(充分、分かっちゃいるんだが…)
俺自身が決めたことなんだが、とハーレイの口から零れた溜息。
小さなブルーの家へ出掛けた土曜日の夜、書斎でフウと。
今日も強請られた、唇へのキス。
「キスして」と強請った小さなブルー。
前のブルーがそうしたように、首にスルリと腕を回して。
桜色の唇で、甘く囁いて。
けれども、その腕の感触が違う。
前の自分の記憶にある腕、前のブルーが回した腕とは。
細く華奢ではあったけれども、大人のものだったブルーの腕。
柔らかい子供の腕とはまるで違った、もっとしっかりとした感触。
頼りなくはなくて、今ほどに軽い腕でもなくて。
力だってもっとあったように思う、「キスして」と自分を引き寄せた腕。
腕も違えば、声も違った。
甘く囁かれた言葉は全く同じだけれども、違った甘さ。それに息遣い。
前のブルーも若かったけれど、今のブルーとは違って大人。
囁く声が子供のものとは違った、もっと低くて落ち着いた声音。
息も子供の弾んだそれとは、やはり違ってしっとりした息。
(…そうだ、あいつは…)
前のあいつはそうだったんだ、と飛び去った前のブルーを想う。
遥かな遠い時の彼方で、前の自分が失くしたブルー。
たった一人でメギドへと飛んで行ってしまった、暗い宇宙に散った恋人。
それから長い時が流れて、生まれ変わって来た自分。
青い地球の上に、ブルーと二人で。
失くしたブルーにまた巡り会えた、奇跡のように。
ところが、姿が違ったブルー。
銀色の髪も赤い瞳も、顔立ちさえも同じだけれども、少年になってしまったブルー。
遠い昔にアルタミラで出会った頃の姿に、失くしたブルーよりも幼い姿に。
十四歳にしかならないブルー。
今の自分の教え子の一人、両親と暮らす小さなブルー。
お互い、直ぐに分かったけれど。
前の生で愛した人に会えたと分かったけれども、前と同じにはならない関係。
恋人同士には違いなくても、交わせない愛と唇へのキス。
ブルーはそれを望むけれども、自分が「駄目だ」と禁じたこと。
身体を重ねて愛を交わすことも、唇へのキスも。
(…何処から見たって、チビなんだしな?)
それに中身も幼いブルー。
小さなブルーは「前のぼくと同じ」と主張するけれど、それはブルーの勘違い。
まだ幼すぎて分かってはいない、今の自分が幼いことを。
前のブルーと同じではないと気付いてはいない、気付きもしない。
だからブルーはキスを強請るし、「本物の恋人同士」になりたいと願う。
前と同じに愛を交わして、「本物の恋人同士」になるのだと。
小さな身体で、幼い心で、耐えられる筈がないというのに。
泣き叫ぶことになるのだろうに、まるで分かっていないのがブルー。
とはいえ、愛を交わすことは諦めようと考えたのか、相応しい場所が無いと思ったか。
そちらは殆ど口にしなくなった、「早く本物の恋人同士になりたいのに」とは。
けれど諦めないのが唇へのキスで、どんなに「駄目だ」と叱っても…。
(何かのはずみに強請ってくるんだ)
キスして欲しいと、「ぼくにキスして」と。
今日もやられた、その攻撃。
軽くいなして、「馬鹿」と額を小突いたけれど。
膨れっ面になったブルーを、「キスは駄目だと言っただろうが」と叱ったけれど。
あの時の余裕は何処へ行ったか、さっき自分がついた溜息。
「俺自身が決めたことなんだが」と。
そう、自分自身が決めたこと。
小さなブルーにどう接すべきか、どう扱うかを考えた末に作ったルール。
今のブルーにキスをするなら、それは額か頬だけに。
ブルーの両親もするだろうキス、親愛の情を表すキス。
そういうキスしか与えないと決めた、ブルーは幼すぎるから。
恋人同士には違いなくても、前と同じにはいかないから。
「前のブルーと同じ背丈に育つまでは駄目だ」と禁じたキス。唇へのキス。
ブルーにもそう言い聞かせてある、この決まりは絶対なのだから、と。
自分自身が作ったルール。
小さなブルーが前とそっくり同じ姿に育つまでは、と禁じたキス。
けれども、たまに寂しくなる。
ブルーはちゃんといるのだから。
前の自分が失くしたブルーは、ちゃんと帰って来てくれたから。
(…いつかは大きく育つと分かっちゃいるんだが…)
それまで待とうと思うけれども、そういう覚悟でいるのだけれど。
ブルーの背丈は伸びてくれなくて、出会った時と同じまま。
一ミリさえも伸びはしなくて、今も百五十センチのまま。
前のブルーの背丈との差は、まるで縮んでくれなくて。
(…あいつも文句を言ってはいるが…)
俺だって、と零れて落ちてしまった溜息。
ブルーが育ってくれないことには、キスを交わせはしないのだから。
唇へのキスは許されないまま、出来ないままで過ごすしかない。
いくらブルーが「キスして」と首に両腕を回して来ても。
子供の腕で引き寄せられても、甘い声音で囁かれても。
(まったく、どうして…)
育たないのだろう、小さなブルーは。
前のブルーが失くしてしまった、子供時代の温かな記憶。
それは戻って来ないけれども、代わりに今の子供時代を長く過ごしてゆくのだろうか。
幼い姿で、両親の愛を一杯に注いで貰って。
きっとそうだと考えているし、それもいいことだとは思う。
「急がずに、ゆっくり大きくなれよ」とも言ってやってはいるけれど…。
縮んでくれない、ブルーの唇との間。
そこにいるブルーと交わせないキス、唇までの縮まない距離。
「キスして」と小さなブルーが顔を近づけても、本当の距離は縮まらない。
物理的な距離が縮むというだけ、キスを交わせる日はまだ来ない。
訪れてはこない、ブルーは小さいままだから。
再会した日と変わらないまま、少しも大きくならないから。
(…一ミリも縮まないと来たもんだ…)
あいつとのキスが出来る距離、と溜息が零れ落ちてくる。
前の自分が失くしたブルーが戻って来たのに、出来ないキス。
こんな日が来るとは夢にも思っていなかった。
ブルーはいるのにキスが出来ない、唇を重ねることが出来ない。
(…前の俺だったら、まるで悪夢で…)
とても耐えられはしないだろう。
前のブルーと白いシャングリラで共に暮らす中、こうしてキスが出来なくなったら。
ブルーはそこにいるというのに、キスを交わせなくなったなら。
「キスして」と両腕で引き寄せられても。
甘く囁きかけられても。
(…どんな拷問だ…)
耐えることなどきっと出来ない、間違いなくキスをしてしまう。
ブルーの囁きに応えてキスを。
唇を重ねて、甘く、それでいて激しいキスを。
それを思えば、今の自分は我慢強いと考えたけれど。
自分で決まりを作ったほどだし、大したものだと誇らしく思ってしまったけれど。
(…単にあいつがチビだからか?)
それで余裕があるだけなのか、と唇に浮かんだ苦い笑み。
現にこうして溜息を零している自分。
ブルーとの距離が縮まらないと。
唇との距離が縮まないから、キスが出来る日は遠そうだと。
(…なんだって、こうなっちまったんだか…)
ブルーがいるのに、失くしたブルーが戻って来たのに、出来ないキス。
愛も交わせず、キスは額と頬にだけ。
そういう日々がまだまだ続いてゆくのだろう。
小さなブルーは少しも育ってくれないのだから。
再会した日と同じ背丈で、一ミリも伸びてはいないのだから。
前のブルーとそっくり同じに育つまでは、と自分が禁じた唇へのキス。
ブルーも不満たらたらだけれど、たまに自分も溜息をつく。
前のブルーを思い出しては、今の小さなブルーとの違いに気付かされて。
白い鯨で共に暮らした、恋人とのキスを思い返して。
いつでもキスを交わせたブルー。
周りに人がいなければ。
誰も見ていない所ならば出来た、いつでも唇へのキスが。
互いの唇を深く重ねて、甘い恋人同士のキスが。
(…すっかり遠くなっちまった…)
愛したブルーの唇との距離。
今も変わらず、ブルーを愛しているけれど。
小さなブルーも自分を慕ってくれるけれども、それは子供の慕い方。
少しおませな子供の恋人、とてもキスなど出来はしなくて。
キスをするなら頬と額だけ、子供向けのキスが精一杯。
だから、こうして溜息をつく。
自分が決めたことだけれども、遠くなってしまった唇への距離。
それが少しも縮みそうにないと、まだまだキスを交わせはしないと。
縮まないブルーの唇との距離。
いつかブルーが育つ時まで、前のブルーと同じ姿で「キスして」と甘く囁く日まで…。
縮まない距離・了
※ハーレイ先生が決めた、ブルー君とキスが出来るようになる日についてのルール。
自分で決めても、溜息が出る日があるようです。キスが出来ないのは辛いですよねv