(ハーレイが歌っていたなんて…)
ちょっとビックリ、とパチパチ瞬きしたブルー。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドの端っこにチョコンと座って。
幼い頃からお気に入りだった歌、ゆりかごの歌。
今の自分はそれで眠った、母や父に何度も歌って貰って。
大好きだった子守唄。
子守唄は幾つもあるのだけれども、一番好きだった歌が、ゆりかごの歌。
何気なくそれを思い出した日に、気付いた違う声の歌い手。
母とも父とも違う誰かが、自分に歌ってくれていた。
優しい優しい、ゆりかごの歌を。
眠りに導く子守唄を。
(お祖母ちゃんたちかと思ったのに…)
祖母か、親戚の誰かが来た時、歌ってくれた子守唄。
きっとそうだと考えた。
自分の気に入りの子守唄だし、その人も歌ってくれたのだろうと。
けれど、違うと答えた両親。
祖母たちが来たら、はしゃいでしまって疲れて眠って、子守唄など要らなかったと。
幼稚園で昼寝の時間に聞いたのだろう、と教えてくれた父と母。
確かに聞いてはいたのだけれど…。
昼寝の時間に歌われた歌は、ゆりかごの歌の他にも色々。
こんなに優しく心の底まで届くほどには、繰り返し歌われていなかったろう。
だから違うと否定したのが幼稚園。
ならば何処で、と考えた末に辿り着いたのは前の生。
前の自分が聞いた歌だと、ゆりかごの歌で眠ったのだと。
ソルジャー・ブルーだった前の自分が、遠く遥かな時の彼方で。
(…前のママかと思っちゃったよ…)
前の自分を育てた養父母。
成人検査で家を出る日まで、優しく包んでくれた人たち。
ミュウと判断されてしまって、すっかり失くしてしまった記憶。
成人検査と人体実験、それが記憶を奪ってしまった。
欠片も残さず、何もかもを。
養父母の顔も、育てられた家も、どんな風に過ごしていたのかも。
前の自分は思い出せなくて、そのままで死んでしまったけれど。
メギドを沈めて散ったけれども、今の自分は養父母の顔を知っている。
今のハーレイから、その情報を貰ったから。
アルテメシアで手に入れたという、前の自分のデータを教えて貰ったから。
優しそうな顔をした、前の自分を育てた母。
その母が歌った歌かと思った、ゆりかごの歌。
母が歌ってくれた歌なら、この懐かしさも分かるから。
今の自分の心までも包んでしまう優しさ、その温かさも分かるから。
(…ホントに前のママなんだ、って…)
そう考えたのだった、今の自分は。
前の自分が思い出せずに終わってしまった、母の記憶が戻って来たと。
ゆりかごの歌が母の思い出を運んでくれたと、自分に届けてくれたのだと。
遠く遥かな時の彼方で、母が歌った子守唄。
優しい響きの、ゆりかごの歌を。
けれども、それを歌う声。
前の自分が耳にした声、ゆりかごの歌の優しい歌い手。
あまりにも歌う声が遠くて、母の声だと今の自分には分からない。
養父母の顔は知っているけれど、声までは知らなかったから。
前のハーレイが手に入れたデータ、それに声までは無かったから。
(…ママの声、思い出せなくて…)
顔だけでは声まで分かりはしないし、歌い手が母だとピンと来なくて。
それが悲しくて、辛かった。
せっかく歌声を思い出したのに、ゆりかごの歌だと気付いたというのに、戻らない記憶。
あれは母だと、母の声だと幸せに満ちてはくれない心。
記憶の欠片が足りないばかりに、大切なピースを一つ落としてしまったばかりに。
思い出せない、母の声。
前の自分を寝かしつけながら、ゆりかごの歌を歌っていた母。
いくら記憶を追い掛けてみても、遠い記憶を探ってみても。
戻っては来ない、前の自分の母の歌声。
ゆりかごの歌の優しい歌い手、母が持っていた声の手掛かり。
見付けられない失くした思い出、それが心に残っていたから。
抜けて行ってはくれなかったから、ハーレイの前でそれと気付かず歌ってしまった。
庭で一番大きな木の下、白いテーブルと椅子で二人で過ごしていた時に。
唇から思わず零れてしまった、ゆりかごの歌が。
(…あれでハーレイがギョッとしたから…)
今の自分の声の高さに驚いたのかと思ったけれど。
歌う時には普段よりも声が高くなるから、ボーイ・ソプラノなのだから。
けれども、実は違った真相。
思わぬ所で解けた謎。
ゆりかごの歌を歌っていたのは、前の自分の母ではなかった。
前の自分に聞かせていた人は、優しい声の歌い手は。
(ハーレイだなんて思わないよね…)
歌い手としても意外すぎたし、ゆりかごの歌の方にしても同じ。
白いシャングリラでは、一度も聞かなかったから。
ゆりかごの歌を耳にしたことが無かったから。
あの子守唄の存在自体を、前の自分は知らなかった。
シャングリラに来た子供たちには、別の子守唄があったから。
SD体制の時代に生まれた幾つもの歌、子供たちのための子守唄。
前の自分が長い眠りに就くよりも前は、それがシャングリラの子守唄だった。
アルテメシアから救い出された子供たちには、馴染みのある歌が良かったから。
子供たちが養父母の家で聞いた歌、その歌が必要だったから。
シャングリラにも同じ歌があるのだと、子供たちを安心させてやるために。
養父母の家にいた頃と同じに、幸せな眠りを得られるように。
幾つも、幾つも、前の自分が耳にしていた子守唄。
養育部門の仲間たちが歌った、優しい調べの歌の数々。
けれど無かった、ゆりかごの歌。
一度も聞かずに深い眠りに就いてしまった、ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。
十五年間も眠り続けて、目覚めた時には迫っていた危機。
赤いナスカと白いシャングリラに迫りつつあった破滅の中では、誰も歌いはしないから。
子守唄など聞こえないから、前の自分は最後まで気付きはしなかった。
新しく生まれた子守唄。
データベースから探し出された、遠い昔の子守唄が幾つも出来ていたことに。
トォニィが一番好きだったという、ゆりかごの歌。
その歌も、他の優しい子守唄も。
ゆりかごの歌があったことなど、知らずにメギドへ飛んで行った自分。
それでは分かるわけがない。
前の自分に歌い聞かせた人が誰かも、それを聞いたのがいつだったかも。
(…シャングリラの時代には、もう無くなってた歌だって…)
そう思い込んだのが今の自分で、だから育ての母の歌だと考えた。
子供時代を過ごした頃には、ゆりかごの歌があったのだろうと。
前の自分は、その歌を聞いて眠っていたのに違いないと。
けれど、全く違った真実。
白いシャングリラに、新しく生まれた子守唄。
本物の母の胎内から生まれたトォニィのために、と探し出された幾つもの歌。
人間が地球しか知らなかった頃に、青い地球の上で歌われていた子守唄。
自然出産の子に相応しいから、と歌われるようになった歌。
(…トォニィが大好きだった歌…)
トォニィの一番のお気に入りだったのが、ゆりかごの歌。
カリナもユウイも、他の仲間も、誰もが歌って聞かせていた。
優しい調べの、優しい響きの、ゆりかごの歌を。
ハーレイまでが覚えるくらいに、歌えるようになったくらいに、何度も、何度も。
そしてハーレイは前の自分に歌って聞かせた。
昏々と眠り続ける自分に、目覚めないままの前の自分に。
上掛けの下の手をそっと握って、ゆりかごの歌を。
前の自分の深い眠りを、子守唄で守ろうとするかのように。
自分は一度も、それに応えはしなかったのに。
思念の微かな揺れさえ返しはしなかったろうに、ハーレイは歌い続けてくれた。
ゆりかごの歌を、前の自分が魂の底で繰り返し聞いて、覚えたほどに。
今の自分に生まれ変わった後も、気に入りの歌になるほどに。
(…前のママの歌でも、嬉しいんだけど…)
思い出せたのなら嬉しいけれども、ハーレイの歌だと分かって喜ぶ自分がいる。
ハーレイだったと知った時には驚いたけれど、それ以上の嬉しさに満たされた心。
自分は忘れていなかったのだと、ハーレイの歌を覚えていたと。
深い眠りの底にいてさえ、ハーレイの歌は聞こえていたと。
(…きっと、ハーレイだったから…)
ハーレイが歌った子守唄だから、自分は聞いていたのだろう。
眠りの底まで届いたのだろう、愛おしい人の声だったから。
夢を見ていたか、見ていなかったか、それさえも覚えていなかった眠り。
それでもハーレイの声は聞こえた、子守唄を歌っていた声が。
ゆりかごの歌に包まれて眠って、そして覚えた。
愛おしい人がこれを歌ったと、誰よりも愛した人の歌だと。
(生まれ変わっても、あの歌が好き…)
ハーレイが歌っていた歌だから。
前の自分が愛し続けた人が歌ってくれたから。
(ハーレイ、歌ってくれたけど…)
照れながら歌ってくれたのだけれど、まだまだ足りない、ゆりかごの歌。
前の自分が聞いた数には及ばないから、もっと歌って欲しいから。
いつかはきっと、あの歌を聴けることだろう。
ハーレイと二人で眠るベッドで、優しい調べの子守唄を。
強請らなくても、ハーレイはきっと、何度も歌ってくれるのだろう。
前のハーレイが歌に託した、自分への想い。
それが届いて、もう一度、出会えたのだから。
前の自分へのハーレイの想い、前の自分のハーレイへの想い。
それを繋いだ、ゆりかごの歌。
繋いでくれた歌に御礼を言いたい、ありがとう、と。
またハーレイと巡り会えたと、また子守唄を優しく歌って貰えると。
遠い昔の子守唄。
今の時代も歌い継がれる、優しい優しい、ゆりかごの歌に…。
ゆりかごの歌に・了
※ゆりかごの歌を歌っていたのは、育ての母だと勘違いしたブルー君。子守唄だっただけに。
今のハーレイが何度も歌ってくれる日までは、まだ何年か待ちぼうけですねv