(この様子だと…)
じきに晴れるな、とハーレイが庭から仰いだ空。
ブルーの家へと出掛ける日の朝、まだまだ早い時間だけれど。
朝食もこれからという早朝だけども、ふと気になって出てみた庭。
いつの間にやら雲が出ていて、青かった空を半分ほど覆ってしまっていたから。
もしや降るかと、それなら車で出掛けなければと眺めに出て来た。
天気予報では今日は快晴、雨など降らない筈の休日。
けれども天気は気まぐれなもので、予報が外れることだってある。
(調べれば分かることなんだが…)
何処かで雨が降っているのか、単に曇っているだけか。
そういうデータは常に見られる、調べさえすれば。
(しかしだ、俺の性分でだな…)
データよりかは勘なんだ、と雲を見上げて、観察して。
雲の様子や風向きなどから弾き出した答えが「もうすぐ晴れる」。
広がった雲は風に流され、遠くへと去ってゆくだろう。
多分、朝食を食べている内に。
今日は茹で卵な気分の朝食、そのための卵を鍋で茹でたりしている内に。
よし、と戻った家の中。
固ゆで卵やサラダを作って、分厚いトーストなんぞも焼いて。
熱いコーヒーを淹れた愛用のマグカップ、朝食のテーブルに着いた頃には…。
(やはり晴れたか)
燦々と射し込む朝の光と、開け放った窓からの爽やかな風と。
青い空には雲の欠片が幾つかポツンと、まるで迷子の羊のように。
空の半分を埋め尽くしていた雲の羊たち、その群れは去って行ったのに。
この辺りの空にあったらしい牧草、それを食べ尽くして次の場所へと旅立ったのに。
(…まあ、あの程度の羊ならな?)
食べ残しの草もあるだろうさ、とガブリと齧った茹で卵。
サラサラの塩をパラリと振って。
切って食べるより丸かじりがいいと、殻を綺麗に剥いた卵を。
朝食には卵を二つは食べたい、二つ茹でてある固ゆで卵。
空に残った雲の羊にも、丁度いい量の草が残っているのだろう。
群れを外れてしまった後にも、食べていられるくらいの草が。
(はてさて、迷子か、それとも自分で残ったか…)
美味しそうな草がまだあるから、と空にのんびり残ったろうか?
食いしん坊の雲の羊が何匹かいるというのだろうか。
食べ終わったら、慌てて群れを追ってゆく羊。
他の仲間に追い付かなければ、と空を走って、流れ去った雲の羊たちを追って。
(雲の羊なあ…)
フワフワだな、と茹で卵を頬張りながら見上げて、本当に羊だと思う。
羊雲という言葉の通りに、羊さながら。
よく言ったものだ、と思う羊雲。
秋に出るのが羊雲だけれど、他の季節でも雲は羊に見えるもの。
ふわふわと空に浮かんでいたら。羊よろしく、ほわほわとした姿だったら。
空には雲の羊たちが住む、それに牧草も。
さっきまで空の半分を覆っていた羊たちが群れる牧草が。
これは美味だと空に群がり、雨を降らせるつもりもないのに太陽を翳らせてしまうほど。
(よっぽど美味い草があったんだな、今朝は)
あちこちから羊がやって来るほど、空の半分を埋めるほど。
今朝の空には、この町の空には美味しい牧草。
食べ尽くされた後にも残っている草、それを食べようと雲の羊がいるほどに。
全部食べてから群れを追おうと、まだ何匹か。
(迷子と言うより、そっちなんだろう)
本当に美味い草なんだろうな、と齧ったトースト。
茹で卵を一個食べ終わったから、マーマレードをたっぷりと塗って。
隣町の家の庭の夏ミカン、それを使って母が作るもの。
このトーストや茹で卵のように美味しい朝食、空の羊も朝食だろう。
青い空に生えた牧草を食べて、まだこっちにもあると群れから外れて。
雲の羊は空をゆっくりと流れてゆく。
まるで本物の羊のように、牧草を食べにのんびりと歩いてゆくように。
トーストを齧って、茹で卵を頬張って、それを眺めていたけれど。
空に羊がいると思っていたけれど。
(…待てよ?)
今の自分には見慣れた雲。
空を仰げば羊だっているし、ついさっきまでは群れていたほど。
雨になるのかと庭に出て行って空を見たほど、雲の具合はどうなのかと。
けれども、それを当たり前のように思う自分は…。
(…今の俺だからだ…)
前の俺だと有り得なかった、と雲の羊をポカンと眺めた。
雲を眺めて羊のようだと考えた上に、空に牧草があるなどと。
雲の羊が食べる牧草、よほど美味なのが生えていたのだと青い空を見て思うなど。
(…雲はいつでも船の周りで…)
羊どころか、真っ白な壁。
その向こう側すらも見透かせない壁、肉眼ではとても。
シャングリラの周りは雲の海だった、どんな時でも。
前のブルーと暮らした頃には、二人で笑い合った頃には。
(…ナスカで地面に降りた時には…)
とうにブルーは眠っていたから、雲の羊を楽しむ余裕は自分には無かったのだろう。
前のブルーを失くした後には、もう雲などは…。
(…見えていても、見てはいなかったんだ…)
そうだったのだ、と前の自分を思い返した。
ブルーを失くして一人残されて、白いシャングリラに独りぼっちで。
仲間たちはいても心は孤独で、旅の終わりだけを思っていた。
地球に着いたら全て終わると、ブルーの許へと旅立てるのだと。
魂はとうに死んでしまって屍のようだった、あの頃の自分。
キャプテンとしての務めは果たしたけれども、時に笑いもしたけれど。
(あくまで付き合いだったんだ…)
生きてゆくなら、仲間たちとも触れ合わなければならないから。
ただのミュウなら部屋に籠って誰にも会わずにいられたとしても、前の自分は…。
(キャプテンじゃ、そうはいかないってな)
船を纏める立場だから。
前のブルーに「ジョミーを支えてやってくれ」と頼まれて生きていたのだから。
その思いだけで、生きていた自分。
仲間たちとは笑い合っても、一人の時には…。
(…何も感じやしなかったんだ…)
地面に降りても、空を仰いでも。
かつてはシャングリラを覆っていた雲、それが羊に見える形で浮かんでいても。
今だからこそか、と気付いた羊。青い空をゆく羊の雲。
気付けば、雲は見上げるものになっていた。
船の周りを覆い尽くす代わりに、遥かな頭上で流れてゆくもの。
牧草目当てで群れた羊か、と愉快な考えを呼び起こすほどに。
群れから外れた食いしん坊の羊がいるな、と流れ去った雲の名残を数えるほどに。
(…前の俺だと、空の上には牧草どころか…)
羊だって見えやしなかった、とコーヒーのカップを傾けた。
それなのに今は羊が見えると、空の上には牧草が生えているらしいと。
キャプテン・ハーレイだった頃には、夢にも思いはしなかった。
雲が羊だとも、羊がいるなら牧草が生えているのだとも。
美味しいからと群れを外れて食べている羊の雲があるとも、ただの一度も。
(きっと、あいつだって…)
前のブルーも、雲の羊は考えたことも無かっただろう。
自分と違って船の外へと出ていたけれども、雲も仰いでいたのだけれど。
それでもブルーはソルジャーだったし、船の外へと出た時には…。
(少しのんびりしていたとしても、雲を眺めて羊とまでは…)
きっと考えなかっただろう。
もしもブルーがそれを思ったなら、前の自分も聞いただろうから。
二人でゆっくりと過ごす時間に、きっとブルーが笑顔で話してくれたろうから。
「知っているかい?」と。
「この船の周りは羊だらけだよ」と、「羊でギュウギュウ詰めなんだよ」と。
(…うん、あいつなら言っただろうな)
それは楽しそうに、面白そうに。
シャングリラを取り巻く雲の隠れ蓑、外へ出られはしない雲海。
安全だけれど、ある意味、牢獄とも言えた。
外へ出る自由が無いのだから。出たくとも出られないのだから。
その真っ白な雲の牢獄、それを羊だと思えば時には笑うことだって出来ただろう。
今日も羊がギュウギュウ詰めだと、羊だらけで出られはしないと。
(雲だと思えば自由も無いが…)
羊の大群に捕まったのなら、ギュウギュウと押し寄せられて動けないなら、また違う。
きっと愉快な気持ちにもなれた、「今日も羊が一杯ですね」と。
あの頃は本でしか知らなかった世界、羊の群れが横切る道路。
全部の羊が渡り終えるまで、車は停まって待つのだと聞く。
青く蘇った地球の上でも見られる光景、羊を放牧している場所なら。
(…其処へ行った気分になれただろうさ)
船の周りに一杯の羊、雲の羊の群れが去るまで動けそうにないシャングリラ。
今だから頭に浮かぶ光景、雲の羊とシャングリラと。
(平和な時代になったもんだな)
まだ食ってるな、と白い雲を仰ぐ。
群れから外れて牧草を食べている雲の羊を、自分と同じに朝食を食べる雲の羊を…。
空に住む羊・了
※ハーレイ先生が見付けた羊の雲。シャングリラの頃には雲は羊に見えなかったのに。
今は空の上に沢山の羊がいるようです。同じ雲でも羊に見えるのが幸せですよねv
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