(…今日も心が零れてたってな)
つくづく不器用になったもんだ、とハーレイの唇から零れた笑み。
ブルーの家へと出掛けた日の夜、コーヒー片手に入った書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりのコーヒー、それを飲みながら思い返す恋人。
今日も会って来た小さな恋人、前の生から愛したブルー。
青い地球の上に生まれ変わって、名前も同じにブルーだけれど。
透けるような肌に銀色の髪と赤い瞳で、アルビノなのも同じだけれど。
小さくなってしまった恋人、十四歳にしかならないブルー。
前の生でメギドへと飛んだブルーは、逝ってしまった愛おしい人は少年の姿で帰って来た。
アルタミラで出会った頃の姿で、あの頃とそっくり同じ顔立ちで。
(しかし中身が違うんだ…)
同じ中身でもサイオンの方が、と可笑しくなる。
前のブルーはソルジャーだったし、誰よりも強いサイオンを誇っていたのに。
ジョミーが来るまでは一人しかいなかったタイプ・ブルーで、誰も敵いはしなかったのに。
(…敵うどころか、レベルが違いすぎたってもんだ)
誰も足元にも及ばなかったサイオン能力、全てにおいて。
防御力ではタイプ・ブルーに匹敵すると言われた前の自分の力も、本当にそこまでだったのか。
比べてはいないし、勝負してもいない。
だから分からないし、きっと敵わなかったと思う。
それが今では…。
(この俺に勝てやしないんだ)
あいつときたら、と小さなブルーを思い浮かべて深くなる笑み。
今日も心が零れていたな、と。
人間が皆、ミュウになっているのが今の世界で。
誰でも持っているのがサイオン、マナーとして心は読まないもの。
そうしなくとも、普通は遮蔽が出来るもの。
息をするようにごくごく自然に、誰もに備わっている筈の力。
(その辺を歩いていたってだな…)
誰かの心が零れてはいない、コロコロと転がって来たりはしない。
ベビーカーに乗っているような赤ん坊でも、母親と手を繋いだ幼稚園児でも。
(泣き喚いていれば話は別だが…)
ショーウインドウの前でオモチャが欲しいと踏ん張っているとか、菓子を欲しがるとか。
感情が爆発している時なら、心が零れていることもある。
その子が欲しいものが何なのか、何が目当てで懸命に駄々をこねているのか。
もっとも、そういう時になったら…。
(心と同時に言葉の方でも叫んでいるしな)
あれを買って、と誰の耳にも聞こえる声で。
買ってくれるまで帰らないんだから、と指差していたり、見詰めていたり。
零れた心を拾わなくても誰にでも分かる、その子のお目当て。
微笑ましくなる子供の我儘、泣き喚いてのおねだり攻撃。
心がポロリと零れ落ちるほどに、遮蔽すら出来なくなっているほどに。
今はそういう時代なのだし、よほどでなければ心の中身は零れていない。
通りすがりに拾えはしないし、教室にいても拾えない。
自分が授業をしている最中に、けしからぬことを企む生徒がいようとも。
「先生は絶対、気付かないから」と机の下で別の本を読むとか、そういったこと。
彼らの心は零れてこなくて、自分の目で見抜いてやるしかない。
あそこの生徒はどうも怪しいと、顔付きからして授業を聞いてはいないようだ、と。
そうして見付けて近付いてゆけば、生徒の方では気付いていなくて本に夢中で。
もしも心が零れていたなら、ワクワクと本の世界の住人になって…。
(冒険の旅をしていやがったりするんだろうな)
きっと愉快な心の欠片がキラキラと零れているのだろうけれど、それは落ちていない。
だから机をトンと叩いてやる、「面白いか?」と。
「楽しい旅をしているようだが、今は伝説の勇者か、うん?」と。
飛び上がらんばかりに驚く生徒は、それは見もので。
その瞬間に「しまった」と零れ落ちる心、ギクリと飛び跳ねた心臓の音。
けれども、その先は落ちてはこない。
「没収だな」と本を取り上げられても、顔に「そんな…」と書いてあるだけ。
どうすべきかと悩む心は零れてこなくて、だから余計に面白い。
いつ謝りにやって来るのか、それすらも読めはしないから。
要は心が落ちていない時代、幼い子供も学校の生徒も心を滅多に零さない時代。
なのに小さなブルーときたら…。
(零れ放題だと言うべきだろうな)
何を考えているのか手に取るように分かる、ブルーの心が弾んでいれば。
ワクワクと期待に溢れていたなら、もう本当に零れ放題の心。
煌めくようにコロコロと零れ落ちては、自分が拾うことになる。
またしてもキスを狙っているなと、まったく懲りない困ったヤツだと。
(キスは駄目だと言ってあるのに…)
あの手この手で強請るのがブルー、唇へのキスを。
こうすればキスが貰えるだろうかと計画を練っているのがブルー。
上手くいくだろうと思った時にはポロリと零れるブルーの心。
そして自分が拾い上げてしまう、「またか」と心で苦笑しながら。
(…キス以外でも、だ…)
ふとしたはずみに零れているのがブルーの心で、コロンと零れて落っこちている。
ブルーが言うには、両親には拾えないらしいのだけれど。
どうやら自分が敏いらしいけれど、それにしたって…。
(…前のあいつだと、いくら俺でも…)
そうそう読めはしなかったんだ、とコーヒーのカップを傾ける。
あいつの本当の心の中は、と。
前のブルーが完璧に遮蔽していた心。
強引に読みはしなかった。
ブルーはそれを望まないから、そうしようとしても恐らく読めはしないから。
大切なことはブルーが言葉にするまで待っていた。
ブルーがそれをしないのだったら、それは「誰にも言いたくない」こと。
知られたくないと思っているだろうこと、それを読み取ってはならないと。
たとえブルーが腕の中で深く眠っていても。
「今なら読める」と思った時でも、ただの一度も。
ブルーの方でも、眠っている時も心が零れはしなかった。
遮蔽された心は常に閉ざされ、眠りでさえも崩せなかった壁。
(…そのせいで、俺は…)
ブルーの言葉を聞き損なった。
きっとブルーは言うつもりすらも無かった言葉だろうけれど。
固く封じて、自分がそれを思ったことすら…。
(…きっと気付いちゃいなかったんだ…)
そうなのだと思う、ブルーはソルジャーだったから。
前の自分の恋人であるよりも前に、ソルジャー・ブルーだったのだから。
遠く遥かに過ぎ去った昔、流れ去った長い時の彼方で別れた時。
メギドへとブルーが飛び立つ直前、ブリッジで交わした短い会話。
あの時、ブルーは自分に「言葉」を送って寄越した、触れた腕から滑り込ませて。
他の誰にも届かない思念、それで「ジョミーを支えてやってくれ」と。
何も返せず、聞いているしかなかった言葉。
ブルーとの別れになるだろう言葉。
(頼んだよ、ハーレイ、っていうトコだけしか…)
他の者たちには聞こえなかったのだった、あの時、ブルーが残した言葉は。
まさかブルーが死に赴くとは、誰も気付きはしなかった。
何を頼んだのかが分からないのだし、ナスカの仲間やシャングリラのことだと思っただろう。
けれども自分にだけは分かった、これが別れの言葉なのだと。
ブルーは二度と戻らないのだと、シャングリラには帰って来ないのだと。
(それなのに…)
ただの一言も届かなかった、別れの言葉。
三百年以上も共に暮らして、恋をして、一緒だったのに。
あれほどに深く愛し合ったのに、「さようなら」とも「愛していた」とも。
ブルーは欠片も残さずに行った、メギドへと飛んで行ってしまった。
きっと最後に想っただろう、前の自分への言葉は何も。
恋人への立ち切り難い想いは、ほんの小さな欠片でさえも。
(…何も無かったわけがないんだ)
前の自分へのブルーの想い。
それを抱いてメギドへ飛んだからこそ、ブルーはメギドで独りぼっちになってしまった。
右手に持っていた前の自分の温もりを失くして、泣きじゃくりながら逝ってしまった。
そんな悲しい最期を迎えたのなら、あの時、ブルーの心には、きっと…。
(さよならも、俺への言葉も、きっと…)
本当は確かにあったのだろう。
ブルー自身も気付かなかったかもしれないけれども、抑え難い想いが、強い想いが。
なのにブルーは何も伝えず、読み取られもせずに行ってしまった。
固く遮蔽した心は漏れては来ないから。
欠片が零れて落ちはしないから。
それを思えば…。
(とことん不器用になったな、あいつ)
今では零れ放題の心。
小さなブルーの心は零れて、自分には拾い放題だから。
不器用なブルーも愛らしいと思う、それが嬉しくてたまらない。
ブルーが心を隠さなくても済む世界。
青く平和な地球の上に来たと、今のブルーは心が零れ放題でもかまわないのだから、と…。
不器用なあいつ・了
※サイオンの扱いが不器用なのがブルー君。ハーレイ先生、心の欠片を拾い放題らしいです。
けれど、前のブルーでは、それは有り得なかったこと。ハーレイ先生、幸せでしょうねv