出しの中から、そっと。
白いシャングリラの写真集とは違って、前のブルーの写真集。
シャングリラの写真集を買いに出掛けた時に見付けた、愛おしいけれど悲しい一冊。
タイトルは『追憶』、その副題が「ソルジャー・ブルー」。
名前の通りに、前のブルーの写真を集めて編まれた本。
前の自分が愛し続けた、気高く美しかった人。
深い眠りの中にいた姿さえも、天の御使いを思わせるほどに。
長い長い時が流れた今でも、ブルーの姿は人の心を魅了するから、何冊もある写真集。
けれど、ただの写真集とは違った『追憶』。
最終章にはメギドが在った。
メギドに向かって宇宙を駆けたソルジャー・ブルーの、最後の飛翔で始まる章。
彗星のように青いサイオンの尾を曳き、ただ真っ直ぐに。
忌まわしいメギドの装甲を破った後には、もうサイオンの光も見えない。
爆発するメギドの閃光で終わる最終章、漆黒の宇宙空間で。
悲しくて辛い本だけれども、滅多に開きはしないけれども。
表紙には前のブルーがいる。
正面を向いた、今も一番広く知られたブルーの写真。
強い瞳の奥、消えない悲しみ。前のブルーが決して見せなかった顔。
それを何処から探して来たのか、奇跡のように存在するのがこの肖像。
前のブルーを知る自分にとっても、「ブルーだ」と心から思える一枚。
たまに、こうして向き合いたくなる。
前のブルーと、前の自分が最後まで愛し続けた人と。
ブルーは帰って来たと言うのに、小さなブルーが同じ町に今もいるというのに。
この時間ならば、きっとベッドの中だろう。
ぐっすりと眠っていてくれて欲しい、悲しいメギドの夢などは見ずに。
前の自分が迎えた最期の記憶に苦しめられずに、幸せな夢を見ていて欲しい。
そう思うくせに、そうあってくれと心から願っているくせに。
忘れられない、愛おしい人。
前の自分が失くしてしまった、ソルジャー・ブルーと呼ばれたブルー。
今は見えない面影を求めて、それに会いたくて写真と向き合う。
十四歳にしかならないブルーは、この姿とはやはり違うから。
同じブルーでも、少年のブルー。
アルタミラの地獄で初めて出会った頃の姿で、まだ育ってはいないから。
(あいつも俺のブルーなんだが…)
お前も俺のブルーなんだ、と写真集の表紙を指先で撫でる。
前のブルーの頬を優しく撫でていたように。
触れて口付けていた頃のように。
写真の中にしか、もういないブルー。
その面影を愛おしみながら、前のブルーに語りたくなる。
お前は幸せになれただろうかと、今は幸せに生きているかと。
わざわざ写真に問い掛けなくても、ブルーは幸せな今を生きている。
何ブロックも離れた所にある家、其処で両親に愛されて。
この時間はきっとベッドでぐっすり、今のブルーのためのベッドで。
前のブルーが暮らした青の間、それよりはずっと狭いけれども、ブルーの部屋。
小さなブルーが好きに使える部屋のベッドで、眠りに落ちているだろう。
ちゃんと分かっているのだけれども、ついついブルーに尋ねてしまう。
前のブルーの写真を見詰めて、「幸せなのか」と。
今は幸せに暮らしているかと、今のお前は幸せだろうかと。
そうなってしまう理由は、きっと…。
(…こいつのせいだな)
今も、開けば涙が溢れる『追憶』の一番最後の章。
前の自分が知らない所で、暗い宇宙で、たった一人で逝ってしまったブルー。
どうして止めなかったのか。
追い掛けることをしなかったのか。
そうなることが分かっていたのに、ブルーの覚悟を前の自分は知っていたのに。
シャングリラの仲間の誰が知らなくても、ジョミーでさえ気付いていなくても。
ブルーが寄越した思念の言葉で、これが最後だと分かっていたのに。
(…それなのに、俺が止めなかったから…)
引き止めることも、追い掛けてゆくこともしなかったから。
ブルーは一人で逝くしかなかった、前の自分の温もりさえも失くしてしまって。
独りぼっちになってしまったと泣きじゃくりながら、暗い宇宙で。
死よりも辛い絶望の中で逝ってしまったブルーの悲しみ。
それを知ったのが今の自分で、小さなブルーが話してくれた。
どれほどに辛く悲しかったか、温もりを失くした右手がどんなに冷たかったか。
(…前の俺は、そんなことさえ知らずに…)
自分だけの悲しみに囚われていたような気さえしてくる、ブルーのことは思い遣らずに。
そうではなかったと分かっていてさえ、自分を責めたい気持ちになる。
どうしてブルーを止めなかったかと、追い掛けさえもしなかったのかと。
失くしてしまって泣くくらいならば、あの時、止めるか、追い掛けてゆくか。
白いシャングリラも、キャプテンの務めも放り出してしまえば出来た筈だと、叶わないことを。
出来もしなかったことを考えてしまう、ブルーの最期を知った今では。
(…俺はお前を、失くしちまった…)
勇気が足りなかったせいでな、と零れた涙。
ほんの少しだけ、チラリと眺めた『追憶』の悲しい最終章。
それが運んで来た涙。
前のブルーを止め損なったと、追い掛けることさえ出来なかったと。
取り返しのつかない時の彼方の過ち、失くしてしまった愛おしい人。
誰よりも深く愛していたのに、ブルーのためなら命も要らなかったのに。
(…俺はそいつを捨て損なって…)
ブルーを追ってゆきさえしたなら、共にメギドで捨てられた命。
それを抱えて生きたばかりに、何度涙を流しただろう。
もう戻らない人を想って、帰っては来ないブルーを想って。
早くブルーの許に行きたいと、シャングリラが地球に辿り着いたら、その時が来ると。
それまで会えないことが辛いと、もう一度ブルーに会いたいのに、と。
前の自分が流した涙。
何度も何度も、前のブルーを想って流していた涙。
それはなんとも自分勝手で、自分の悲しみばかりに満ちて。
前のブルーを最後に襲った深い絶望、それを思いはしなかった。
死よりも辛くて深い絶望、その中で逝ったブルーのことは。
(…失くしちまったことばっかりで…)
ブルーも同じに失くしたのだとは、夢にも思っていなかった自分。
右手が凍えて冷たいと泣いて、温もりを失くしてしまったと泣いて、終わったブルーの前の生。
暗い宇宙で、たった一人で。
独りぼっちで、泣きじゃくりながらブルーは逝った。
そんなこととも知りはしなくて、自分自身の悲しみの中に沈み込んでいた前の自分。
愛おしい人を失くしてしまって、一人きりになってしまったと。
このシャングリラに独り残されたと、ブルーが何処にもいない船に、と。
魂はとうに死んでしまって、屍のように生きていた自分。
ブルーの許へと旅立つ日だけを思い続けて、失くしてしまった悲しみに何度も涙しながら。
まさかブルーも失くしていたとは、本当に思いもしなかったから。
泣きじゃくりながら逝ったことなと、知る術さえも無かったから。
(…そうして、お前を放りっ放しで…)
自分の悲しみだけを訴えていたような気がする、前のブルーに。
早く地球まで辿り着きたいと、お前の所に行かせてくれと。
ブルーはもっと辛かったのに。
前の自分との絆なのだとブルーが信じた、右手に持っていた前の自分の腕の温もり。
それを失くして失った絆、独りぼっちになってしまったブルー。
そうとも知らずに、自分の悲しみだけをぶつけた、前のブルーに。
逝ってしまった愛おしい人に、涙の数だけぶつけた悲しみ。
前の自分が何度も流した幾つもの涙、それはブルーを救わなかったことだろう。
自分勝手な悲しみばかりが満ちた涙をぶつけられても、前のブルーは…。
(…救われるばかりか、俺を置いてっちまったことを…)
きっと悲しみ、辛く思っていただろう。
そうするしか道が無かったとはいえ、それを選んだ自分を責めて。
自分のせいで悲しませていると、またハーレイを泣かせてしまったと。
(…すまない、俺のことばっかりで…)
お前のことなど考えもせずに、と零れる涙。
自分勝手ですまなかったと、俺はようやっと気付いたから、と。
たまに、こうして零れ落ちる涙。
前のブルーと向き合った時に、今の自分だから流せる涙。
こうして流す涙は決して、前の自分のように無駄にはすまい。
自分一人の悲しみに囚われ、ブルーを忘れることだけはすまい。
今のブルーは幸せに暮らしているのだけれども、悲しみの記憶を残した右手。
それがすっかり癒える時まで、ブルーの心に寄り添おう。
メギドで一人で泣きじゃくった記憶、前のブルーが流した涙が消えるまで。
幸せの涙に取って代わられて、ブルーがそれを忘れる日まで…。
お前を失くして・了
※前のハーレイには知りようもなかった、ブルーの最期と、凍えてしまった右手のこと。
知っている今だから、流せる涙もあるのです。今のブルーの幸せを願って…。