(ハーレイとキス…)
いつになったら出来るんだろう、と小さなブルーがついた溜息。
訪ねて来てくれていたハーレイが軽く手を振り、「またな」と帰って行った後。
丸一日を一緒に過ごした、楽しい土曜日が終わった夜に。
明日もハーレイは来てくれるけれど、そういう予定なのだけど。
会えるというだけ、会って話が出来るだけ。
(…たったそれだけ…)
恋人なのに、とベッドの端にチョコンと座って溜息をつく。
パジャマ姿で、肩を落として。
今日もキスして貰えなかった、と。
ハーレイはいつも、「キスは駄目だ」と叱るから。
額をコツンと小突かれるから、自分でも工夫したつもり。
前の自分と同じ仕草に同じ囁き、それを忠実に真似ようと。
鏡に向かって練習までした、「こんな感じ」と。
それは頑張った、表情作り。
前の自分と同じ表情をして見せたならば、きっとハーレイが釣れるだろうと。
(だって、ハーレイの家に遊びに行けなくなっちゃった理由…)
子供らしくない顔をしていたせいだと聞いている。
前の自分と重なる表情、それを自分が見せたのだろう。
ならばハーレイの心を揺さぶる弱点はそれで、その表情をすれば勝ち。
自分の部屋でも、唇へのキスをして貰えると踏んで、今日は頑張ってみたというのに…。
どうやら自分には無理だったらしい、前の自分と同じ表情。
「キスして」と強請る時の表情、上手く行かなかったキスのおねだり。
ハーレイは普段と全く同じに「馬鹿」と叱っただけだった。
額をコツンとやられてしまった、キスの代わりに。
甘く重なる唇の代わりに、額に拳。
ゴツンと本気で一撃されたわけではないから、それも嫌ではないけれど。
ハーレイの大きな褐色の手が「コツン」とやるのも、まるで嫌いではないのだけれど。
(…ハーレイの手だもの…)
嫌いになれるわけがない。
コツンではなくてゴツンであっても、「痛い!」と声を上げるくらいの一撃でも。
あの大きな手が好きでたまらないし、前の自分も好きだった。
頬を撫でられて、それからキス。
甘く優しいキスの前には、何度も撫でて貰った頬。
武骨だけれども、温かい手で。
白いシャングリラの舵を握る手で、誰の手よりも大きな手で。
だから、ハーレイの手は嫌いではない。
額をコツンと小突かれようが、コツンがキスの代わりだろうが。
けれど、あの手が寄越す「コツン」と、貰い損ねたキスの違いは大きくて。
それが悔しい、今日も失敗したことが。
キスを貰えずに終わったことが。
どうして上手くいかないのだろう、と今日までについた溜息の数。
両手の指ではとても足りない、足の指でもまだ足りない。
足りないどころか、きっと自分が百人いたって指の数では数えられないだろう数の溜息。
そのくらい何度も零した溜息、「ハーレイがキスをしてくれない」と。
キスが貰えない理由は分かっているけれど。
前の自分と同じ背丈に育たない限り、キスは駄目だと何度も何度も言われているから。
(でも、それまでが…)
長いんだけど、と自分の小さな手を眺めてみた。
前の自分よりも小さくなった手、十四歳にしかならない子供の手。
パジャマのズボンに包まれた足も、細っこい子供の足でしかなくて。
前と同じに育つまでの道は長そうな上に、更なるハードル。
(ちっとも伸びてくれないし…)
ハーレイと再会した日から一ミリも伸びてくれない背丈。
百五十センチでピタリと止まって、ほんの僅かも伸びないままで。
前の自分と同じ背丈になる日は近付いて来ない、少しも距離が縮まらない。
百七十センチだった前の自分との背丈の差もだし、ハーレイとの間に横たわる距離も。
唇と唇を重ねられる日、そこまでの距離が縮まらない。
ほんの僅かも、たった一ミリも縮まらないまま、今日もコツンとやられた額。
「キスは駄目だ」と叱ったハーレイ、キスをくれる筈の唇で。
あの唇からキスの代わりに、「キスは駄目だ」と叱る声。
何回となく言われたけれども、叱られたけども、諦められない唇へのキス。
ハーレイとキスが出来ないままだと、なんとも悲しすぎるから。
前の自分が幾つも貰った、ハーレイのキス。
唇へのキスは何種類もあった、「おやすみなさい」と触れるキスやら、「おはよう」のキス。
触れるだけのキスでさえ何種類もあって、深いキスだって何種類も。
甘く優しいキスのこともあったし、激しいキスも。
唇どころか身体中に幾つも幾つも甘やかなキスを貰っていたのに、今は額と頬にだけ。
(…唇にキスが欲しいのに…)
触れるだけでいいから、唇にキス。
恋人同士のキスが欲しいし、何度も強請っているというのに。
いつも答えは「駄目だ」の一言、額をコツンとやられたりもする。
(…すっかり遠くなっちゃった…)
ハーレイの唇と、自分の唇の間の距離。
物理的には近付けるけれど、「キスして」と顔を近づけることは出来るのだけれど。
たったそれだけ、本当の距離は縮まらない。
ハーレイが「キスをしよう」と思わない限りは、一ミリだって。
どんなに顔を近付けたとしても、ハーレイの首にスルリと両腕を回しても。
「キスして」と引き寄せようと笑んでも、本当の距離は縮まない。
ハーレイの心がキスをしたいと思わないから、一ミリさえも縮みはしない。
そして額をコツンとやられる、褐色の手で。
前の自分も大好きだった手、その大きな手で「馬鹿」とコツンと。
これが悲しい現実なるもの、いくらハーレイと恋人同士だと主張してみてもキスは無理。
唇へのキスが貰えないのでは、前の自分とずいぶん違う。
前の自分が「キスして」と甘く囁いた時は、いつでもキスを貰えたから。
周りに人がいない時なら、どんな場所でもキスを貰えた。
白いシャングリラの展望室でも、普段だったら人がいそうな通路でさえも。
なのに今では、ハーレイと二人きりの部屋でも貰えないキス。
母が「ごゆっくりどうぞ」と扉を閉めたら、暫くは二人きりなのに。
ノックもしないで開けはしないし、キスは充分出来るのに。
(…触れるだけのキスなら、ホントに平気…)
優しく触れ合うだけのキスなら、さほど時間はかからないから。
母が扉をノックした途端にパッと離れたら、絶対にバレはしないから。
けれど、ハーレイが「駄目だ」と叱る理由は、そういう事態を心配してのことではなくて。
ハーレイが言うには、幼い自分。
十四歳にしかならない子供の自分にキスは早いと、駄目だと許して貰えないキス。
前の自分と同じ背丈に育つまでは、と禁じられたキス。
唇へのキスが欲しいのに。
恋人同士のキスが欲しいのに。
どんなに強請って頑張ってみても、縮んでくれないハーレイとの距離。
キスを交わしたい唇との距離、それが一向に縮まらない。
背丈が伸びてくれないから。
前の自分と同じ姿に育たない内は、ハーレイはキスをくれないのだから。
何度溜息を零してみたって、伸びそうにないのが自分の背丈。
縮んでくれないハーレイとの距離、ハーレイはそこにいるというのに。
家を訪ねて来てくれた時は、膝の上に座って甘えられるのに。
前の自分なら、そこまで距離が縮まった時は…。
(…ちゃんとキスして、それから、それから…)
キスのその先のことだって、と遠い記憶を思い返して、また溜息が一つ零れる。
こんなにも開いてしまった距離。
キスを貰って愛を交わす代わりに、額をコツンとやられておしまい。
愛は交わせず、キスも貰えず、恋人と言っても名前ばかりな気がするけれど。
本物の恋人同士にはなれず、片想いのような気までしてくる自分だけれど。
(…でも、ハーレイの恋人だよね…?)
お前だけだ、とハーレイは言ってくれるから。
俺にはずっとお前だけだと、「俺のブルーだ」と。
そうは言っても、キスをくれないのがハーレイ。
いくら強請っても、今日のように首に両腕を回して「キスして」と顔を近づけても。
ハーレイとの距離は開いたままで、キスが出来る距離に来てくれない。
物理的には近付いていても、心の距離が。
今の自分とキスをしようという気持ちには決してなってくれない、今のハーレイ。
その距離を縮める方法は一つ、自分が大きく育つことだけ。
前の自分と同じ背丈に、同じ姿になるように。
(…ちゃんと育ったら、キスは貰えるよね…?)
きっと貰えると思うけれども、伸びてくれない自分の背丈。
ハーレイとの距離は縮まらないまま、唇は近付いてこないまま。
けれども、いつかは育つ筈だし、その日を待つしかないのだろう。
幾つ溜息を零したとしても、距離を無理やり縮めることなど絶対に出来はしないから。
「馬鹿」と額をコツンとやられて、叱られておしまいなのだから。
悲しいけれども、きっといつかは、この悲しさも笑い話になるのだろう。
今は縮まらない距離が縮んで、間がゼロになったなら。
「キスして」とわざわざ強請らなくても、ハーレイのキスが降ってくる。
前の自分がそうだったように、顎を取られて、上向かされて。
甘く優しいハーレイのキス。
唇と唇の間の距離がゼロになったら、キスを交わせる時が来たなら…。
縮まらない距離・了
※ハーレイ先生に「キスは駄目だ」と、コツンとやられるブルー君。今日も失敗です。
唇と唇の間の距離を縮めるには、育つこと。頑張ってミルクを飲むんでしょうねv